SERGEI POLUNINを描いたドキュメンタリー映画をみた。 干支暦を分析しても、あれだけの《才能》の秘密は解けない。
それでは《才能》って何だろう?
この干支暦をみて、《この子は稀代の天才ダンサーになります…》など、予言できる人などいないだろう。
しかし、《生まれた時から関節が極端に柔らかく、筋肉がしっかりしていた…》という生来の体質・体系をみて、《この子は稀代の天才ダンサーになります…》と予言出来た人はいたかもしれない。
生まれ持った体質は、遺伝子と偶然性から生じる。
人は誰もが 頭脳・センス・肉体的特徴のどこかに才がある。
彼の場合、《極端に柔らかい関節と強い筋肉》が天賦の才であった。
そして、才能開花の条件は、この子供の天賦の才が、親の価値観と一致するかどうかだ。
もし親が息子を医者にしたいと願っていたら、《関節の柔らかさと強い筋肉》など、才能とはみなさなず、何の価値も認めないだろう。
本人が生まれ持った素質が、親のテイストに合っているかどうか、これが重要なのだ。
しかし、これだけの条件では育たない。次に必要な条件は《追い詰められた環境》だ。
ウクライナの非常に貧しい村の、貧しい家庭に生まれた。地域の体操学校で頭角を現すが、ここで母親はバレエダンサーの道を選択する。バレエ学校に行くのには非常にお金がかかる。普通の家庭だと《部活で頑張ればいいんじゃない?》と思う所だろうが、この母親は違った。
息子のバレエ資金を稼ぐ為、祖母と父親を出稼ぎに出すのだ。祖母はギリシャで家政婦に、父親はポルトガルで労働者として働き、自分は息子に付っきりでバレエに打ち込む・・・凄い! 《息子の将来の為に家族が犠牲になるのは当然の事》と、はっきりと言い切る。
つまり、(本人の生まれ持った体質の特徴×親の夢)× 追い詰められた環境=才能開花
10代の青年にとって、頑張らざるを得ない強烈な環境だ。人の倍以上も練習を重ねる。もし体操の選手だったら一流になれただろうか?
恐らく家族が出稼ぎに行く事はなかっただろうから、単に《体操が上手なお兄さん》で終わった可能性もあった。
トップにのぼりつめるが、親の離婚で走り続ける意義を失い、21歳でロイヤルバレエ団を電撃退団。
彼の美しさは徹底した古典的美しさだ。ロイヤルバレエ団電撃退団後、ロシアでゼロからスタート、古典を徹底してやり直した意義は大きいと思う。
それでは、最後に彼の才能とは何か?運命学はそれにどう関与したか分析する。
干支暦分析をすると、彼の質は、非常に聡明であるがため、自分自身に矛盾を感じ、願っている事や考えている事と反対の言動をしてしまう為、周囲の人を動揺させる独特の魅力がある。自己愛が強く、とても自分勝手、だがそれがあまりにもストレートに表に出るため、逆に人を惹きつける不思議な魅力となる。もし、ロイヤルバレエ団を電撃退団していなければ、ここまで注目され続けることはなかったかも知れない。
予測出来ない行動、それは本人でさえ予測できていない、それはまわりの人を驚かせる魅力となるが、その行動に巻き込まれたくない人は距離を持つため、常に孤独。
人間とは面白い事に、お金や名誉に恵まれても孤独な人は、満足度は低くなる。
逆に、お金や名誉に恵まれていなくても、人に囲まれている人は満足感は高くなる。
そんな自分に嫌気が差し、人の為に生きようとすると、自分は何の為に生きているのだろうという死生観に妙にこだわってしまう。
そんな彼へのメッセージは、自分らしく思いっきり商業主義に生きた方が良い。孤独なら、孤独な人を友とせよ。
今回注目されたのは、このYou Tubeの動画だ。
一流のカメラマンに依頼し、ハワイの自然の中で踊り、それをYou-Tubeに無料で出した。それにより、自分の可能性を大きく拡げた。
さすが、苦しみ抜いた末に、自分という素材の活かし方を一番よくわかっていたのは本人だ。
趣味と実益を兼ね、バレエダンサーや音楽家の干支暦のを研究しているが、第1線にいる人は、普通の命式の人が多い。
時々さすが!という命式もあるが、全体の15%程度。 故に親からの《自分の子供は音楽家の才能があるか?》などという質問には慎重を期するのだ。音感が良いとか指が長いなどの人より有利な天賦の才×親の夢×苛酷な環境と、それに耐えうる本人の質。
これは命式で読み取れる。セルゲイも日干が甲申 自分で自分を追いつめる完璧主義の才があるため、これはよい。
他の条件によりけりだが、甲寅だと、自分に根拠のない妙な自信があるため、苦労や新しい事に耐えられない人も多い。
才能的な命式が良すぎると、本人それ程努力することなく昇ってしまう。
運気で雲の上にのぼったはよいものの、はしごを外された感覚を持つ人が多く、挫折に弱く長く続かない。
運命学には、《すばらしすぎる命式の持ち主は、運勢が稼働しない》という絶対的なルールがある。
天才とは苦しみ抜いて、天賦の才を開花させた人達の事である。
苦しみ抜いた人にだけ与えられる才能こそ、天才という言葉なのだろうと…私は思う。