今回は「霜降(そうこう)」です。
霜降は、秋の最後を彩る節気、だからこそ、自然が美しく彩られる美しい季節でもあります。
霜降は、二十四節気の第18番目で、2018年の期間は10月23日から11月6日までとなります。太陽黄経は、210度になります。
実は前回の寒露のブログで、節気の終わりを10月23日までと書いてしまったのですが10月22日までが正解でした。10月23日は霜降の節入り日となっていて、1日間違えてしまいました。m(__)m
節入りとは
間違えついでに、ここで「節入り(せついり)」についてお話をしておきたいと思います。節入りとは、暦上の各月の始まりを言うのですが、年により違います。
二十四節気の節入りは、月日・時刻を定気法(ていきほう)や平気法(へいきほう)という手法で算出しているのですが、本ブログは定気法に基づいて投稿しております。
霜降
暦便覧では「露が陰気に結ばれて霜となりて降るゆゑ也」となります。
「寒露」では空気中の水分が露として結ばれますが、「霜降」では陰の気がさらに強くなり、霜が葉に降りるようになる」と記載されているのです。
この時期に初霜が降りるのは、旭川や札幌など北海道地域に限ってのことで、地球温暖化が進んだ現在の東京で霜が降りるのは12月になってからになります。
しかし今年は、寒さの到来が少し早いようで10月20日には仙台市で初霜を観測しています。
気象庁の古い記録を読んでみますと明治10年の東京の初霜は10月25日とありますから、140年前であれば「霜降」のこの時季に、霜が降りるのは割と普通の気象状況だったようです。
七十二侯
それでは七十二候について触れていきましょう。
始めに初候です。略本暦(日本)では、霜始降(しも はじめて ふる)であり、宣明暦(中国)では、豺乃祭獣(さい すなわち けものをまつる)、
次候の略本歴では、霎時施(こさめ ときどき ふる)となっており、宣明暦は、草木黄落(そうもく こうらくす)となっています。
また、末候の略本歴は楓蔦黄(もみじ つた きばむ)となり、宣明暦は蟄虫咸俯(ちっちゅう ことごとく ふす)となります。
初候
略本暦(日本)では、霜始降(しも はじめて ふる)ですが、これは「霜が初めて降りる」と言う事を言っている訳で、霜降そのものです。
「霜が降り始める頃ですよ」と表現することで、農作物が霜の害を受ける前に収穫するよう知らせたり、霜除けの対策を講ずるよう注意する意味も含んでいます。
ところで霜は空気中の水蒸気が冷えて氷の結晶となることを言う訳ですが、どのような条件の時に霜ができるのでしょうか。その条件はいくつかあるようです。
一つ目は、晴れて放射冷却が起きる事
二つ目は、外気温が低くなること(地面の温度が0度以下)
三つ目に、無風もしくは風が弱い事です。
逆にこの3つの条件の一つでもないと霜はできません。
その為、霜を嫌う農家が利用しているのが茶畑の扇風機です。地上数メートルの位置に扇風機を設置して、風を起こし、地表面より暖かい空気をお茶の木に送ることで霜の害を防いでいるのです。
また霜とは別に、地面が冷えてできるものに霜柱があります。霜柱は、霜よりも更に気温が低くなる必要があるのですが、気温の他に土壌にも必要条件があります。
空気中の水分が凍る霜とは違い、霜柱が生成するには、土中の水分の他に、土の成分も条件が必要です。つまり単純に、寒ければ霜柱ができると言うものではないのです。土が毛細管現象で水を補給し続けていくことが必要で、この毛細管現象を成立させるためには、土の中に火山灰を含んでいなければなりません。
関東平野はその条件を持つ代表的な土地になります。関東平野の他にも中部地方や東北南部地域の平野なども、こうした条件を備えている所があります。
私は住んでいる埼玉県では、霜柱は冬の定番として馴染みのある自然現象なのですが、意外にも全国どこでもできる訳ではないようです。
こうしてみると、日本国内のある程度限られた地域にしか起きない自然現象であるが故に、略本暦には霜柱という自然現象が出てこなかったのかも知れません。
宣明暦の中にも霜柱は出て来ていませんから、中国でも霜柱は一般的ではないのかも知れませんね。
初項の宣明暦(中国)は、豺乃祭獣(さい すなわち けものをまつる)です。その意味は、豺(さい)が獣を祭るというものなのですが、「さい」の意味も「さい」が何を祭る
のかも見当がつきません。
ここで言う「さい」とは、頭に角のある「サイ(犀)」ではなく「山犬」のことで、この「さい」が獲物を数えながら並べて食べるという意味になります。山犬が獲物を並べ神様にお祭りすると言う事は実際にはないでしょうから、比喩的表現であることは間違いありません。
山犬には獲物を捕らえてもすぐには食べない習慣があり、それがあたかも人間が獲物を供えて先祖を祀るのに似ていると言う事を例えて表現したのでしょう。また、古代中国の人々は、季節の節目に見かける動物の行動を、「神様を祀る行為」に見立てることもあり、その比喩かもしれません。
立春の初候でも、カワウソのようすを「魚を祀る」、処暑の初候にはタカの様子を「鳥を祀る」という例えをしています。人間と同じく、動物たちも自然に感謝しながら生きる姿が、七十二侯には描かれているのです。
次候
次候の略本暦は、霎時施(こさめ ときどき ふる)です。
小雨がしとしと降るという意味になりますが、「霎(こさめ)」は日常生活では見慣れない文字です。雨かんむりに妾と書くのですが、音読みは「ショウ・ソウ」、訓では「こさめ・しばし」と読みます。意味は「こさめ」「通り雨」「しばし」「またたく」といった意味になります。霜降になると、小雨が降り一雨ごと冬に近づいていくという事を示すものです。
宣明暦では、草木黄落(そうもく こうらくす)となっています。草木の葉が黄ばんで落ち始める意味になるのですが、確かに紅葉の便りを多く聞く時期です。
この草木黄落の出典は、中国古代に編まれた「礼記」の月令の季秋之月にあります。
原文は「是月也,草木黃落,乃伐薪為炭。蟄蟲咸俯在內,皆墐其戶。・・・。」であり、その意味は、「この月は、草木が黄葉し葉を落とす時期である。木々を伐採して炭作りの準備をする。虫たちはみな、地中に潜り、出口を泥でふさいで戸を閉ざす。・・・」です。
ここで気になるのは、「黄落」です。
日本では、葉が色づくのを「紅葉」といいますが、昔の中国では「黄葉」と表記されることが多かったようです。中原から西域にかけては、ポプラ並木は良く見る風景で、秋になり目に付くのは黄色の葉が多かったのではないかと想像します。それ故漢詩の中には「黄葉」という言葉が多く見られ、古い時代の日本にも少なからずその影響があったようで、その後時代の変遷を経て、現代のように紅葉という言葉に変わっています。
礼記
さてここで草木黄落の出典である「礼記(らいき)」について触れておきたいと思います。
礼記とは、孔子の唱えた四書五経の一つで、礼についての注記が記された書物です。
周から漢にかけて儒学者がまとめた礼に関する書物を、前漢の学者である戴聖(たいせい)が編纂したものです。儒教の中で有名なのは、宋代になって生み出された「大学」と「中庸」ですが、これらは元は礼記の中の大学編と中庸編として編纂された経緯があります。礼を重んじる儒教の中で大切に扱われたのが礼記の「月令」です。この中に草木黄落も出て来ます。
末候
末候の略本暦は、楓蔦黄(もみじ つた きばむ)です。意味は、モミジやツタが黄葉するということですが、ここでも葉の色は黄色です。
紅葉は気温が8度以下になると始まって5度以下になると一気に色づきが進むのですが、葉が黄色くなるのは黄色の色素であるカロチノイドによるものです。気温が下がり日照時間が短くなると、緑色の葉の基になっているクロロフィルが分解されて、カロチノイドが目立ってきて葉が黄色く色づくのです。
一方赤くなる場合には、気温の低下と日照時間が短くなる条件は同じですが、葉の中で光合成が行われ、この時に作られた糖がタンパク質と化学反応しアントシアニンと言う色素が作られることによって赤くなるのです。
最後に末候の宣明暦は、蟄虫咸俯(ちっちゅう ことごとく ふす)となっています。
意味は、虫がみな穴に潜って動かなくなると言う事です。これも「礼記」の月令の季秋之月の中に出て来るので草木黄落と同じです。
霜降の次は立冬となり、季節もいよいよ冬に入るので気温はどんどんと下がっていきます。
しかし、地中温度は昼夜でも差がなく一定で、安定しているので本格的な冬になる前に虫たちは地中に潜るのです。
ここでいう「蟄虫」とは、「冬ごもりのできる虫」という意味であり、「咸(かん)」は「おしなべて」や「みな・ことごとく」と言う意味、「俯(ふ)」は、「俯く(うつむく)」や「身をかがめる」などの意味を持っています。
また「蟄虫」は七十二候の中に、立春の次候 宣明暦に蟄虫始振(ちっちゅう はじめて ふるう)があり、啓蟄の初候に蟄虫啓戸(ちっちゅう こを ひらく)があります。さらには秋分の次候に蟄虫坏戸(ちっちゅう こを はいす)があり、霜降の末候に蟄虫咸俯(ちっちゅう ことごとく ふす)となります。
つまり春と秋にそれぞれ2候づつ、虫の活動を表現した候があるのです。
虫とは、古い時代にはすべての生き物を「虫・蟲(むし)」と呼んでいました。つまり、私達も虫です。その中で、「冬ごもりできる虫」は地中にこもるようです。
あなたは、冬ごもり出来る虫ですか?いつまでこもるかというと、2019年3月5日の啓蟄まで。
今まで読めなかった本を読んだり、勉強をするには最適な季節です。
充電の季節が始まります。
染谷康宏