啓蟄は、二十四節気の第3節に当たります。冬眠していた虫が、春の訪れを感じて土の中から這い出てくる頃という意味です。そして春雷が虫たちを目覚めさせるのです。地面の下にいる二匹の虫の上に春がやってくると「蠢(うごめ)く」と言う漢字になるように、啓蟄とは春の訪れを虫の動きを借りて表した言葉なのです。
3月に入ってからは、雨の降る日が多くなりました。関東地方の冬は、約8割が晴天日なのですが、雨が降り始めるようになると冬が終わり春となるのです。
3月下旬から4月上旬にかけて降り続く雨を「菜種梅雨(なたねづゆ)」とも言うのですが、これは関東から西の地方で良く見られます。これは春になると移動性高気圧と低気圧が交互に北日本を通るために起こるのですが、高気圧が日本列島の北を通ると南や西の方に前線ができて雨が降るのです。ですから高気圧におおわれた東北や北海道にはこうした雨は降りません。菜の花が咲く頃の雨であることから「菜種梅雨」なのですが、別名では「催花雨(さいかう)」とも言うのです。菜の花をはじめ、さまざまな花を咲かせる雨だという意味です。乾ききった大地がこの雨でしっかりと水分を含み、植物の芽が急に伸びてやがて花が咲くからそう呼ばれたのですね。
暖かさを実感しながら、啓蟄の七十二候について触れていきましょう。
初候
まず啓蟄の初候ですが、期間は3月6日から3月10日までです。
初候の略本暦(日本)は、蟄虫啓戸(ちっちゅう こを ひらく)となっています。これは、「すごもりのむし とをひらく」という別の読み方もあります。この候には、啓蟄の漢字2文字が入っていますが、意味は土の中で冬籠りをしていた虫が地面の上に出て来るという意味で「啓蟄」と同じです。
二十四節気の「立春」では、まだ虫が動き出すという表現まででしたが、啓蟄では穴をあけて外に出て来るようになります。立春の時期よりもさらに暖かくなったということです。
今日の昼間は、気温が高く18℃に届きそうなほど温かく、庭を歩いていますとナナホシテントウがあちこちから這い出してくるのを見かけました。枯れ葉の下で越冬していたものの、暖かさにつられて這い出してきたのでしょう。ナミテントウと違って、ナナホシテントウは群れて越冬しないので色々な場所に隠れていたという事なのでしょう。
前回、二十四節気の啓蟄のブログでテントウムシの寿命は2か月程度と書いたのですが、それは温かくて活動が盛んな時期でのことなのです。越冬しているこの時期では、じっとして動かないので長く生きているようです。今日動き出したナナホシテントウは、たぶん去年の秋に生まれたものでしょうから、結構長生きですね。漸く冬眠から覚めて活動を再開したナナホシテントウですが、夏にも活動を休止(夏眠)するというのですから、面白い虫です。
ところで「蟄虫(ちっちゅう)」については、立春の七十二候の次候・宣命暦のところでもご説明したので重複しますが、七十二候の中に多く出て来る部分でもありますので再掲したいと思います。
七十二候の中には、宣命暦の部分で立春の「蟄虫始振」、秋分の「蟄虫坏戸」、そして霜降に「蟄虫咸俯」の3か所に蟄虫が出てきます。また略本暦では、今回触れております啓蟄の初候「蟄虫啓戸」があり、秋分に「蟄虫坏戸」が出てくるのです。つまり合計して5つの「蟄虫」が出てくるのです。この他にも虫は出て来ますが、それは虫が人の近くに多く棲息している事や、虫の生態が季節の変化を強く感じさせてくれることから登場回数が増えたのではないかと思います。
初候の宣命暦(中国)は、桃始華(もも はじめて はなさく)です。文字とおり、桃の花が咲き始めるということです。
桃は、桜に比べると花の色が濃く華やかです。我が家の桃は、アンズと桜(ソメイヨシノ)の間あたりに咲くことが多いのですが、年によっては桜と一緒の開花になってしまう事もあります。だいたい3月下旬には、濃いピンクの花をいっぱい咲かせます。花はやがて実が付くのですが、ほとんどの花に実が付くので摘果してやらないと食べられる桃はできないのです。去年は、摘果の甲斐もあって桃が大きくなり食べ頃になったのですが、あっという間にカラスにすべて食べられてしまいました。カラスはとても賢く、食べごろを良く知っています。ずっと見張っている訳にもいきませんから、残念ですがカラスのデザートになってしまうのも致し方ないです。
次候
次候は、3月11日から3月15日までです。
略本暦(日本)は、桃始笑(もも はじめて わらう)です。初候の宣命暦の方は「桃始華」で桃の花が咲き始めると言う意味だと書きましたが、「桃始笑」も桃の花が咲き始めるということで意味は同じなのです。
次候の方では、花が咲くことを「笑う」と表現しています。「咲」を「さく」とい読むのは訓読みで、音読みでは「ショウ」と読みます。咲は、笑の古字だといいます。漢字の成り立ちを調べて見ますと、旁(つくり)にある「关」は髪を長くした巫女が両手を挙げて舞い踊る姿を表していて、神様を楽しませることから笑うという意味になり、後に「关」に「口」を合わせて咲くという字ができているのです。このようなことから「咲」と「笑」は同義で使われ、ともに花が開くという意味としても使われるようになったのです。ついでながら「笑」という漢字は、「咲」と同じで巫女が両手を挙げて舞い踊る姿を現したものなのです。そうです「笑」も「咲」も元々の成り立ちは同じなのです。「夭」は巫女であり、竹冠は、巫女が両手を挙げている手の部分なのです。面白いですね。
このような背景から、つぼみが開き花が咲くことを「笑う」と表現し「桃始笑」とされたのです。俳句で春の芽吹きや燃えるような明るい山々を「山笑う」と表現したりするのも同じ理由なのです。
ところで桃と言えば、桃太郎を思い出すのですが、絵本の桃は先端がとがっていますよね。私は、このことがずっと不思議でした。なぜなら日本で売っている桃は、皆一様に丸くて尖った部分はないからです。
でも、私は中国に行ったとき先端がとがっている桃が売っているのを目撃しました。やっぱり先端がとがった桃はあったんだ、そう思いました。中国料理の桃饅頭もそうしたことから、先がとがっているんだと納得したのです。
日本の桃が丸くなったのは、明治時代だそうです。元々は中国から伝わった桃ですが、その後品種改良されて現在のような丸くておいしい白桃ができたという事です。
原産国である中国では、桃は不老不死の「仙果」だったようです。孫悟空は、天界の桃園である蟠桃園の桃を盗み食いして、仙女である西王母の怒りを買ったそうです。昔から桃は、不老長寿の実として珍重され、病気や災を避ける力があるとされていました。桃の実だけでなく、桃の木にも霊力があるとされ、それがひな祭りに繋がったと言われています。昔話の桃太郎も厄=鬼を避けるという事から生まれた話だという説もあるくらいです。また、桃はたくさん実をつけるため百(もも)という名が付いたと言う説もあって、子孫繁栄につながるとして縁起が良いものだとされました。この他にも「真実(まみ)」が転じたという説や、「燃実(もえみ)」から来ているという説、実に小さな毛がいっぱい生えていることから「毛毛(もも)」と言ったと言う説もあります。栄養的にもとても優れた桃なので、今年の夏はいっぱい食べたいと思います。
一方の宣命暦ですが、こちらは倉庚鳴(そうこう なく)です。山里でウグイスが鳴き始めるという意味になります。実は、立春の次候(略本暦)にも「黄鶯睍睆(うぐいすなく)」があって、これも里山でウグイスが鳴き始めるという同じ意味になるのです。ただし、「黄鶯(こうおう)」は、コウライウグイスのことであって、日本のウグイスとは違う種類であると立春の時にも書きました。今回の「倉庚」もこれと同じで、日本のウグイスとは違うのです。コウライウグイスは、羽の色がきれいな黄色であることから、黄鳥(こうちょう)、黄鸝(こうり)、鵹黄(りこう)など色のイメージから様々な名前が付けられています。倉庚(そうこう)も穀物の黄色から連想された名前の一つなのです。
ところで、ウグイスといって思い出される花は「梅」ですが、何故なのでしょう。諺の「梅に鶯」とは、取り合わせの良いもの、あるいは良く似合って調和しているもののたとえとしての表現だとあります。しかし梅の枝にとまっているのは、ウグイスではなくメジロであって、ウグイスは間違いなのだと書いてあるものも少なくないのです。その理由は、ウグイスは虫を食べるので梅の枝にはめったに止まらないからだと言います。たしかにウグイスが梅の枝にとまることは、あまりないでしょうからその指摘は間違ってはいないのでしょう。
では、何故「梅に鶯」なのでしょうか。メジロだと言われる場合には、実際の自然観察からウグイスではなくメジロだと言っているのですが、梅に鶯は諺の中で触れているように、あくまでも詩歌や絵画の中での良い組み合わせを表現しているものであって、現実の風景を言っているのではないのです。つまりメジロと間違えたのだという指摘は少し違うのではないかということです。
「梅に鶯」という組み合わせは、万葉集で読まれ、その後の古今和歌集でも詠まれるような絵的にバランスが良いものとして定着して来たものではないかと思うのです。事実、万葉集では鶯の歌が49首あって、その中に梅が出て来るものが10首あるのです。一方の古今和歌集では梅の歌が21首あって、その中に鶯がでてくるのが6首あります。ご承知のように万葉集は、7世紀後半から8世紀後半に書かれた日本最古の和歌集であり、様々な身分の人々が詠んだ歌なので、こうした梅に鶯の組み合わせは昔からあるものだと言うことなのです。現代よりも自然豊かな時代に生きた人々が、単純にウグイスとメジロを見間違えたり誤解するという事は考えられないのです。あの馥郁とした梅の香りと、鳥の中でも特に美しい鳴き声を組み合わせた美的感覚を共有すべきなのだと私は思うのですがどうでしょうか。これと同様の例には、牡丹に唐獅子や松に鶴といった表現もあるのですが、現実的にある姿ではないしリアリティもありませんが、絵になる組み合わせという事で昔から描かれている構図ですよね。
ウグイスは春告げ鳥と呼ばれますが、私の家にはウグイスは飛んでこないので、初鳴きを観測することができません。そこで埼玉県の北本自然観察公園が発表している日記の記録を調べて見ました。すると今年の初鳴きは、2月13日に記録されていました。まさに立春で略本暦に書かれた黄鶯睍睆にぴったりの時期です。この初鳴きは、「ホーホケキョ」と聞こえます。「法、法華経」と書かれたりもしますが、こうした表現になったのは江戸時代のことだそうです。平安時代には、仏教の影響もなく「人来(ひとく)、人来(ひとく)」と鳴いているように聞こえたそうです。鳥のさえずりを人の言葉に当てはめる「聞きなし」は、次代によって違うという事ですね。
末候
最後に末候は、3月16日から3月20日までで、春分の前日までとなります。
末候の略本暦(日本)は、 菜虫化蝶(なむし ちょうと けす)です。「なむし ちょうとなる」とも読みますが、意味は「青虫が羽化してモンシロチョウになる」という事です。
ここで言う菜虫とは、大根や蕪、白菜、キャベツなどアブラナ科の菜類を食べる虫の幼虫を言うのです。卵から孵った青虫は、10日ほどでサナギになります。家庭菜園などをされている方は、比較的良く目にする青虫ですが幼虫の期間はそう長くはないという事です。やがて羽化してモンシロチョウになりますが、その寿命は2週間ほどと言いますからとても短いです。ですから年に4~5回世代交代を繰り返して命を繋いでいるのです。
今回の主役はモンシロチョウなのですが、モンシロチョウが一般的になったのは比較的新しいという説があるのです。もちろん、昔からモンシロチョウがいなかったという話ではなく、どこにでもいるような蝶ではなかったとうことです。つまり元々は個体数の少ない蝶だったのですが、キャベツが全国的に作られるようになったのと比例して全国的に見られるようになったという事なのです。
黄色い菜の花の間をひらひらと美しく舞う姿はまさしく春の象徴と言えます。
一方の宣命暦(中国)は、鷹化為鳩(たか けして はとと なる)です。獰猛な鷹が、春のうららかな陽気によって郭公(カッコウ)に姿を変えるという意味になります。現実には、鷹が郭公に姿を変えることはありませんから、猛々しい性質の鷹が、穏やかになるという事なのでしょう。つまり気候や環境の厳しい冬から、穏やかな春に変わることで餌も増えて性質が穏やかになることを比喩的に表現したものかもしれません。
もしかすると、オオタカとカッコウが似ていると思ったのかもしれませんね。確かに良く見比べてみるとオオタカとカッコウは胸の羽毛が縞模様で似ていなくもないのです。穏やかになったオオタカをカッコウにたとえると言うのも、まったく似ていなければ出てこない例えなのかもしれません。ただし、鷹がカッコウになると言う中国の俗信は、「田鼠化為鴽(田鼠(でんそ)化して駑(うずら)と為る)」や「腐草為蛍(腐草(ふそう)蛍となる)」、或いは「雀入大水為蛤(雀、大水(うみ)に入り蛤と為る)」、「雉入大水為蜃(雉が海に入 って大蛤になる)」と同じような例えであり、現代の日本人にはわかりづらい表現ですよね。
これらも良く見ると、表現に微妙な違いがあります。つまり今回の「鷹化為鳩」のように「化」の文字が入っているか否かです。「田鼠化為鴽」にも「化」が入っていますが、「腐草為蛍」や「雀入大水為蛤」は入っていません。
ここで言う「化す」は、郭公となった鷹は、いつか鷹に戻る事と含んでいるし、駑となった田鼠も、田鼠に戻るという事を意味しているのです。つまり「化す」がない方については、蛍は腐った草に戻らないし、ハマグリは雀に戻らないという事なのです。
俗信を含んだ中国特有の言い回しには、毎回理解に苦しめられますが、素直に受け入れて覚えていくのが一番良い方法のような気がします。