運命と宿命は何が違うかというと、
宿命は生まれもって宿った命で、
他人にはどうしようもないもの
他人が動かすことができるもの、
自分で切り開くこともできるものが運命。
つまり、宿命は変えることができないけれど、
運命は変えられる。
其の中でどうするか、
自分で選べるものでもある。
それでは、天命とは何か。
天命を知るには、宿命を知ることが大切、
例えば宿命を、川幅や川の流れの速さだとしたら、
それを知るには、実際に船を漕いで進んでいかないと、把握できない。
つまり、運命を動かさないと、
宿命は把握できないものである。
運命を切り開いて 切り開いてはじめて
宿命がわかる。
天命をわかる
一生懸命それを行うことを通して、
それがなかんづく
己を知るということではないだろうか。
弘法大師(空海)も
『秘蔵法鑰』ひぞうほうやくの中で言っている。
生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、
死に死に死に死んで死の終りに暗し。
人は何度も何度も何度も何度も生まれ変わっても、
何のために生まれたのかわからない。
何度も何度も何度も何度も死んでも、
どうやって死ねば良いのかわからない。
つまり、生きるとはそういうことで、
宿命を知るには、実際に運命を動かしてみながらわかること。
事を成さない限り、事が何だかわからない。
天命を知るといっても、
天命など簡単にわかるものではない。
私も運命学を指導させていただいておりますが、
暦学である程度は予測できても、
実際には、どう生きたら良いのか
自分の人生を動かしてみないと、
わからないものだと思います。
亀山先生のご指摘通り、
いくら干支暦を学び、論理的には理解したつもりになっても、
人間には情があり、其の情は時には自分の都合の良いように捉えてしまう、
また、人間の運命には、個々の運命以外に、
国運や時代の流れなど、其の時の状況が大いに影響してくるため、
干支暦に書かれている宿命通りに生きることは、
なかなか難しいのではないかと思います。
干支暦は勝者の人生として、統計理論に組み込んできたため、
干支暦に描かれている宿命通り生きた方が、
ストレスを感じず生きる事ができます。
ストレスを感じないと、
余裕をもって生きることができるのではないかと
思うのです。
私の運命学的解析では、
同じ生年月日を持っていても、どうして運不運が偏るかというと、
それはその人に「余裕」があるかどうかではないかと思うのです。
「余裕」とは、経済的余裕・精神的余裕・体力的余裕など
様々な形がありますが、
私の運勢の切り開き方のアドバイスは、
「余裕」を持って生きることができるように、
常に準備するべし。
そのため、私たちは干支暦で宿命と運命を解析し、
できるだけ環境を整えるという、工夫を行います。
その工夫こそが、生きることの楽しさだと思える人が、
人生をよりよく生きることができるでしょう。
亀山先生との学びの奥の深さを感じ入りました。
亀山先生、素晴らしきご講義をありがとうございます。