二十四節気 季節で感じる運命学 《雨水》  染谷康宏

二十四節気季節で感じる運命学、今回は「雨水(うすい)」です。雨水は、二十四節気の2番目であり太陽黄経は330度となります。2019年の雨水は2月19日から啓蟄の前日までの3月5日までになります。

「雨水」は、降ってくる雪が雨に変わって雪解けが始まる頃という意味になります。
この時期から草木も芽を出し始め、農作業の準備が始まります。二十四節気は、元々農作業の目安として作られた暦なので、新年が過ぎ、お正月気分の終わるこの時期は、農作業のスタートになるのです。そう考えると、元旦をグレゴリオ暦の1月1日にするよりも、2月4日の方が自然に即した年の始まるという意味もお分かりいただけるのではないかと思います。

ここでの「雨水」は、「うすい」であって「あまみず」ではありません。「あまみず」は、空から降る雨の水そのものであり、雨が降って溜まった水の事になります。

暦便覧では、雨水を「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となればなり」と書き表しています。つまり「雨水(うすい)」は、冒頭でも書いたように降る雪は雨に変り、凍った氷が融けて水となる時期になった事を表しているのです。

2月末の気候ではまだ雪は降り、湖沼の水さえも氷ることがあるのでしょうが、徐々に陽の気が強まり雪は融けて、氷は水になって流れ始めるのです。

実際に雪が融けて川となり、下流の田畑を潤すまでになるのは4~5月まで待たねばなりません。しかし、そのスタートになるのがこの時期だと思って戴けたらと思います。

また「雨水」が農作業の目安となっているのは、雪融け水が時間をかけてゆっくり流れ、田畑を潤し、豊かな実りに繋がるからです。

「雪がゆっくり融けていく」これは、季節の流れを把握する上でも大きなポイントです。

約7割が山地の日本にとって、空から降ってくるのが雪でなく雨だけだったとしたらどうでしょう。雨水は、急峻な傾斜を流れ、あっという間に海に流出してしまうと、長期間田畑を潤し続けることはできなくなります。稲作が中心の日本の農業にとって、水の確保は最も大切なことなので、「雪がゆっくりと融けていきながら、長い時間を流れること」がとても重要なのです。これと同時に、山には多くの樹々が繁茂していることも重要です。つまり、保水能力の高い森林は、天然のダムとして日本を守り育てているということになります。飛行機から眺める日本列島の山々には、森が深く樹々が青々と茂っています。
他の国を上空からみても、日本のように緑で覆われた山を持っている国は多くはありません。日本の豊かさは、こうした自然環境が作っているのだという事が一目でわかるのです。

森林を守り・水を守るという事は、陰陽五行の考え方からすると、木火土金水の相生相克バランスが保たれていることになります。
そのような意味では、日本は陰陽五行の国なのです。

 

暦便覧とは

 

暦便覧の正式なタイトルは「こよみ便覧」(こよみべんらん)とひらがな交じりとなっています。この本は、1787年に出版された暦の解説書で、著者は太玄斎とされています。この太玄斎とは「号」であり本名は、松平頼救(まつだいら よりすけ)といいます。常陸宍戸藩の5代目藩主でしたが、家督を息子に譲った後、隠居して太玄斎を名乗っていました。ちなみに「号」とは、ペンネームや筆名で、創作活動の際に、本名とは別の称号を使うときに称するものです。現在では日本画などに使われています。松平頼救が、太玄斎を名乗ったのは1808年から亡くなる1830年までの23年間ですので、こよみ便覧を書いた時にはまだ常陸宍戸藩藩主であった松平頼救の時代ということになります。暦便覧を調べると、著者は「太玄斎」と出て来ますが、常陸宍戸藩の藩主 松平頼救候と書いたものだとご理解下さい。今でいうと、企業のトップが息子に会社を託し、会長になったときに出版した書物です。

ところで、暦便覧には何が書かれているのでしょうか。

国立国会図書館のホームページでご確認いただくとわかるのですが、わずか18ページと短い書物に、月の大小や閏月のこと、二十八宿の吉凶や七曜のこと、さらには日蝕・月蝕、二十四節気および雑節について書かれています。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2536637/7

今から230年以上も前に書かれた書物が、現代の人々に役立つなんてすばらしいですね。

論語でも「温故知新」と言っており、暦史を学ぶ事の大切さを教えてくれています。また、この「温故知新」には続きがあり、次のように孔子は言っています。「温故而知新、可以為師矣:故きを温ねて新しきを知れば、以て師と為るべし」と。

私たちが学ぶ暦学も、古の時代から行われてきた研究の礎の上に立つ学問です。先人の知恵をしっかり学び、次の世代に受け継ぎ、残していくのは私たちの役割でもあるでしょう。

ある意味、社会の一線を退いた者に残されたお役目は、この温故而知新、可以為師矣かもしれません。本物は必ず次世代に繋がります。松平頼救候もそう感じられ、「こよみ便覧」を編纂されたのではないでしょうか?