今朝、草むしりをしていたら、91才の義母がやってきて「老人会を辞めた…」とのこと。
私の住んでいる市行政の指導する町内組織には、青年部、婦人部、そして老人会というものがあります。青年部と婦人部のメンバーがある程度の年齢になると、老人会に一元化されるという仕組みです。
義母は老人会に所属して、街のお仲間と一緒に旅行に行ったり、カラオケを楽しんだりと、とても楽しそうだったので、私はてっきり90才超えると老人会からも引退する年齢なのかと思い、可哀そうに…と思いながら話を聞いていたのですが、どうも話は違うようなのです。
義母の話によると、何と、老人会のメンバー全員が老人会を辞めたというのです。
???
その理由を聞いたら、以前からずっと行政の町民区分にはかなり文句があったらしく、意見をしていたけれど全く受け入れられなかった。だったら全員老人会を辞めようという事になったとのこと。
一番の文句は、「老人会」という名称。そういえば、以前から、「老人会」という名前は改めるべきだと私にも熱く訴えておりました…。
それでは、「お母さんが楽しみにしていた町内の旅行もカラオケ大会もなくなったのね。寂しいじゃない?」って言ったら、メンバー全員が「老人会」を辞めて、新たな組織を作ったらしく、その結成式を本日行うとのことでした。
それで、新たな組織の祝いも兼ねて、明日からしばらくそのメンバー(メンバーは全員同じ)と旅行に行くので留守にするから、宜しくね!とのこと。
そのグループ、何ていう名前なの?って聞いたら
何と!
ライブ Live
…メンバーはご近所様なので、すぐに思い浮かびましたが、平均年齢82才位でしょうか?
あのメンバーが集まり、名前を決める時に、その名称が提案されて、決定されたことになんか感動!
「行政の単位でなくなると、補助金なんかも出ないんじゃないの?」って聞いたら、「そんな大したことがないお金で勝手な名称をつけられて、縛られるなどゴメンだ」と。
「市は困ることあるのか」と聞いたら、「夏祭りの時にお神輿を見張っている役とかそんなもの位だと思う…それも失礼な話だ…」とのことで、Liveは市とは関係なく、自主的に街の人々に貢献する集まりだから、必要だと判断すれば積極的に手伝うと言っていました。
何かさすが…。そしてカッコいい。
それを聞いて、「老人会」という名称は昭和の時代、ご老人が少数であった時代に作られたもので、令和の時代、老人会という言葉は死語であり、それを本人たちが訴えても受け付けなかった行政の発想力のなさ、そして、「高齢化社会」とは、多様化した高齢者達の社会であり、それを「高齢者」「老人」とひとくくりすることは、大変失礼であることにも気づかされました。
確かに私も「中年女性」とひとくくりにされると、「なんか違うもん!」と思います。その多様化を受け止めるべき社会をつくるには、年齢や外見的なもので括ってはいけないのかもしれません。
しかし社会は、「高齢者」「女性」という箱、「ひきこもり」「アスペルガー」「障害者」「LGBT]という箱のように、まずは「箱」に入れることで、対応しようとします。
時には箱に入れたまま忘れられることもあり、箱に入れられた人たちが何を望んでいるのか、その中でどう変化しているのかということまで、考えが及びません。
干支暦学の陰陽五行の分類訳では、外面での区分けは行いません。あくまでも基準は干支暦だけ。
イケメンでも高齢者でも、干支暦という基軸の中では平等です。
そのため、先入観なくその人物の本質を捉えることができます。
だからこそ、タオの世界。力を抜いて生きることが出来るのです。
古代に確立した先人達の叡智と先見性に驚きますが、そういう意味でも、陰陽五行という自然に即した区分け法は、今の時代に必要なメソッドたとも思うのです。
副業解禁やシェア経済社会など、「箱」崩壊の時代。
昭和の頃の「箱」を、思いっきり破壊しない限り、益々私たちは、自分達が作った「箱」に窮屈さとストレスを感じるのではないでしょうか。
ちなみに、陰陽五行論で、高齢者に与えた言葉は、【闘】【前進】
生きるとは、重いタイヤに縄をつけてそれを腰に巻きながら、前進する状態。
年齢と共にそのタイヤは重くなると捉えるため、若者よりも大きな前進力が必要になります。
前進するのを辞めた途端、すぐに老と死に引っ張られてしまう!というのが古典的捉え方です。
うん!
Live
さすがの名前!
母曰く、尊厳死というけれど、それより大切にして欲しいのは、「いかに尊厳を保ちながら生きることが出来るか」
尊厳ライブを目指して頑張るんだそうです…。