二十四節気 季節で感じる運命学、今回は「立秋」です。
まだまだ暑い日は続きますが、暦の上では秋に入りました。
立秋は、「夏が極まり秋の気配が立ち始める日」とされていますが、暦便覧では、「始めて秋の気立つがゆゑなり」という表現をしています。
立秋は、二十四節気の13番目にあたり、今年は8月7日から22日の間、太陽黄経は、135度になります。
二十四節気では、立秋から立冬の前日までの期間が「秋」となるのですが、秋が肌で実感できるのはもう少し先になるでしょう。
夏真っ盛りで最高気温の記録がこれからも更新されそうな状況ですが、もう稲刈りが始まっています。梅雨明けが異常に速かったために、早生種の稲が例年よりも1週間早く実りを迎えてしまったのです。気温は夏でも、植物はちゃんと秋を迎える準備をしていると言う事です。
立秋を詠んだ歌に「秋きぬと目にはさやかにみえねども 風の音にぞ驚かれぬる」というのがあります。
これは三十六歌仙の一人である藤原敏行が詠んだ歌ですが、意味としては「秋が来たと目にははっきり見えないけれど、そこはかとない風の音に秋を気付かされた」と言うような意味です。まさに立秋の木陰に吹く涼やかな風の中に秋の先触れを感じたのではないでしょうか。
見上げてごらん夜の星を
この表題を見て、「あれ?あの歌のタイトルと同じだ」と思う方は、ある程度の年齢の方々だと思います。お気づきのとおり、これは坂本九さんの1963年のヒット曲のタイトルです。
今回のブログに坂本九さんを取り上げようと思っている訳ではないのです。
坂本九さんは、この立秋の期間である8月13日に日航ジャンボ機の事故でお亡くなりになった歌謡界のスターですが、今回は立秋の夜空に浮かぶリアルな星について書こうとした時、ふっ思いついたのがこの歌のタイトルだったのです。
既に新聞やニュースでもお聞きになっていらっしゃる方も多いと思いますが、火星が地球に大接近しています。一番近づいた先月末には、約5,700万㎞だと言うのですから、本当に近いのです。どの位近いかと申しますと、月までの距離が約38万㎞強と記憶しておりますので、地球と月の距離の約150倍くらいなのです。
実感できない距離ですが、宇宙空間の距離感からしたら、本当に近いのです。少し良い天体望遠鏡なら、模様のある赤い星として見ることができる筈ですよ。
4つの星が同時に見える!?
さて、今回のブログで「星」を取り上げたのは、今年の立秋に5惑星のうち4つの惑星を同時に見ることが出来るからです。
暦学の発展に太陽や月、5惑星の存在が非常に重要な役割を果たしてきたことを私たちは学んでいます。五行思想の中では、木星は青、火星は赤、土星は黄、金星は白、そして水星は黒と教わりました。また古代の人々が夜空を自由に動き回る惑星を見て、そこに神が宿っていると考えていたとも。
特に古代中国では、肉眼で見ることのできる5つの惑星を、木星(歳星/さいせい)、火星(熒惑/けいわく)、土星(鎮星/ちんせい)、金星(太白/たいはく)、水星(辰星/しんせい)と呼んで重要な星としてきたのです。天球上の動かない恒星よりもはるかに明るく、それぞれが独立して動いていたため5惑星と太陽・月は同じ種類の星と考えられていました。これらは七曜と言われ、週の基になったともいわれているのです(諸説あり)。
私たちは、これらの星の存在を座学で学んいても、肉眼で見る機会には恵まれていません。
人工の光の影響がなく、空気も澄んでいた古代の頃とは違い、ビルの隙間から狭い夜空を見ている我々には、星を身近に感じる事がなくなってしまったからです。
今回は、水星を除く4つの星が同時に観察できる機会なので、外に出て夜空を観察してみてはいかがでしょうか。
どこに見えるの?
それでは、実際の夜空にどのように見えるのでしょうか。星の観察に適している時間は、日没後30分から1時間半くらいの間です。今年の立秋は、8月7日(火)ですから、この日の日没時間を申し上げますと、私の住む埼玉県では18時41分になります。ですから午後7時10分から8時40分くらの間がちょうどいいと言う事になります。
立秋最後の日は、8月22日になりますので、その頃の日没は18時23分と、17分近く早まります。日没の時間以外の条件として月齢を考えますと、8月上旬くらいまでは月あかりの影響が少ないので、星の観察がしやすいでしょう。
それと星が見える方向ですが、南東の低い位置に赤い色の火星があります。南東よりやや南に暗い土星、南西よりも少し南寄りにかなり明るい木星、西の地平線近くに一番明るい金星という位置関係になります。見慣れた人ならば、星の色や明るさからすぐに見つけることが出来るかもしれませんが、初めての方は「これだ」と確信がもてないかもしれません。それぞれの星は、月の通る道(白道)の近くを通りますから、それを参考にすると見つけやすいかもしれません。
夜空に浮かぶ星空は、今も昔も同じです。古代に思いを寄せて、夜空を見上げてみましょう。
七十二候では
立秋の初候は、略本暦・宣明暦ともに、涼風至(すづかぜいたる)となっています。
次候は、略本暦では寒蝉鳴(ひぐらしなく)となっており、宣明暦では白露降(はくろ くだる)となっています。
また、末候は略本暦では、蒙霧升降(ふかききりまとう)となっており、宣明暦では寒蝉鳴(ひぐらしなく)となっています。
さて立秋では「寒蝉鳴(ひぐらしなく)」の話が次候と末候に出てまいります。
略本暦(日本の暦)でヒグラシが鳴くのは次項で、宣明暦(中国の暦)では末候にあるのが興味深いのです。単純に時間のずれを比較すれば5日間ですが、日本の方がわずかに早いことになります。
中国の宣明暦は、貞観4年(西暦862年)に採用されて、その後71年で改暦されています。一方日本では、遣唐使が廃止されて中国との外交関係もなくなったこと、さらには自国での暦が作れなかった事から、江戸時代初期までおよそ800年以上使い続けられていました。改暦が長期間行われなかったため、江戸の初期には二十四節気が2日間早くなってしまいました。このことも、多少影響したでしょう。
また、この他にも唐の都長安と江戸の緯度の違いが影響しているのではないかと推測します。
長安の北緯は34度くらいで、日本では末本先生の住む広島あたりと同じです。江戸は、北緯35.5度くらいですから、少し北にあるので秋の訪れは少し早かったのでしょう。しかし、海からの影響がある江戸は内陸性気候の西安よりは暖かいとも考えられるので、単純に緯度の比較は少々乱暴だったかも知れません。様々な条件を考慮して渋川春海が5日間早くしたのではないかと思います。皆さんは、どう思いますか。
涼風至(すづかぜいたる)
それでは七十二候の詳細を個々に見ていきましょう。
立秋の初候は、略本暦・宣明暦ともに涼風至(すづかぜいたる)となっています。
秋の訪れに相応しく「涼しいか風が立ち始める」という意味です。涼風と言うと、いかにも秋というイメージがわいてくるのですが、俳句の季語としては「夏」なのです。
寒蝉鳴(ひぐらしなく)
立秋の次候は、略本暦では寒蝉鳴(ひぐらしなく)となっており、宣明暦では白露降(はくろ くだる)となっています。
ヒグラシは、秋の季語なので、俳句の世界では、ここから秋なのかもしれません。
ヒグラシは、夜明け前や夕暮れ時のように薄明りの中で良く鳴きます。それゆえ「ヒグラシ」と名付けられたようです。暑い中でも鳴いているアブラゼミやミンミンゼミよりも、少し涼しい方が好きなのでしょう。7月の初めのニイニイゼミから8月の終わりのツクツクボウシまで毎日騒音レベルで鳴いていますが、ヒグラシの鳴き声だけはなぜか物悲しく響きます。
宣明暦では、白露降(はくろ くだる)となっていますが、末候の略本暦で蒙霧升降(ふかききりまとう)となっており、表現こそ異なっておりますが共に白露と霧という文字が用いられています。露も霧も、空気中に含まれている水蒸気が放射冷却などにより水滴になってできるため、基本的には同じです。
蒙霧升降(ふかききりまとう)
重複しますが末候は略本暦で蒙霧升降(ふかききりまとう)となっており、宣明暦では寒蝉鳴(ひぐらしなく)となっています。宣明暦の「寒蝉鳴(ひぐらしなく)」の方は、略本暦の次候と同じなので説明を省略します。一方の略本暦の方は蒙霧升降(ふかききりまとう)となっています。意味としては、「もうもうとした深い霧が立ち込める」というような意味です。
霧に似ているものに靄(もや)がありますが、本質的には同じものです。
見通し距離が1㎞未満を霧といい1㎞以上10㎞未満を靄というのだそうです。また、発生原因によって放射霧、移流霧、蒸気霧、前線霧、上昇霧などに分けられるそうで、発生場所や出来方でも呼び名が変わるそうです。いろいろあるのですね。
次候の白露は、空気中の水蒸気が冷えて水滴となり、葉などについた結露のことですが、末候の霧は、地面に近い空気が冷やされ水蒸気が凝結することで非常に細かな水滴となって空気中に浮かんでいる状態です。
霧・靄・露・・・どれも十干でいうと、癸(きすい)です。
夏が終わり陽から陰へと移り、空気が冷やされることで水蒸気が水滴や霧と言う形で目に見えるようになるのです。
生命を育む水は、どうやら陰の季節になると眼に見えるものになるようです。
五行で水は、知識・知恵を意味します。そうなると、私達の生命にとって一番大切なものは水であり、財ではなく、知識・知恵という事になるのです。
知識・知恵は夏の季節、どうやら若さから老へと移り変わる季節から、眼に見える形にいなるのかもしれません。
蜘蛛の巣は、虫だけでなく空気中の水蒸気もしっかり捕まえて、ビーズのようにきれいな水玉を作って姿を見せてくれます。
水蒸気が水玉になり、幾何学的な模様の水玉飾りをつくるなんて、ちょっと素敵ですね。