二十四節気 季節で感じる運命学《立春》 染谷康宏

 二十四節気 季節で感じる運命学、今回は「立春(りっしゅん)」です。立春の太陽黄経は315度です。太陽黄経が30の倍数であるものは「中」と言い、そうでないものを「節」と言いますが、立春は30の倍数ではないので「節」ということになります。

2019年立春の節入りは2月4日であり、2月18日までがその期間となります。また立春は寒が明ける時期であって、八十八夜や二百十日などの雑節の起点ともなっています。

 

今回の立春は、二十四節気の最初でもありますので、この折に二十四節気について改めて触れていきましょう。また正月節でもありますので、正月の意味についても再確認して行きたいと思います。

 

二十四節気

二十四節気を簡単に説明しますと、一年を四季(春夏秋冬)に分けそれを六分割して二十四に分け、それぞれに名前を付けたものです。こう書いてしまうといとも簡単にできたように思われてしまうのですが、現在の形になるまで、3500年もの月日がかかっているのです。

初期のものは殷(BC1600~BC1100年頃)の時代に作られたといいます。当時の考え方としては、影が最も長くなる日(昼間の最も短い日)を冬至、影が短くなる日(昼間の最も長い日)を夏至とし、両者の中間点である昼夜等分の日を春分・秋分として四季の中心を定めました。さらに冬至と夏至、さらに春分と秋分を分けて二至二分(にしにぶん)と呼んで重要視したようです。

次に出来たのは、立春、立夏、立秋、立冬の4つの節気です。二至二分が季節の中心を表しているのに対して、四立(しりゅう)は季節の始まりを表しています。二至二分と四立を合わせた8つの節気を「八節」として節気の柱にしたのが、西周(BC1100~BC770年)の時代です。それがさらに細分化され二十四節気となったのが春秋戦国(BC770~BC221年)時代だといわれているのです。

立春や啓蟄などの二文字の漢字で表されるそれぞれの名称は、二千年も前に「漢書律暦志」という書物の中に書かれていますから、かなりの暦史があるということです。

そもそも二十四節気は、太陰暦が実際の季節と大きくずれて農作業に支障が出てしまうことから、正確に季節を掴む目的から考えられたともいわれています。すなわち季節あるいは寒暖乾湿を正確に知ることが、豊かな実りを獲得する術であったという事なのです。

二十四節気はこうして中国で作られ、日本へは平安時代に入って来たと言われているのです。また、中国から移入された二十四節気や五節句のほかに季節を知る特別な暦日として、雑節が設けられています。誰もが知る節分やお彼岸などを含め9つあるのですが、これらは日本独特のもので、日本の気候風土の移り変わりをあらわしています。

 

旧正月

二十四節気が中国から伝えられ、明治時代に改暦されるまで、立春は旧暦(太陰太陽暦)の正月節でした。正月とは、ご承知のように暦の年初の事です。太陰太陽暦の時代には立春に最も近い新月の日を元日としていました。つまり立春当日が旧暦の元日であるという訳ではないのです。

又、日本の旧正月と中国における旧正月も違います。

現在の日本では、旧正月を盛大に祝うことはほとんどありませんが、中国では春節として盛大に祝っています。中国でも清朝が滅亡してからは、日本同様にグレゴリオ暦が採用されていますが、春節は国民の休日とされ、前後7日間がお休みとなるため中国人民の大移動が起こるのです。

ちなみに2019年の春節は、2月5日となっています。経済が急成長し豊かになった中国の人々は、この春節の休暇を利用し海外旅行に出かける事も多くなり、訪日客も急増するので日本の観光地では中国語を耳にすることが多くなるでしょう。旧暦で動く彼らのスタイルは、失われつつある日本の暦文化を改めて思い起こさせてくれます。

 

ところで、正しい月と書いて「しょうがつ」と読みますが、なぜ正月なのでしょうか。調べてみますと、中国の秦の始皇帝の降誕月を意味する「政月」が変化して「正月」となったという説があります。他にも「正」の字の元々の意味としてある「あらためる」という意味から「あらためる月=正月」となったという説もあります。

一方「立春」の「春」という文字は、会意形声文字という方法で作られています。漢字の成り立ちとしては、「艸」+「日」+音符である「屯」という形声文字からできています。個々に説明すると、「艸」は生えた草で、「日」は太陽、そして「屯」は冬の土に閉じ込められていた草の芽が土から芽を出そうとしている様子という事です。結果的に「立春」は春の始まりという意味になる訳で、ここから新しい年が始まると考えるようになったのです。

立春の頃を正月とすることを「正夏(せいか)」と言っていた時代がありました。夏(か)の時代には、夏王朝の正月と言う意味で「正夏」と呼んでいたのです。また殷王朝の正月は「殷正(いんせい)」、周王朝の正月を「周正(しゅうせい)」といい、この3つの正月の考え方を「三正」と言いました。つまり古代中国では、王朝の違いにより、3種類の正月があったようです。
夏の正月(夏正)は陰暦の正月で、殷の正月(殷正)は陰暦の12月、周の正月(周正)は陰暦の11月だったのです。何が何でも同じものにしまいという、意地のようなものを感じます。
暦は時の政治権力によって動くもので、不変のものではないということです。

 

暦便覧では

立春の暦便覧には、「春の気立つを以って也」と記されています。つまり春の気配(陽の気)が現れて来るので立春なのだと言うことになります。この日から立夏の前日までが、暦の上での「春」になります。

立春の前日は節分ですが、これも雑節の一つです。最近では、豆まきの大豆を食べるよりも恵方巻を食べる方が多いかもしれません。我が家では、子供が小さいころには鬼の面をかぶって豆まきをしたものですが、この頃はやらなくなってしまいました。その代わりになっているのが恵方巻です。コンビニなどでは季節を感じる定番商品になっているようです。

そもそも私が子供の頃には、恵方巻などはありませんでした。どこかのコンビニが仕掛けて流行らせ、バレンタインデーのチョコの戦略を真似たようです。

恵方巻の由来については諸説ありますが、「恵方」や「歳神様」など、古き良き日本文化に触れる機会になることは、嬉しいことですが、今年は、食品ロスなど様々な問題が言われていましたが、折角の縁起物、永く続いて欲しいものです。

 

立春となるこの時期の天気予報では、必ずと言っていいほど出てくるのが「春一番」です。ことしは、立春当日に北陸地方で春一番が吹いたというニュースがつい先日出ました。ご承知のように春一番とは、立春から春分の間に、その年に初めて吹く南寄り(東南東から西南西)の強い風のことです。北陸地方では、それが2月4日に吹いたのです。金沢市では、最大風速14.3m/sを観測したそうですから相当強い風でした。

関東地方でも春一番の可能性があったのですが、千葉や神奈川など広い範囲でかなりの風が吹いたものの、東京や埼玉では基準となる風速には届かなかったので春一番とは認定されませんでした。

 

二月の古い呼称は如月(きさらぎ)です。きさらぎは、衣更着(きさらぎ)とも書くそうで「着物を重ね着する月」だという意味だと言います。これから徐々に温かくなっていきますが、二月はまだまだ寒いです。インフルエンザに注意して、花だよりが届くのを楽しみに待ちましょう。