立春が1年の始まりなので、第1節としますと、雨水は、二十四節気の第2節に当たります。立春の後、十五日目からが雨水となるのですが、室町時代の陰陽師・賀茂在方(かものあきかた)は、暦注の参考書「暦林問答集(れきりんもんどうしゅう)」において、「雪散じて水と為る也」と言っています。ちなみに、暦注とは、暦に記載される日時・方位などの吉凶、その日の運勢などの事項のことになるのですが、この暦の上段には日付・曜日・二十四節気、七十二候などが書かれ、中段には十二直、下段には選日・二十八宿・九星といった事項が書かれています。それでは、雨水の七十二候について、個々に触れていきましょう。
初候
雨水の初候は、期間は2月19日から2月23日までです。
雨水の初候・略本暦(日本)は、土脉潤起(つちのしょう うるおい おこる)となっています。
意味は、寒さも少し和らぎ雪が融け、降る雪は雨となり土が湿り気を含むという意味になります。ここで言う土脉(どしょう)の脉とは、脈のことで「脉」は脈の俗字なのです。ですから、「つちのしょう」は「どみゃく」とも読むのです。
ところで前回の「立春」の回で、春一番について触れましたが、雨水にも一番があるのです。それは北国、いわゆる東北や北海道地域で立春以降初めて雪が混じらない雨が降ることを「雨一番」というのだそうです。基準日は立春という事なので春一番と同じなのですが、雪の混じらない雨というのですから、まさに「雨水」が実際の天気で見られるものになったということなのです。もちろん雨一番が降ったからと言って、その後雪が降らないと言う訳ではありません。
雨水の初候・宣命暦(中国)は、獺祭魚(かわうそ うおを まつる)となっています。意味は、獺が捕らえた魚を並べて食べるということです。これはカワウソがとらえた魚を、供物を並べて先祖祭りをするかのような仕草をすることから、このように言われているのです。
カワウソは、非常に大食漢でたくさんの魚を捕食しなければならいのですが、効率的な狩りをするために捉えた魚を川岸に置き、すぐまた水中の狩りに出ているのだと考えられます。採り貯めた魚は、上陸してからゆっくり食べるのでしょう。
また、2月下旬のこの雨水の時候では、川面が凍っている場合さえも想像されるので、餌をとるのは効率的にやらなければならないでしょう。
中国では唐の詩人・李商隠が、書籍を部屋中に広げて詩を書く姿がこのカワウソの姿に似ているとして、自らを「獺祭魚」と称していたことからも比較的良く知られた習性だったのではないでしょうか。正岡子規も「獺祭書屋主人」を名乗っていましたし、これにちなんだ日本酒の「獺祭」は世界的な名酒としてすでに有名になっています。
これらすべては、礼記月令第六・孟春の一節の中にある「東風解凍,蟄蟲始振,魚上冰,獺祭魚,鴻雁來(東風凍を解き、蟄虫は始めて振く。魚冰に上り、獺魚を祭り、鴻雁来る)」が出典となっています。
次候
次候は、2月24日から2月28日までです。
略本暦(日本)は、霞始靆(かすみ はじめて たなびく)であり、意味は文字通り霞がたなびき始めるということです。大気中の水分が多くなり霞がかかったり、遠くの山がかすんで見えたりする様子を表しているのです。
「たなびく」と言う言葉は、日常生活でも使う言葉の一つですが、「靆」という漢字を書く機会はまずないでしょう。靆は雲がたなびくさまを意味しており、漢字の成り立ちとして は、雲に二点しんにょうで逮捕のタイの字を書きます。「逮」は、およぶ・とらえるとも読み、後ろから追いかけて捕まえることを意味する漢字なのです。つまり雲や霞が横に薄く、長く流れるように漂うので、この漢字が充てられたのでしょう。また、たなびくは「棚引く」とも書きますので、雲や霞が横長に漂う感じが良く分かります。
一方の宣命暦ですが、こちらは鴻雁来(こうがん きたる)となっています。意味は雁が飛来し始めるとか、やってくるという意味になるのですが、これまでこのブログをお読みの方はお気づきかと思います。今回の「鴻雁来」は、白露の初候・宣命暦と寒露の初候・略本暦にもそっくり同じものが出ているのです。更には、鴻鴈来と同類の「鴻鴈来賓」が寒露の初候・宣命暦にありますし、小寒の初候・宣命暦に「雁北帰」がでてくるのです。なぜこれほど多くの雁がやって来るのかが疑問になります。
そこで鴻鴈の鴻・つまりコウノトリの渡り経路を調べて見ますと面白いことが分かります。繁殖地であるロシア南部のアムール川流域から遼東湾から渤海湾を通り黄河から揚子江を渡り、最終的に武漢の東南方向にあるポーヤン湖付近に渡って越冬をしています。このコウノトリは、同じように渡りをするタンチョウヅルに比べ越冬地まで渡っていく時間がとても長いのが特徴でもあるのです。タンチョウヅルは、繁殖地から越冬地まで1か月余りで移動するのに比べ、コウノトリは3か月もの時間を要するのです。逆に繁殖地に向かう時も同様に時間がかかるのでしょうから、かなりゆっくりと移動する渡り鳥だと言えます。この渡りにかかる時間の差が中国の人々がコウノトリに対しての、親しみに繋がっているのではないでしょうか。宣命暦が作られた唐の長安は、鴻鴈が繁殖地と越冬地を行き来する中継地に当たるためそこに住む人々の目に触れる機会も多かったのだと思うのです。
現在も黄河河口はバードウォッチングに最適な場所で、タンチョウヅルやコウノトリが多数飛来し、壮観で美しい光景を見ることができるそうです。自然環境が悪化しつつある現代でさえこうした風景が見られるのですから、自然豊かな唐の時代にあっては市井の人々も多くの渡り鳥を見ることができた事でしょう。こうした事が鴻鴈に対する親しみとなり、結果的に七十二候に何度も登場することになるのだろうと言う気がしてならないのです。
日本の略本暦にも同様に鴻鴈が出て来るのですが、これは中国の日本文化に対する影響によるものであることは間違いない事でしょう。
末候
最後に末候ですが、3月1日から3月5日までで、啓蟄の前日までが期間となります。
末候は、略本暦(日本)・宣命暦(中国)、ともに草木萌動(そうもく めばえ いずる)となっています。これは、地面や木々の枝から新芽が萌え出す様子を示しています。
しかし、今年の関東地方は1月・2月とも雨が少なく、植物にとっては芽を伸ばしづらい環境にありました。我が家の庭のフキノトウも例年と違ってなかなか花を咲かせてくれませんでしたが、3月に入って本格的な雨が降ったとたんに一斉に顔を出したのを見て、雨が与える影響力の強さを実感しました。
親戚の大農家は、田植えに向かって準備が忙しいようです。雨水は、農作業を始める目安とされているのですが、本当にその通りだと感じます。