營魄を載せ一を抱き、能く離るること無からん

老子の道徳経 載營魄抱く一、能無離。

この一文に古代中国人の死生観が描かれているのではないかと模索している。

2500年以上昔、諸子百家たちの考えた《霊魂》とは何だろう?

霊とは雨乞いの儀礼というのが語源である。 雨の下に巫女が坐するという意味だ。

万物に恵みをもたらす《水》こそ神としたのだろう。

神は慈雨を与えるが、時には怒り破壊することもある。大河の流域の恵みで発展した古代中国文明では、治水の知識・技術に優れている者こそが、神から認めらえた王者の質ありとされた。殷の禹王しかり…。
人気のパワースポットの多くが湧水に恵まれている場所である。地層学でも、活断層の割れ目に明泉が湧くという。中国で古代より明堂、気場と呼ばれている所を最近の科学的手法で調査した所、その多くの地域でゼロ磁場だったという。活断層の割れ目はゼロ磁場が多いらしい。ゼロとは東洋思想では無限数だ。

そう考えると《霊》は、《水》 他の五行は人間が制御できても、水だけは制御不能 天界のコントロール範囲なのだろう。

それでは魂とは何か? 実は人間の魂は霊魂ではなく、魂魄である。魂と魄という二重構造で構成されているのだ。

魄とは白+鬼という文字であることから、白い鬼、白骨化した頭蓋骨、ドクロに宿る地上に残るエネルギーだ。生きている時の怨念は、死後《魄》に宿るとされた為、悪霊のシンボルともされるが、一方、土地を守る神ともされた。髑髏を槍の先に差し、高くかがげ祈祷する土着の祭りを映像で観た事もあるだろう。地上に留まり守ってくれる先祖の魄への感謝の祈りの儀式であり、そこでは髑髏は悪霊ではなく民族を守る守り神だ。

道という文字にも首という文字が記されている。道を開くには、その土地の魄(ドクロ)を高くかがげ守り神とし、行進していったことから生まれた言葉、それこそ《道》である。先祖の守りがあってこそ、道が啓ける。先祖はどのように守るかというと、その叡智や経験を伝えること、メッセージを残そうとした。故に、古から本を読むこと・歴史を学ぶことは《道を啓く》ことだと言われたのだ。

この魄のエネルギーはやがて大地に吸収され、大地のエネルギーとなり、万物を生み出す五行循環に還元される。

の《云》とは雲という意味がある。魂とは、雲気となり浮遊するエネルギー体である。フワフワと天に昇るのが魂である。雲という文字も、雨カンムリの下が云である。

人間は死を迎えると魄と魂に分離される。地上に留まる魄のエネルギーと天空に上昇する魂のエネルギー、この2つの道に分かれていく。

それでは《生きる》エネルギーは何だろう?

道徳経によると、魂と魄を一つに結びつけるエネルギーこそが生命エネルギーである。
2つのエネルギーが拮抗しながら、1つになる状態こそが《生きている》状態だ。

地上を踏ん張る力と、天に昇るエネルギー 上と下が均衡した所に《生のエネルギー》があるという、天地人三歳理論だ。

《現実的な考え方》と《夢や希望という精神力》が互い引っ張り合い、バランスをとることこそが、生きるエネルギー 活力である。

《お金稼ぎや名誉》など現実的な事だけ追い求めても、エネルギーは生まれない。
夢ばかりを描いていても、エネルギーは生まれない。この二つが強い力で引き合うと、強いエネルギーが生じるのだ。

数理暦学では生体エネルギー指数が計算される。エネルギーの強い人は天地を引っ張るエネルギー
《理想と現実を引っ張り合うエネルギー》が強い人。

高い理想を描き、その実現を目指して地に足つけて踏ん張る体力がある。逆に、高い理想がないとバランスを崩しやすい。
エネルギーが弱い人は、高い理想を描いても、踏ん張る力が弱いので、人をつかったり合理性をもって効率的にそれを実現させることを良しとする。時々感性だけで雲の上に昇ってしまうと、踏ん張るエネルギーが弱いので、ノイローゼになることもある。その時は踏ん張ってくれる人に担いで貰うしかない。魂と魄とのバランス学だ。

天中殺理論も、魂と魄とのバランスで考えると、辰巳天中殺《現実的な考え方が強い人》に良い相手は、戌亥天中殺《ロマンティスト》となる。

算命学では、同じ天中殺同士が良い相性と解く書籍も出ているようだ。確かに自分と同じ考え方の方が喧嘩にならないだろう。だが、算命学の原理となる老子の道徳経は拮抗する質を一つにすることこそ道であると説いている。

老子の道徳経は《無為自然》に程遠い記述も多く、聖書と同じく多くの矛盾に満ちている。故にそこに人間の苦しみがあり、苦しみがそこにあるから、民衆の宗教になったのだろう。

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