それでは冬至の七十二候について、見て行きましょう。
初候
はじめに初候ですが、略本暦は乃東生(なつかれくさ しょうず)です。これは夏至の初候にあります「乃東枯 (なつかれくさかるる)」と対の関係になっています。
夏になると枯れてしまう靭草(うつぼぐさ)ですが、真冬のこの時期、他の植物は枯れてしまうのに、逆にこの靭草(うつぼぐさ)は芽を出し、短い茎を地面にへばりつくようにして冬を越すのです。
5~6月頃の山に登りますと、ウツボグサのきれいな花を見ることができますし、乃東枯(なつかれくさかるる)の実際を確認することができるのですが、冬山はおいそれとは登れず「乃東生(なつかれくさ しょうず)」を確認することができないのは残念なことです。
次は、宣命暦ですが蚯蚓結(きゅういん むすぶ)となっています。意味としては蚯蚓が地中で塊となるということです。ここで言う「蚯蚓」とはいったい何のことでしょうか。
「蚯蚓」とはミミズのことなのですが、この言葉は中国語から来ています。「蚯」の字は、ミミズが土を食べて排泄する糞が丘のようになる様子を言うようなのですが、丘と言うにはあまりにも小さなお山ですよね。
元に戻りますが、「蚯蚓が地中で塊となる」というのは、寒気のために縮こまっている状態を表しているのです。冬至のころになると気温も相当低くなって、温度変化の少ない地面の下も冷えてミミズも動けなくなるという事なのでしょう。
この「蚯蚓」については、立夏の次候で「蚯蚓出(きゅういん いずる)」が出てまいります。これは今回とは真逆になって、ミミズが地上に這い出てくるという意味になります。
ちなみに日本語のミミズは、目がないので「めみえず」が変化したものだと言うことです。
次候
つづいて次候の略本暦ですが、麋角解(びかく げす)となります。読めない漢字が出てきましたが、意味としては「大鹿が角を落とす」という事になります。
宣命暦も、略本暦と同じで麋角解(さわしかの つの おる(別の読み方で))となり、意味は全く同じで大鹿が角を落とすとなります。
ここで問題なのは、「麋」という漢字です。鹿という字の下に米がくっついていますが、どういう意味になるのでしょう。「麋」は、音読みで「ビ」や「ミ」と読み、訓読みでは「おおじか・なれしか」と読むようです。では、「おおじか・なれしか」とは具体的にどの鹿を指しているのでしょうか。
日本に生息している野生の鹿は、二ホンジカという種類で6種類の亜種がいるそうです。私たちが良く目にするのは、ホンシュウジカで奈良の鹿もこれです。奈良の鹿は、秋になると人の手で角を切り取られてしまいますので確認が難しいのですが、野生のシカは春になると角がポロリと自然に落ちるのです。つまり、次候で言うような冬のこの時期には落ちないので違うようです。
では、この時期に角を落とす大鹿=麋とはどのような動物を指すのでしょうか。
宣命暦は中国で作られたものですから、中国の鹿を見て行く必要がありますが、はじめに「なれしか」を調べてみます。すると「馴鹿(ジュンロク)」とあります。「馴鹿」とは、一般的にトナカイのことを言います。たしかにトナカイは日本の鹿と異なり雄雌ともに角を持っているので、落ちる「角」は持っている訳です。メスの角は春から夏に落ちるので時期的にずれています。一方のオスは、秋から冬にかけて落ちますのでまるきり時期がずれている訳ではありません。しかし、トナカイの生息域はシベリアなどかなり北方域にずれていますので、トナカイではないと考えた方が良さそうです。生息域の関係から考えるとヘラジカやクチジロジカも候補からはずれそうです。
では、どんな鹿が該当するのか。最後に候補として挙がってきたのは、シフゾウです。シフゾウと言っても象ではありません。鹿の仲間です。ただシフゾウはちょっと変わった鹿なのです。鹿のような角を持ってはいるのですが、蹄は牛のようなのです。顔は馬のようでありながら、しっぽはロバの様。4つの動物の特徴を持った、不思議な鹿なので「四不像(四不相ともいわれる)」と呼ばれたのです。もちろん生息域は中国北部から中央部にかけてとありますから、これは問題ありません。ただシフゾウは、一時期中国で絶滅してしまったこともあったのですが、昔の中国では一般的に見ることのできる鹿だったということです。という事で「麋角解」の鹿は、シフゾウの可能性が大きくなってきました。あとは角がいつ落ちるかという事ですが、記録によると冬のこの時期に落ちると書いてありましたので、ほぼシフゾウで間違いがないでしょう。この不思議な鹿、日本では多摩動物園で見ることができるそうですよ。
末候
さて、最後の末候になりますが略本暦は、雪下出麦(ゆきわりて むぎ のびる)となっています。意味としては、降り積もった雪の下で麦が芽を出すという事です。
小麦は、春にも播くことができる植物ですが、秋播きは生育期間が長い分収穫量が多くなるので秋に作付けをすることが多いようです。秋に播いた場合には、冬越しのために麦踏みをするのですが、こうした農作業の姿を見ることはなくなりました。近ごろでは、トラクターでローラーを引いて麦踏み作業の代用としているようです。
先日、和光市を車で走っていた時、畑の中にまばらに麦が植えられているのを見ました。これは「風食被害の防止」のために植えているのだそうです。風食被害と言うのは、農作物の収穫が終わって何も植わっていない時、強い風で土が飛ばされてしまわないようにするためなのだそうです。畑の良い土が飛ばされないようにすることが目的なのですが、畑の近くの住民に砂塵が飛ばないようにする意味もあるのだそうです。麦作を見る機会もめっきり減りましたが、真冬の緑は目にも心にもやさしい緑です。
算命学学校
末候の宣命暦は、水泉動(すいせん うごく)となります。「しみず あたたかを ふくむ」とも読まれるように、地中で凍った泉が動き始めるという意味です。
陰陽五行で水は北を示し季節は冬を表していると学びますが、「凍った水が動き始める」というのは、陰極まり陽に転ずる冬至を的確に表現しているようにも思えます。
しかし陰の気が陽に転じていくとは言え、これから小寒・大寒へとさらに寒さは強くなるのです。泉の水も一気に溶けだすのではなく、寒暖を繰り返しながら春に向かって進んでいくのでしょう。
今は葉を落とし動かないように見える植物たちも、凍えた小さなつぼみの中に陽の気をしっかりと包み込み、春の日を待ち続けているのですね。