革新的なヘレニズム時代の哲学思想(山脇史端)

当協会の先生方が様々な角度から考察して下さるお陰で、多角的な視点から《暦と運命学と歴史》を捉えて戴けているかと思います。

運勢を上げたければ!是非当協会のブログを継続して読んで戴けたらと思います。

《幸せになる道》は永遠のテーマであり、先人達がたくさんのヒントを残してくれています。その足跡を辿ることで、《運命》について考えていきたいと思っております。

 

未来を考察するには、歴史から・・・

さて、久しぶりに・・・《歴史からみる運命学》、私の話を綴りたいと思います。

前回は、世界初のグローバリゼーション《ヘレニズム》についてお話ししました。久しぶりなので、Reviewされる方はコチラを参照下さい。

ヘレニズム(ギリシア文化)は、ローマ帝国に深く浸透していきます。

西洋思想とは、ヘレニズム+ヘブライズムという構造です。この流れをご理解戴く為に、ヘレニズムの考え方をもう少し追いかけて参ります。

 

ローマ帝国

ローマは、東方にはペルシャ大帝国があり、南方にはアレクサンドリアを擁するプトレマイオス朝のエジプトがあり、西方には海洋貿易で繁栄していたカルタゴがあるという、列強に囲まれた小さな都市国家として地中海に誕生しました。最初からあの《偉大なるローマ帝国》ではなかったのです。

強力な列強に囲まれた小さな国の文明は、宗教的にも科学的にも芸術的にも、全てギリシャに発するヘレニズム文明の延長線上に成立していました。

もちろん、ローマにも建国神話があり、ロムルスとレムスの双子の孤児が狼に育てられ、王朝を開いたという話は有名ですが、同時に彼らはギリシャ人の子孫だったという逸話も残されています。

アレクサンドロス大王が行った東方遠征のグローバリゼーション(紀元前336年~323年)から、エジプト最後の女王、プトレマイオス朝のクレオパトラが毒を煽るまでの300年間を、ヘレニズム時代といいます。この時代、ギリシア語が共通語になり、多様な文化交流が行われました。

アレクサンドロス大王は、征服した国から恨みを買われないように、その国の女性と結婚する人種融合政策を行いましたが、それは当時としては、非常に稀有な発想です。当時の常識は、征服した国の民を奴隷化するのが常識であり、逆に奴隷市場での利益こそ、戦利品の重要項目でした。

《人間とは何か?》《自分とは何だ?》という哲学が生まれた背景には、奴隷制度があったのです。

征服した国の民は、奴隷として売られていきます。つまり、もともと自由に暮らしていた人々が、戦に負けた事により、手枷足枷をはめられ、奴隷という身分になるのです。

今は奴隷を使っている身分でも、明日には自分が奴隷になる事もあるのです。この奴隷制度はギリシャがポリス時代からあり、ローマ帝国に引き継がれていきます。

今までの歴史は、グローバリゼーションが拡大するにつれて貧富の差が激しくなり、奴隷制度が明確化されました。

今起きているグローバリゼーションは、人権問題が擁護され、奴隷制度が表面的には認められていない初めての時代です。人類は進化しているか否かの試金石であり、だからこそ世界中が混迷を極めており、ギリの所でどうにか維持させようと苦悩しているようです。

 

ヘレニズム時代の哲学

ヘレニズム文化の中心は、アレキサンダー大王がエジプトに築いたが新興都市アレクサンドリアです。

アレクサンドリアは学術都市で、数学や天文学、医学など科学の書籍、70万冊を収集した立派な図書館が建てられました。

アレクサンドリアが建設された紀元前332年とは、中国では戦国時代、日本は古墳時代となります。

哲学だけはアレクサンドリアでは人気がなかったようで、哲学の中心地はアテネに残されます。

この時代、どのような考え方が登場したのか、ヘレニズム時代の哲学をみてみましょう。

これは東洋思想を学ぶ時の比較対象として面白いので、簡単にご紹介しておきます。

 

キュニコス学派

ソクラテスの弟子、アンティステネスが創始者です。キュニコスとはギリシャ語で「犬のような」という意味です。

つまり、全くの無欲で無所有で、社会規範にも捉われず「犬のように」生きることを提唱した、かなり独特の考え方の学派です。
財産も地位も名誉も、健康も全て運頼りというはかないものであり、そんなものを最初から全く求めない生き方こそが幸せであると提唱し、「犬のように暮らしなさい」と提唱しました。
食べ物も犬のように手づかみ、住まいも犬と同じく樽の中、布一枚のほぼ裸体、そして公然の前で女性と交わるという、なんともはやここまでやるのか!という考え方で、プラトンもドン引きしたとか。

 

ストア学派

開祖は、プラトンのアカデメイアでも学んだゼノンです。

このストア学派が、ヘレニズム時代の中心勢力となり、西欧の思想の根幹を作り上げていきます。

この考え方の特徴は、神という言葉を使わず、「ロゴス」という言葉を用いた事にあります。ロゴスとは何かというと、「自然法」であり、不変の法則です。

分かりやすく言うと、病気や死などの自然過程のすべては、普遍的な自然法《ロゴス》と共にある、という考え方で、先ほどのキュニコス学派をかなり洗練させた自然主義的な考え方です。

人生とは、自然との調和のうちに生きることだと説きました。

病気になるのも、死ぬのも必然だから、どんない辛い状況に陥っても焦らず、悪あがきせず、生まれた時からの宿命と思い、静かに受け入れるべきと唱えました。

歴史を経ると、このロゴスはキリスト教に影響を与え、世界を構成する《神のことば》という意味になり、イエス・キリストを指す言葉として新約聖書に登場します。

ちなみに、新約聖書は紀元1世紀~2世紀に成立した文書で、原書はギリシャ語です。
旧約聖書=ヘブライ語、新約聖書=ギリシャ語という構造を捉えて戴くと、ヘレニズム時代の思想がキリスト教へ影響を及ぼしたことがお分かり戴けるかと思います。

 

エピクロス学派

快楽主義と言われていますが、そういうと、肉体的な快楽?と思いがちですが、そうではありません。

本質は、精神的快楽を重視しています。

エピクロスは紀元前324年、エーゲ海のサモス島に生まれました。アリストテレスの誕生から42年後・ソクラテスが亡くなってから60年後になります。

家庭は貧しく、上流階級出身の哲学者達からはバカにされながらも、勉学にいそしみ、32歳の時に庭園のような学校を設立し、ほとんどここを出ることなく《隠者》としての生き方を全うして72歳で没したと伝えられています。ストア派がスター的存在だとしたら、このエピクロス学派は質素倹約、隠れた生き方を提唱する学派でした。

人間は、物質でできている。つまり、死んだら魂も感覚も消滅するから、痛みも苦しみもなくなる。
だから死も死後の世界も恐れることはなく、不安に思わず、今を生きよ!という説を唱えた学派です。

このエピクロスの自然思想の特徴は、デモクリトスの原子論に基づいています。

当時のギリシャ科学では、自然界は少数の元素から成立しているというのが常識でしたが、デモクリトスの原子論は、1種類の基本要素《原子》から構成されているという、当時では画期的な意見です。ちなみにアトムとは、ギリシャ語で「それ以上分割できないもの」という意味です。

 

デモクリトスの原子論

デモクリスの原子論とは、《これ以上小さくならない物質である、原子と空虚から世界が成り立っている》という考え方です。すごいと思いませんか?重力波の存在を予見していたような考え方です。

無限に存在する原子が、無限の空間から落下し、相互に衝突しあって結合する事で物質を構成している。としたのです。

ちなみに、デモクリトス(紀元前460~370)は、ペルシアの僧侶やエジプトの神官に学び、エチオピアやインドにも旅行したと伝えられています。

この天才的な論理、実はプラトンに敵対視され、プラトンが彼の書物を焼いたから残っていないと言われています。

プラトンのイデア論とかぶっているといえば、かぶっており、微妙だったのでしょうし、プラトンの人間臭さが感じられます。

しかし、当時の哲学界の第一人者プラトンの嫌がらせにもめげず、デモクリトスは、何と100歳という驚くほどの長寿でした。
非常にお気楽で明るい性格だったらしく、多くの批判を受けたにも関わらず《笑う哲学者》というあだ名で天寿を全うしたようです。

エピクロス理論とは・・・

さて、このデモクリスの考えをとりいれた、エピクロスの理論を紹介します。

原子と真空だけで他には何もない。
太陽も月も人間も昆虫も全て原子でできていて、そこに上下の差はない。
宇宙は人間のために、あるいは人間を中心に創り出されたものではない。
平和で豊かな楽園のような原始時代など存在せず、人類は食うため、食われないために闘争を重ねてきた。
霊魂は滅び、死後の世界など存在しない。
天使も悪魔も、幽霊も存在しない。
組織化された宗教は、迷信的な妄想でしかない。
人生の最高の目標は、喜びを高め、苦しみを減じることである。
喜びにとって最大の障害は、妄想である。
物の本質を理解することは、深い驚きを生み出す。

岩波文庫「物の本質について」(樋口勝彦訳)

物凄く革新的な理論ではないでしょうか?これ、今から2400年位前の理論なのです。

こんな事を言ったものだから、エピクロスは300冊以上の書物を書いたといわれていますが、現在に伝わるものは一冊もなく、彼の思想を伝える唯一つの書籍が、ローマの詩人ルクレティウスの「物の本質について」という著書のみです。

「現世の苦しみは天国に行ったら救われる」と説いたキリスト教徒にとっては、何としても抹殺せねばならない理論だったのです。

如何でしたでしょうか? 自由都市が繁栄した時代、人々は自由にものを考え、議論し、このようなことを考えていたのです。

その後、帝国時代に入ると自由に考えて論議することは抑制されるようになります。

人類は進化しているといいますが、眼に見えるものは進化していますが、精神は退化しているのかもしれません。

これから迎えるAI時代、人類の精神論は、どう進化するのでしょうか?

最後に、健康の定義についてWHO憲章では、その前文の中で、次のように定義しています。

Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity. 

健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが
満たされた状態にあることをいう。(日本WHO協会訳)

自由も同じことで、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも自由な状態となります。セクハラやパワハラ・・・私達の今の社会が本当に自由かというと、皆様はどう考えるでしょうか?

(宋師範 山脇史端)