「運をあげる秘訣」とは、何かというと「運を下げないこと」であり、
その為には、いつ「運がピークであり、いつからが下りであるのか」を知ることが最も大切になります。
つまり、運の時期を知るにはどうすれば良いのか。
暦学では緻密な計算式で算出しますが、それを用いないで知る方法としては、
五感を研ぎ澄ませることであり、
その秘訣を、老子の道徳経ではこのように説明しています。(第六十三章)
爲無爲、事無事、味無味。
大小多少、報怨以徳。圖難於其易、爲大於其細。
天下難事必作於易、天下大事必作於細。
是以聖人終不爲大、故能成其大。
夫輕諾必寡信、多易必多難。
是以聖人猶難之、故終無難。
世の中に起きている問題は意外と些細なことから発しています。
どんな大問題も、その元を探ると結構些細な事であり、
それではその些細な事から問題を生じさせないようにするには
どうすれば良いかというと、
一つには、日ごろから五感をコントロールする力を養うこと、
それこそが、「無味を味わう」という感覚ではないか。
と、老子先生は述べているわけです。
日本食の味も、味を極限に抑制して「味わう喜び」を感じさせる無味となります。
日常の生活を味わう、
何気ない家族との会話を味わう、
ないようであるものに気づけるかどうかという繊細な感覚を養うことで、
運命の変化が感じ取れるようになります。
日本は自然災害の多い国なので、
天気予報もない時代、風を知る、葉の音を知るなど微妙な自然の動きに対して
敏感である必要もあり、
無味を味わうという繊細な感覚を身に着けてきたのではないでしょうか。
しかし多くの人たちが、それに気が付いても
自分を傷つけたくなくて、
自分に嫌な想いをさせたくなくて、
それに気づかぬふりをして見過ごしてしまいます。
折角感じ取った変化を見過ごさずに、対応できれば、
その時点であれば、運のコントロールは可能です。
嵐が来ることが予知できれば、動かずじっとしていれば良いのですから。
しかし気が付いても身動きできずにそのままでいると、
コントロールが出来なくなる。
何がコントロールできなくなるかというと、
混とんとした世界から浮かび上がれない状況から脱せなくなる。
それはなぜかというと、人間力が弱いからに他なりません。
それではどのようにして人間力を鍛えれば良いかというと、
老子曰く、「恨みをもっても徳で返す」という心構え。
こんなこと、中々普通の人はできません…。
確か聖書にも「右の頬を打たれたら、左の頬をだせ。」という言葉がありました。
これも中々できません…。
そこで、とりあえず、自分を強くするためには、
右の頬を打たれたら、左の頬を出してみたらよいのではないでしょうか。
「まずは、相手の怒りを一度受け止めてみる。」
最初に打たれたら、ショックと怒りが残るかもしれませんが、
二度目に打たれる事により、逆に冷静になっていきます。
そして打たれた方より、大きく傷ついているのは打った側です。
二度打たれた方は、冷静になり人間力は強まり、乗り越えることで自分の道が見えてきます。
そのように人間力を高めることが出来れば、
感情をコントロールすることさえ出来れば、
些細な問題にとらわれてしまう弱い自分から脱却出来るのではないかと思うのです。
中国哲理には、運命学のヒントが沢山あります。
まずは無味を味わう。
日々のささやかな幸せを、有難いと思う自分の感性を作りだしましょう。