言志四録勉強会
小釣陽代さんのプレゼンテーションにて
学ばせて戴いたこと
「誰かを尊敬する」ことって
とっても大切なこと。
尊敬する気持ちとは、
自分を尊敬すること
自信をつけることにも繋がるから。
それでは、「尊敬する」とは、
具体的にはどのような事なのか、考えてみよう。
親を尊敬しなさい、
先生を尊敬しなさい。
と、子供の頃から教えられ、
社会に出ると、
上司を尊敬しなければならない、
社長を尊敬しなければならない、
と教育されて、努力する。
素直に相手を尊敬できれば、
ストレスを感じることなく、
清々しい気持ちになれる。
そうすると、
周りの人も清々しい気持ちになれて、
より良い人間関係が構築できる。
だけど、中々それが難しい…
どうしても、
相手の悪いところばかりが見えてしまって、
不満が出る、文句が出る。
尊敬できない。
そんな気持ちは伝播するから、
相手も私の悪いところばかりを見つけてしまい、
お互い様。
これでは人間関係は、悪循環するばかり…。
それでは、
どうすればいいんだろうか?
そもそも、「尊敬する」とは、どういうこと?
尊敬とは、謙虚な気持ち。
感情的に分解してみると、素直さと感謝の気持ち。
素直に感謝できる気持ち
それこそが「尊敬すること。」
どうすれば、
「素直に感謝する気持ち」になれるのだろうか。
まず、最初に心を整えることが大切だ。
どう整えるかっていうと、
周りからやってもらっていることを、
「当たり前」だと思い込んでいる
自分の心を自覚すること。
例えば、親の事業を継いだ。
跡継ぎだから、「当たり前」
夫が仕事で忙しい。
一家の主だから、「当たり前」
お母さんが夕食を作ってくれる。
お母さんなんだから、「当たり前」
子供が学校に通っている。
学生なんだから、「当たり前」
この「当たり前」の感覚を、
少し違う角度から捉えなおしてみよう。
冷静に考えてみると、本当にそうなのかなぁ。
本当に「当たり前」なのかなぁ。
誰が、お母さんが夕食を作るのを
「当たり前」だと決めたの?
誰が、お父さんが家族のために働くことを
「当たり前」だと決めたの?
誰が、後継ぎだから、事業を継承することを
「当たり前」だと決めたの?
誰が、子供が学校に行くのは
「当たり前」だと決めたの?
「当たり前」という意識が支配する限り、
人を敬うことなんて、絶対に出来ない。
「当たり前」を前提にしていると、
感謝の気持ちになんて、絶対に生まれない。
素直にありがとう!なんて口にできない。
例えば、
太陽が昇ってくるのを、
「当たり前」だと思うと、
太陽に感謝できなくなる。
雨が降るのが「当たり前」だと思うと、
雨に感謝できなくなる。
感謝せずに当たり前だと思っていると…
太陽が顔を出さなくなったり、
雨が降らなくなると、
天変地異だと慌てふためく。
子供が学校に行くのは
「当たり前」だと思っていると、
行かなくなると、
不登校だと、 登校拒否だと慌てふためく。
それと全く同じこと。
太陽の存在に感謝。
雨が降ることにも感謝。
学校に行く子供に感謝。
お母さんのご飯に感謝。
跡継ぎの存在に感謝。
頑張っているお父さんに感謝。
トイレットペーパーがあることに感謝。
毎朝手元に配られる新聞に感謝。
ボタン一つで世界の情報が
得られるスマホに感謝。
全てのものを敬う
素直な気持ちを持つという、
こころのトレーニングを毎日積めば、
こころが強くなるから、
バランスが崩れた時に、
気持ちを整えることができる。
台風が来ても、
仕事が上手くいかなくなっても、
失恋しても、
とりあえず、
朝日が昇ってきたことに感謝してみよう。
こころのバランスを整えることで、
未来へのエネルギーが沸いてくる。
自分の存在も「当たり前」ではなくなり、
自分が存在していることに感謝できる。
そして、「自分という存在」が何をすれば、
バランスを整えることが出来るか、
考えることが出来る。
それこそが、こころの強さなんじゃないかな。
何が起こるか分からない、これからの時代、
最も必要なことは、
「こころを整えること」
毎朝15分間の言志録を読む会は、
仲間との連帯感と、こころを整えてくれることに役立ちます。
山脇史端 with 小釣陽代&佐藤一斎