《小寒》七十二侯 染谷康宏

初候

小寒の七十二節気の初候の期間は、2019年は1月6日~9日までになります。

略本暦(日本)では、芹乃栄(せり すなわち さかう)となっています。直接的には、セリがよく生育していると言う意味になります。

セリは、春の七草の出てくる植物でありますので、誰もが知っている野菜でしょう。

七草粥があるこの時期ならスーパーマーケットなどでも簡単に入手することができるのですが、私が子供のころは野生のセリを自ら摘んで食べるのが普通でした。

昔の田んぼは今のように乾田化されていなかったので、セリが良く生育していました。もちろん真冬の今頃はまだセリ摘みはできません。3~4月の田植え前のころになると大きくなって摘み取ることができるのです。セリ摘みは、子供の役目とされることも少なくなかったのですが、毒ゼリがあるので間違えて取ってこないように良く教えられました。子供の目から見ると、キツネノボタンという有毒植物がセリに良く似ていて間違えやすいのです。気温が低い時の野生のセリは、葉を横に広げた姿をしています。4~5月になり気温が上がってくると葉も育って上に伸びてきますが、気温の低い時期の小さなセリの方が強い香りがします。今では好きな野菜の一つですが、子供のころはあの香りと味がとても苦手でした。

 

次の宣命暦(中国)は、雁北郷(かり きたにむかう)です。雁が北に渡り始めるという意味になります。

七十二候には、「鴻鴈」あるいは「雁」という言葉が6か所に出てまいります。

改めてここに書きあげますと、宣命暦では二十四節季の雨水にある「鴻雁来」、白露の「鴻雁来」、寒露の「鴻雁来賓」、そして小寒の「雁北郷」の4つです。そして略本暦には清明に「鴻雁北」と寒露の「鴻雁来」の2つがあるのです。宣命暦と略本暦併せて百四十四ある 節気のうちの6つですから多いとは言えないかもしれません。しかし野鳥の移動は季節の変化を捉える兆候として、誰もが目にするものなので分かりやすく節気の表現に多用されたのでしょう。

 

次候

次候は、1月10日~14日までです。まず略本暦(日本)ですが、水泉動(すいせん うごく)となっています。この候は、冬至の末候の宣命暦にあった「水泉動」と同じです。もちろん意味も「地中で凍った泉が動き始める」で全く同じになります。

一方の宣命暦(中国)は、鵲始巣(かささぎ はじめて すくう)です。カササギが巣を作り始めるという意味です。日本のカササギは、10月ころ巣作りの場所を探しはじめ春先まで巣作りをするようです。中国のカササギがいつ頃巣作りをするのはっきりとは分かりませんが、国内と大差はないでしょう。

カササギは、カラスの仲間で色も黒いのですが白い部分も多くツートンカラーで見た目はとてもきれいな鳥です。また中国語では「喜鹊」と言い、喜びという文字が入っていて吉兆のシンボルとされ好かれている鳥です。

また七夕伝説でも、織姫と彦星がカササギ作った橋のおかげで会えるようになった話は有名です。これが日本に伝わって有名な句に結び付くのです。

言わずと知れた大伴家持が詠んだ「鵲の渡せる橋に置く霜の 白きを見れば夜ぞ更けにける」という一句です。しかし、大伴家持が生きていた時代、カササギが日本にはいなかったのではないかと言われています。今でこそ日本国内でもカササギはみられるようになりましたが、九州の有力大名によって持ち込まれるまではいなかったのです。鳥には羽があってどこにでも飛んで行けるような気がするのですが、意外と狭い範囲でしか繁殖しないからです。

 

 

末候

最後に末候ですが、1月15日~1月19日までが期間となります。

略本暦・宣命暦ともに雉始雊(きじ はじめて なく)となっております。我が家の周りでも犬と一緒に散歩をしていると、結構な確率で雉に遭遇し鳴き声も良く聞くことができます。この候の意味としては、「オスの雉が鳴き始める」ということになります。オスの雉が甲高い声で鳴くのは春先で、自分の縄張りを主張するためだと言います。メスも鳴くことは鳴くのですが、オスの様には鳴きません。「きじ はじめて なく」は、やはりオスの鳴き声を意味しているのでしょう。

雉の漢字については、以前説明していますので今回は名前について触れてみたいと思います。

キジという名前は、「キギシ」から来ているのだそうです。キギシの「キギ」とは、鳴き声の事で、「ス」はカラス、ウグイス、ホトトギス、カケスなどと同じように鳥を表す接尾語。つまりキギとなく鳥というのが名前の由来です。今ではケーン・ケーンと鳴くと表現されますが、あの大きな声をキー・ギーと表現しても違ってはいないような気もします。

また、雉は日本の国鳥なのですが、いまだに狩猟の対象になっているのは、ちょっとおかしな気がします。しかし国鳥に選ばれた理由の一つに「狩猟鳥としてなじみが深いから」という理由があったと言いますから、いた仕方のないことなのでしょうか。

 

七十二候をみていただきますと、一陽気起こる故に陰気に逆らう故、益々冷える也という季節の中に、春陽の光を感じることができます。昔の人の自然観察の感覚のすごさです。

感性を高めるには、自然観察力を高めることであると言います。

寒い寒いと凍えてばかりいないで、その中の春の兆しを見つけることから始めたいと思います。

次回はいよいよ大寒です。そして立春となります。春はもうすぐそこに来ているのです。

 

染谷康宏