易経とは、儒教の原点とされる四書五経の五経
易経・詩経・書経・春秋・礼記の冒頭にくる経典であり、
あらゆる事象(万物)を、陰と陽の64の組み合わせ(卦)に分け、
そこから説明(経)・解釈(十翼)を展開しています。
筮竹を用いるため「占い」だと勘違いされますが、
易経は宇宙哲理であり、卦の説明(経)と解釈(十翼)だけみても、
「いかに生きるべきか」という、生き方そのものの経典でもあるのです。
易経とは英語では、Book of Changes
つまり、変化の流れを読み解く経典という事になります。
一見複雑に思える人生は、良いことと悪いこと、陽と陰がリズミカルに、
波のように訪れるだけで、
良い事の波が来たら乗ればよいだけ。
悪い事の波が来たら乗らなければよいだけ。
ただそれだけの事…というのが易経の哲理 運命学の哲理です。
つまり、タイミングをどうつかむか、チャンスをつかむためには、
自然の摂理を観察し、行動を選択せよという教え。
例えば、易経には、
時止まるべければ即ち止まり、(止まるべき時には止まり)
時行くべければ即ち行く、(進むべきときには進む。)
動静その時を失わず、その道光明なり。
と書かれてあります。
これは誰しもが当たり前と思う言葉であり、これが的確に出来れば運勢を崩すことなどありません。
通常は、この「止まるべき時」が分からなくて失敗します。
例えば投資においても、どこが「止まるべき時であるか」が分からなくなる。
そして、いつ「進べきなのか」これも非常にわかりにくい。
今日なのか、明日なのか。
それとも来年なのか。
それとももう時期を逸したのか。
二者択一を求められた場合も、進むべき道が分かれば、
悩むことも、失敗することもありません。
つまり、変化のタイミングをつかみ、的確な判断を行うことが出来れば、
「動静その時を失わず、その道光明なり。(成功に導かれる)」となるのです。
「窮すれば即ち変ず。変すれば即ち通ず。」
ものごとが極まですすむと、そこに変化が生じてくる。
変化が生じるとそこに必ず新たな道が開かれてくる。(繋辞伝)
例え変化のチャンスを逸しても、物事が究極まで行くのを待つことさえ出来れば、
それは大きく変化をする。
つまり陰は陽に変じ、陽も陰に変ずるとあるのです。
そのダイナミックな変化こそが、
それまでとは全く違う新たな道になるのです。
しかし、この極の見定めこそが難しく、
今の状態は極のどのあたりなのか。果たして既に過ぎているのか。
自分自身がその状況にあるならまだしも、
相手を極に追い込む場合は更に分からず。
いったいいつが極なのか、
「まだまだ大丈夫」だとか、「もう限界」だとか、感情で判断すると、
タイミングをつかみ損ねてしまうのです。
その時期を見定めるのに、易経では筮竹を用いて答えを導き出そうとしました。
筮竹とは、50本の竹ひごのようなもので、それを決められた作法に乗っ取り選びだします。
ある意味偶然性、ある意味易者のスピリチュアルな感性。
だからこそ難しさがあり、
だからこそ諦めもつくのです。
その判断を偶然性に頼ることなく、
個人の命運を基礎データとして推測しようとしたのが、干支暦推命法です。
現在苦しんでいる状態が、極なのか。
それとも、まだその苦労が続くのか。
続くとしたらいつ頃まで続くのか。
その時期を推測する事を「神の啓示」を求めたものが筮竹であるとすれば、
干支暦に基づいて時を読み、統計理論で導きだして論理的に導き出そうとした学問が干支暦学です。
その導き出した結果のソリューションをどこに探ればよいかというと、易経を始めとする東洋古典です。
さて、私の来年の目標は「易経を活用したソリューションの考察」です。
また、亀山先生からは「東洋思想に於ける一元生命観」として、
古事記や仏教、中国古典を引用した運命論を学ぶ講座という提案も戴いています。
これは他のどこにもない大変貴重な講座であり、亀山先生にしか出来ない内容になります。
様々な研究を通して、来年も協会を発展させてまいりますので、宜しくお願い致します。