二十四節気 季節で感じる運命学《立冬》 染谷康宏

二十四節気 季節で感じる運命学、今回は「立冬(りっとう)」です。
立冬は、二十四節気の第19番目で、太陽黄経は225度になります。

2018年の期間は11月7日から11月21日までとなります。

立冬は冬が立つと書きますが、季節を表す文字に「立」という文字が付く節気は、立春、立夏、立秋、立冬の4つがあります。
これら全体を「四立(しりゅう)」と呼んでいます。

四立は、季節の始まりにあたり、春分、夏至、秋分、冬至の中間に位置する節気でもあるのです。これらを定気法で二十四節気に示すと、上の図のようになるのです。

これまで何度か触れていますが、二十四節気は春分点を起点にして太陽の黄道を24等分して季節の節目となる言葉を置いていく暦です。黄経が30度の倍数になるものが中気で、中気に15度を加えたものが正節となるのです。

こうしてみると1年間を24等分しているので、それぞれの節気の日数は同じになるのではないかと思われますがそうではありません。
つまり計算上では、365日を24節気で割りますので、15.2日となります。しかし、地球の公転軌道が楕円であるため、太陽から近いときは早く遠い時には遅く地球は動くのです。つまり角度は15度で一定であっても、近いときには節気間の時間は短くなり、遠い時には長くなるのです。
もう少し詳しく説明すれば、地球の公転軌道が太陽に一番近くなる近日点は、ちょうど冬至のころで節気間の日数は14日余りとなります。逆に太陽に一番遠くなる遠日点は夏至のころで、一番速度が遅くなります。この頃の節気間の日数は16日余りとなって、冬至のころと2日間も違ってくるのです。

こうした日数がずれる原因は、ケプラーの法則を理解するとその理屈が良くわかります。ケプラーの法則について、この機会にもう一度調べてみると良いかもしれません。

 

「立冬」

「立冬」を暦便覧で見ますと、「冬の気立ち始めて、いよいよ冷ゆれば也」と言っています。「立」には新しい季節になるという意味があって、暦の上ではこれから冬が始まる時期に入りますと言うことを示しています。
今年は、すでに蔵王で初雪が降ったとの報道もされてはいますが、平野部では暖かな日が続いています。しかし寒気が南に降りてくれば、一転して寒くなるのもこの頃の特徴です。

一般的には、紅葉が山から里へ移り始めて、身近な秋が深まって来たことを実感する頃です。また、この時期は「木枯らし1号」が吹く時期でもあります。木枯らしは「凩」とも書くのですが、これは木を吹き枯らす風という意味を表す文字です。

七十二候では

それでは立冬の七十二候について理解を深めて行きたいと思います。
始めに初候です。略本暦では、山茶始開(つばき はじめて ひらく) であり、宣命暦では、水始氷(みず はじめて こおる)となっています。
次候は、略本暦・宣命暦ともに地始凍(ち はじめて こおる)です。
末候は、略本暦では金盞香(きんせんか さく)となっており、宣命暦では雉入大水為蜃(きじ たいすいにいり おおはまぐりと なる)となっています。
またまた難解なものが出てきましたね。

初候

それでは立冬の個々の部分に入っていきましょう。
略本暦の初侯は、山茶始開(つばきはじめてひらく)です。山茶が咲き始めるという意味なのですが、「山茶(さんちゃ)」はツバキの漢名と辞書には出ています。
日本では、山茶花と書いてサザンカと読みますが、元々は山茶花を「サンサカ」と呼んでいて、サンサカがなまって「サザンカ」になったといわれています。一方のツバキは、葉が厚いことから「厚葉木(あつばき)」とか、葉に艶があるから「艶葉木(つやばき)」と呼ばれて、それが転化してツバキになったとも言われています。
元々ツバキとサザンカは、同じ仲間の木なので見た目はとても似ています。しかし、ツバキは花が丸ごと落ちるのに対して、サザンカは花弁がバラバラに落ちるので簡単に見分けがつきます。日本では首が落ちるという事で縁起が悪いとされるのですが、ヨーロッパでは騎士のように潔く散るとして良いイメージなのです。国によってイメージは異なるようです。

ところで、略本暦の説明で山茶がツバキとなっているのですが、私はこのことについ

て些か疑問が湧くのです。それは、立冬のこの時期に「花が咲き始める」という部分です。実際には、ツバキの花の咲く時期はいつなのかということが疑問になってくるのです。童謡の「焚火」では、落ち葉焚をする秋の終わりから冬にかけてはサザンカの花が咲くのです。ツバキはそのあと、早春に咲くというのが私の理解です。ですから、これから冬に入る立冬に咲く花としては、サザンカの方が正解のではないかと思えて仕方ありません。なにしろツバキの花は、春に咲く木だから「椿」なのですから。

次は、初候の宣命暦ですが、こちらは水始氷(みず はじめて こおる)となっています。中国大陸は、シベリア高気圧が張り出す秋以降になれば急速に気温が下がり、池や湖の水が氷始める時期になります。

次候

次候には略本暦・宣命暦ともに地始凍(ち はじめて こおる)が出てきます。意味としては、「大地が凍り始める」ということです。

初候では「氷る(こおる)」とあって、次候でも「凍る(こおる)」と似た表現が出てきます。各々の意味は「こおる」で同じなのですが、表記されている漢字に違いがあります。何がどう違うのでしょうか。
「氷る」は、漢字で見た通り水がこおるのです。一方の「凍る」は、水以外のものがこおるときに使います。それ故に「水が氷る」「地が凍る」と使い分けているのです。
しかし新聞などでは、「凍る」という表現を用いていて「氷る」はほとんど使いません。その理由は、「氷る」が常用漢字に含まれておらず水以外に使えないため、意味が幅広く使える「凍る」を使っているのではないかと思うのです。日本語の難しさを感じますね。

末候

最後に末候です。まず略本暦ですが、金盞香(きんせんか さく)となっています。
意味としては、一般的に「水仙の花が咲く」ということになっているのですが、漢字を見てしまうと、どう見てもキンセンカをイメージしてしまいますよね。では、なぜキンセンカではなく、水仙なのでしょうか。これには、七十二候の暦史を少し掘り下げる必要がありそうです。

まず、キンセンカを水仙とする理由の一つは、春木煥光(はるきてるみつ)が書いた「七十二候鳥獣虫魚草木略解(1821年)」という本が根拠になっています(写真参照)。著者の春木煥光(はるきてるみつ)は、この本の中で「金盞ハ金盞銀台ノ別名ヲ略称スルニテ即チ水仙ノコト也(赤線部分)」とはっきり書いています。
これは、二ホンスイセンを「金盞銀台」と呼んでいたことと関係があります。これは水仙の見た目をそのように表現した呼び名ですが、白い花弁を白銀のお盆とし、内側にある副花弁を金の杯に見立てたのです。こうしたことから金盞香(きんせん かんばし(こう読むこともある))を、「水仙の花が咲く」としたのです。多くのブログもこうしたことを背景として、「金盞香」は、「水仙」のことであると説明をしているのです。
しかし、貞享暦(じょうきょうれき(1685年))を見直した宝暦暦(ほうりゃくれき(1755年))の改暦に携わった西村遠里(にしむら とおさと(1718~1787年))が著した「天文俗談」においては、「金盞香」とは金盞花のことであるとしています。
ただ、気を付けなければいけないのは、ここでいう金盞花は、今花屋さんで売られているキンセンカと同じではないという事です。花屋で切り花になっているのは、トウキンセンカと呼ばれる渡来の品種です。
略本暦にあるキンセンカは、ホンキンセンカやヒメキンセンカという種類のことです。このように調べてみますと、金盞香はホンキンセンカと見て間違いないのではないでしょう。

最後に末候の宣命暦です。これは雉入大水為蜃(きじ たいすいにいり おおはまぐりとなる)です。七十二候は、本来気象の動きや動植物の変化を知らせるための比較的やさしい短文になってはいるのですが、宣命暦には時々理解に苦しむ難しい表現が出てくるのです。寒露の候でも雀入大水為蛤(雀が海に入って はまぐりになる)と、似た表現が登場してるので覚えていらっしゃる方も多いと思います。宣命暦にはこうした比喩的表現が多いのです。

 

雉がハマグリ?

今回の候で理解が難しいのは、雉(きじ)と蜃(はまぐり)でしょう。雉(きじ)が蜃(はまぐり)になるというのは、どういう状況でそうなるのか想像ができませんよね。
それでは一つひとつ解きほぐし理解していくことにしましょう。
初めに雉ですが、その文字から見ると「矢」と「隹(とり)」という文字が組み合わさっていることがわかります。つまり雉は、弓矢の矢が飛ぶ放物線のような飛び方をする鳥という事なのです。我が家の周りでも雉をしばしば見かけますが、逃げる時には矢のように低く飛んですぐに着地するので、この字が充てられたのだとすぐに想像できます。
昔の人の表現は、的確ですね。
次に蜃(ハマグリ)ですが、蜃の字は、辰(しんのたつ)の下に虫と書きます。古い時代には、大きいものを「蜃」と呼び、小さいものは「蛤」と呼んでいたようです。
改めて「蜃」を調べてみますと、蜃気楼を作り出す伝説上の大ハマグリと出てきます。吐く息(気)で、高い建物(楼)を作るとされていて、蜃気楼の語源にもなっているのです。
それでは雉とハマグリの関係に入りますが、蜃は「蛇」と「雉」が交尾した結果生まれるという話があるのです。その卵が地中に埋まり、蛇の形になった後2~300年経つって天に昇ると竜になると。しかし地中に埋まらずにいると、ただの雉が産まれるとも言うのですが、その雉が水に入ると、大ハマグリになるのだといいます。

分かるような分からない話ですが、「礼記」の「月令」の記述には、「蜃」にハマグリと竜の2通りの説が存在するのは、大ハマグリの「蜃(しん)」が竜族の「蜃(しん)」と同名であるために混同されたからだとあるのです。紛らわしい話が多いのは、こうした背景が原因ではないかと思うのです。
それにしても、大ハマグリが蜃気楼を出す霊力があると信じられたのは、ある意味不思議で興味深いのですが、最近になって分かったことは、貝は思いのほか長寿で数百年も生きる個体があるという事です。不老不死で、お化け貝になるというのもまんざら嘘でもないのです。事実2007年にアイスランド貝の年齢が507歳で、既知の動物個体としては世界最高齢だったことが発表されています。貝が霊力を持つという考え方は、古代中国の人々が、貝が人智を超えた生き物であることを知っていたから生まれた伝説なのかもしれません。

かいへんの文字を並べてみると、

財・貨・貢・販・貧・責・貸・貯・費・買など、お金に関係する文字も多いようです。
古代中国の王朝、殷は、商とも言われており、商売を始めた国家です。その時に用いられたお金、つまり東洋で始めて使われた貨幣は貝貨と呼ばれた貝殻でした。

貝には人智を超えた力、霊力があるという考え方、色々な意味がありそうです。

貝から始まり、今や電子マネーの時代。
雉入大水為蜃・・・中々意味深い言葉でした。