二十四節気 季節で感じる運命学 《小暑》  染谷康宏

二十四節気 季節で感じる運命学、今回は「小暑」です。

 

夏至から小暑へ、そして大暑へといよいよ暑さが本格化する時期です。梅雨も明けるこの頃は、「暑中見舞い」を出す時期でもあります。

携帯電話が普及した現在、紙ベースの暑中見舞いは、年賀状と共に消えていく運命にあるのかもしれません。
筆を手に取る風流人も、絶滅危惧種に指定されるかもしれません。だからこそ、その文化を大切にしたいと思うのです。

運命学の基本はリズムです。リズムとは季節の流れであり、四季折々の季節感を感じることこそが、運命のリズムを刻みます。

小暑

二十四節気の順番からいうと「夏至」の次で11番目。太陽黄経は、105度になります。2018年の小暑は、7月7日となっています。
暦便覧で見ると「大暑来れ前なればなり」と記されています。陽のパワーが最大だった夏至をピークとして徐々に陰へと傾いていくようになります。

今年の小暑は7月7日で、ちょうど七夕(たなばた)の日です。七夕は、江戸時代に幕府が公的な行事として定めた五節句の一つで、誰にもなじみ深い行事です。

因みに公的行事として定めた5つの行事とは、

  • 1月7日の七草の節句(人日(じんじつ)の節句)
  • 3月3日の桃の節句(上巳(じょうし)の節句)
  • 5月5日の菖蒲の節句(端午(たんご)の節句)
  • 7月7日の笹の節句(七夕(しちせき)の節句)
  • 9月9日の菊の節句(重陽(ちょうよう)の節句)です。

数字だけ並べると、 1 3 5 7 9

すべて奇数です。

奇数を陽の数字といい、勢いのある数字と捉えました。

 

七夕の歴史と由来

七夕は、陰陽五行説に由来して定着した伝統的な行事で、日本だけでなく中国、韓国、台湾などでも行われる節句です。

日本では、短冊を笹の葉に飾る祭りとして幼稚園児も楽しんでいる行事であり、いわば国民的な行事でその由来や意味を知っている人も少なくありませんが、改めて七夕の歴史と由来を振り返ってみましょう。

 

日本の七夕の歴史は古く奈良時代に遡ります。日本最古の歴史書である古事記の中に「多那婆多(たなばた)」という言葉が出てきます。正確には、「阿米那流夜 淤登多那婆多能 宇那賀世流(あめなるや おとたなばたの うながせる)」と書かれているのです。「多那婆多(たなばた)」とは、はたを織る機械或いは機織りする女性のことです。

当時中国の行事が日本に伝わり、それが7月7日に女性が手芸や裁縫などの上達を祈る行事(乞巧奠(きこうでん))と合わさって民間に広がり、現在の七夕行事になったということです。乞巧奠で使われる織機が棚機(たなばた)と呼ばれていたことが、時代の変遷とともに七夕(たなばた)へと変わっていったのではないかと言われているのです。

しかし一般的には、織姫と彦星の悲恋物語の方が有名です。7月7日に織姫と彦星が天の川に渡した鵲(カササギ)の橋で出逢うという話は、中国六朝時代に「天の河の東に織女有り、天帝の女なり。年々に機を動かす労役につき、雲錦の天衣を織り、容貌を整える暇なし。天帝その独居を憐れみて、河西の牽牛郎に嫁すことを許す。嫁してのち機織りを廃すれば、天帝怒りて、河東に帰る命をくだし、一年一度会うことを許す」と書かれており、これが現代に伝わる物語の原点だと言われています。

 

今風の物語にすると…

ある所に身を粉にして、髪振り乱して頑張っているキャリアウーマンがいました。
上司がそれでは可哀そうに想い、部下との合コンをセッティング。

幸せをつかんだキャリアウーマンが、「主婦になりたい!退職します!」といったら、上司が怒って夫を単身赴任にしてしまった!というお話。

周りの女性に聞いたら、「髪振り乱して仕事するっていうことは、そもそも仕事が好きだったんじゃないかぁ。1年に一度主婦やって、あとはLINEなんかで繋がりながら、ミセスの位置をキープしながら仕事続けられるんだから…悪くないんじゃない?!」というご意見

運命学とは、このように時代背景によって、解釈も大分変わるようです。(笑)

日本には遣唐使などにより、七夕伝説は伝えらえたと言われています。

実はこの七夕伝説、東アジアの国々には形は違いますが様々な形で伝えられています。短冊に願い事を書いて笹竹に飾るというのは、日本独自のものであり、江戸時代に誕生したようです。この風習は、夏越の祓えで使われる茅の輪の笹竹が使われていたとも言われています。

また五色の短冊は、陰陽五行の木・火・土・金・水にちなんだ緑・赤・黄・白・黒が使われたということです。
私達の伝統的な季節の祭りは、陰陽五行論に彩られています。皆様の小さな頃からの想い出に、陰陽五行説を見ることが出来るのです。

 

七十二候考察

小暑の初候は略本暦、宣明暦 共に「温風至(あつかぜいたる)」となっています。次項は略本歴で「蓮始開(はすはじめてひらく)」となっており、宣明歴では「蟋蟀居壁(蟋蟀(こおろぎ)が壁で鳴く)」となっています。末候は、略本歴・宣明歴ともに「鷹乃学習(たかすなわちわざをなす)」です。

 

温風至(あつかぜいたる)

まず小暑の初項は、「温風至(あつかぜいたる)」となっているのですが、意味としては「暖かい風が吹いてくる」という意味です。しかし温暖化が進んだ現代の日本では、暖かいというよりは暑いと言う言葉の方がぴったりです。

ただ暑いと言う表現は、体感温度を的確に表現するには物足りません。気象用語では、一日の最高気温を使い分け、最高気温が摂氏25度以上を「夏日」、30度以上を「真夏日」、そして35度以上の日を「猛暑日」と言っている訳です。私が子供の頃には、猛暑日はありませんでした。

小学校では夏休みの日記にその日の天気と気温を記録していたのですが、非常に暑い日でも33度が最高だった記憶があるからです。ですから猛暑日という言葉は、比較的新しい気象用語なのです。しかし、近頃では最高気温が40度という日も全国各地で記録されるようになっていますから、初候の「温風至」は、「熱風至」に改めなければならないかもしれません。

 

蓮始開(はすはじめてひらく)

小暑の次項について略本歴では、「蓮始開(はすはじめてひらく)」となっています。

略本歴に書かれた通り、この時期には全国のハスの名所で美しいハスの花を見ることができます。

ハスが花開くときポンと音がする、「その音を聞けば悟りが開け、地獄に堕ちず成仏できる」という言い伝えがあります。

それを信じている人は、もはやいないと思いますが、正岡子規の有名な句に
朝風に ぱくりぱくりと蓮開く
蓮開く音 聞く人か朝まだき

などがあります。

蓮と運という字は似ていますよね。

蓮を運と置き換えてみると、

朝風に ぱくりぱくりと運開く
運開く音 聞く人か朝まだき

勝手に文字を変えてしまい、子規に怒られるかもしれませんが、運命学解釈をしてみることに面白さを感じます。

ハスの花が咲いている期間は4日間と短命です。

4日目になると花びらはすべて散って、花托だけが残されます。花托の形がハチの巣に似ていることから「はち巣」→「はす」と呼ばれるようになったと言われています。確かに花托が茶色くなり種がこぼれた後は、穴の開いたハチの巣の様にも見えます。

ハスと言えば花も美しく食べても美味しいレンコン、人にとって有益な植物なのですが、それだけに留まらず驚異的な生命力に驚かされます。
千葉県の遺跡で発掘されたハスの実から発芽・開花した古代ハスは特に有名です。遺跡の中から3粒の種が発見されたのは、昭和26年の春の事です。その中の1粒が無事発芽・成長し、翌年7月に見事花を咲かせたのです。後に年代を調査したところ、2000年以上も前のものと推定され古代ハスとして世界的に有名になりました。

 

私の住む埼玉県でも古代ハスを見ることが出来ます。私もハスの開花を写しに何度も足を運んでいますが、早朝から多くの写真マニアが訪れていました。今回掲載のハスの花も、行田市にある「古代ハスの里」で写したものです。ここでは古代ハスだけでなく、世界各地のハス42種類も同時に見ることができるので必見です。

蟋蟀居壁(蟋蟀(こおろぎ)が壁で鳴く

小暑の次項宣明歴では「蟋蟀居壁(蟋蟀(こおろぎ)が壁で鳴く)」となっています。コオロギは、8月から11月ころまで鳴いていますが、暑い夏の時季には気温が下がる夜の間だけ鳴いています。日中の気温が下がると一日中鳴き、気温が15度を下回ると鳴かなくなります。私の個人的な感覚では、コオロギが鳴くのは夏も終わりに近づき秋の訪れを感じるころのような気がしています。秋も深まったころの我が家の庭では、耳が痛くなるほどうるさく鳴いているので、そうした実感があるのです。

気象キャスターの倉嶋厚氏は著書の中で、エンマコオロギの鳴き声を「カタサセ スソサセ サムサガクルゾ」と聞こえると言っています。

日本人は虫の声を人の言葉に置き換えて聞くことのできる数少ない人種ですが、私自身も季節感を感じる鋭敏な心を持ち続けたいものだと思います。

 

 

「鷹乃学習(たかすなわちわざをなす)」

小暑の末候は、略本暦・宣明暦ともに「鷹乃学習(たかすなわちわざをなす)」となっています。これは、鷹の幼鳥が羽ばたき空を飛ぶことを覚える時季ということです。

鷹は、例年5月〜6月頃に孵化するのですが、ヒナが成長し飛び方を練習するのがちょうどこの頃ということなのです。しかし、鷹が羽ばたき空を飛び始めるという行動が何故七十二候にあるのかが疑問です。

運命学への応用

我々現代人にとってのタカは、食物連鎖の頂点にたつ保護される存在の貴重な鳥類という認識になるのですが、古代より、飼いならし猟に使う鳥としても用いられてきました。

江戸時代における「鷹狩」は権威の象徴として意味合いもあり、同時に練武を兼ねたお殿様の遊びでした。そのため鷹狩を行う場所は、一般人の立ち入りが禁止されていました。私の散歩コースには、鷹匠橋と名付けられた橋があるのですが、付近が江戸時代に鷹のお狩場だったそうです。私は、この近辺で何度もオオタカを目撃しています。今回写した鷹も家のすぐ近くで撮影したものですが、生まれて半年ほどの鷹です。身近に鷹を見ることができるのは、とても幸せな事なのではないかと感じています。

鷹狩の歴史は古く、なんと紀元前8世紀アッシリア王の時代より行われ、日本書紀にも仁徳天皇の時代から行われていたといわれています。

鳥類の王者を飼いならすことができるのが王者の証拠

来年度の就職戦線もいよいよ終盤戦です。内定者もほぼ固まり、来年度までいかに彼らを繋ぎとめるか、ここからはそれがテーマになるでしょう。

鷹狩の法則からみると、社員全員を飼いならそうとせずに、その中心にいる人物を見定め一人を上手に飼いならすこと、これが常法になります。

その部下を上手に使いこなせれば、他社員への影響も大きいので非常に有利に移行します。

それには、「誰が鷹である」 鷹を見定めることから始めます。鳥類は一目瞭然ですが、人間の場合、外見から中々分からぬところが難しさです。

鷹の様に見えるがオウムの性格や、カナリヤのように見えるが鷹の性格など、見抜くのに難しさがあります。

そこで古代王が学者に研究させたのが、干支暦学です。この学術があれば読み解くことが可能です。

干支暦学とは、外見からは分からぬ人間の内面をターゲットに開発された理論だからです。

鷹の飼育の場合は、卵から育てるのは非常に難儀だそうです。
親鳥が育てた幼い鷹を、その翼が完全に成長するまえに飼いならす事が大切なようです。翼が成長してしまうと、自由に飛び立ってしまいます。
先ほどの 1 3 5 7 9の奇数理論を用いると、入社した1年目~5年目の間に見定めていきます。
そして、5年~9年の間に幹部候補として育成していきます。

但し、鷹は鳥類の王者だけあり、中々思い通りにはならず、自分に有利なものを利用する能力に非常に長けているといいます。
思い通りにいかないものに対しては、食うか食われるか、真剣勝負しかなく、真摯な態度で信頼関係を作ることが大切です。相手の立場になって考えながら、決して下座に座らず、常に上位に立ちながら心を通わせていくことが大切です。

面倒だったら小鳥を沢山飼った方が良いようにも感じますが、烏合の衆を管理するか、鷹匠の技を手にするか、それこそが経営者の器です。
何も自らが鷹匠になる必要はなく、有能な鷹匠を育てるという方法もあります。

いずれにしても、鷹は生まれた時から鷹ではなく、鷹としての教育を与えられることで鷹になるのです。