秋分(しゅうぶん)は、二十四節気の第16番目で、2018年の秋分の期間は9月23日から10月7日までとなります。
春分からスタートした二十四節気は、太陽黄経が180度となり、春分の反対側になります。
皆様ご存知の通り、秋分は、春分と同じで昼夜の長さが同じになります。そのため、春分の日も秋分の日も、お彼岸の日であると共に国民の祝日になります。
ところで皆さん、「国民の祝日」は1年間に何日あるかご存知でしょうか。
「国民の祝日に関する法律」によれば、1月1日の元日から12月23日の天皇誕生日まで、16日間と定められています。祝日と定められている以上は、何かを祝う日と言う事になるのですが、それでは、秋分の日は何を祝うのでしょうか。
憲法の法律の第一条では「国民の祝日」を条文の中で次のように定義しています。
第1条 自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、ここに国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日を定め、これを「国民の祝日」と名づける。
そして第二条で、秋分の日についても定めています。秋分の日は「先祖を敬い、なくなった人々をしのぶ」と定められています。これは元々、秋分日に秋季皇霊祭(しゅうきこうれいさい)が行われていたことに由来しています。お彼岸は、元々先祖を祭る日として、春は五穀豊穣を祈り、秋は実りある収穫に感謝する習わしがあり、古い時代の中国でも祖廟を祀る日でした。しかし現在日本で行われているお彼岸の行事は、仏教の考え方と日本独自の考え方が加わり、他の仏教国にはない習慣として定着しています。
ちなみに春分の日は、「自然をたたえ、生物をいつくしむ」になります。法的な意味は秋分の日とは少し違うようですね。これまで、ただ何となくお彼岸だから祝日と思っていた皆さま、二十四節気を学びながら、今一度お彼岸の意味を思い直して戴けたらと思います。
秋分の日は
『暦便覧』では「陰陽の中分なれば也」と説明しており、昼夜の時間が同じだと言っていますが、実際は少しだけ昼の方が夜よりも長いのだそうです。それは日の出・日の入りが太陽の上端で見るために実際の昼夜時間とは少し違っていることなど、様々な理由があるようです。秋の訪れと共に、夜になるのが早くなったように感じるのは、昼間の長かった夏の反動かもしれません。
ところで、春分の日と秋分の日は、その年によって日が変わります。
太陽の動きを観測しながら計算する必要があるからで、国立天文台が定めています。古い時代にも置かれていた「陰陽寮」や「天文方」と同じように、暦の計算を行っている部署が現代にも残っていて、日々暦の計算をしてくれています。
国立天文台には、暦計算室というHPがあり、大変興味深いです。是非皆様、ご参照下さい。
https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/
七十二候では
それでは、秋分の七十二候について触れていきたいと思いますが、秋分の七十二候は略本暦(日本)・宣明暦(中国)はそれぞれ同じです。
まず初候ですが、雷乃収声(らい すなわち こえを おさむ)です。
初候 雷乃収声
これは言葉通り「雷が鳴り響かなくなる」という意味ですが、暑さ寒さも彼岸までとあるように夏の暑さも終わり、秋の気候へと変わることを表現したものでしょう。
俳句でも「雷」は夏の季語であり、「稲妻」は秋の季語です。雷は「神鳴り」であり、神様があの「ゴロゴロ」音を太鼓で打ち鳴らしていると信じられたことに由来します。
「稲妻」は、古代から雷光が稲を実らせるという信仰があったことに由来しています。語源をつぶさに見ていくと、雷は音を意味しており、稲妻は光を意味していることが分かります。
また、晩夏の稲妻(夫)が稲を胎ませ、稲穂が実るとなるのです。
稲妻とは、稲の妻であり、稲をはらませるとあるのですが、どちらかというと、妻は稲であり、稲夫の方が分かりやすいようにも感じます(笑) そのため、秋分には、妻(稲)が十分はらんだので、稲妻《雷》は鳴りやむと言う事になります。昔の方の言葉のセンスは実にすばらしく、このような漢字文化こそ文化遺産だと思うのです。
次候 蟄虫坏戸
次候は、蟄虫坏戸(ちっちゅう こを はいす)です。意味としては、虫が土中に掘った穴をふさぐと言う事です。夏の間元気に動き回っていた虫たちが、冬ごもりに向けた支度をするという事でしょう。再び活動を始める時期が、「啓蟄」という事になります。ところで、ここで言う「虫」はどのような虫を指しているのでしょうか。想像してみてください。
土に潜って冬越しをするというのですが、どのような形で冬越しするかについては触れていません。卵のまま越冬するのか蝶のようにサナギで越すのか、テントウムシの様に成虫のまま越冬するのか、色々考えることが出来ます。
そして現代の人々は、虫と言われれば昆虫をイメージするのが普通ですが、古い時代には、すべての生き物を虫と言ったのです。
漢字で表すと「虫」と「蟲」の2種類があるのですが混用されていますし、中国と日本でも虫の定義には違いがあります。これについてはまた別の時にお話ししたいと思います。
三尸の虫
日本では「三尸の虫」(さんしのむし)というものが信じられていた時代もありました。元々は中国の道教の教えなのですが、人の行いの善悪によって寿命が増減すると言う考え方です。つまり人の身体の内には虫(三尸の虫)がいて、天帝に宿主の罪悪を報告し、それにより寿命が縮められる!と考えられていたのです。
その虫は、60日に一度めぐってくる庚申(こうしん)の日に宿主が眠ると、人体から抜け出すと言い伝えられていたことから、庚申の夜は眠らずに過ごすという風習が行われていました。
古くは平安時代に貴族の間で行われていたのですが、これが一般民衆にまで広まったのは江戸時代に入っての事です。
一人で眠らず夜を明かすことは難しいことから、庚申講(こうしんこう)とよばれる集まりを作り、会場を決めて集団で夜を明かすと言う風習が広く行われていました。
つまり、夜通し寝ないで飲む、飲み会のような会合でした。
楽しみの少なかった時代の人々にとっては、娯楽のようなものであったでしょう。
庚申講は、現在では見ることもありませんが、当時の名残である庚申塚(塔)はいくつも残っています。少し意識するだけで、干支暦に基づいた昔の人々の暮らしがうかがい知れるようで興味深いです。道教は宗教として日本に入ることはありませんでしたが、この道教由来の考え方が江戸時代の日本で広まったというのは、とても興味深い事です。
虫の話からかなり横道にそれてしまいましたが、時代によって「虫」の意味ひとつ取っても違っている事を知って下さい。そして庚申講の「庚申」は、皆さまが既に学んだ干支番号57の「かのえさる」「こうきんのさる」です。これが60日に一度廻ってくるという意味も、干支暦学を学ばれる方々にはお分かりの事かと思います。
次候 水始涸
末候は、水始涸(みず はじめて かる)となっています。この意味は、収穫時期を迎えた田んぼの水を落として干し、稲刈りに備える時節を意味しています。畑ではなく、田んぼが末候の舞台です。
近頃の稲刈りはすべて機械(コンバイン)で行います。そのためには、ある程度田んぼの水が引けて地面が乾いていないと使用できません。ぬかるんだままでは、機械を動かすこともできません。と言っても、稲刈りの機械化がされたのは昭和40代になってからの事です。機械が導入されるまでは、稲刈りはとても手間暇のかかる仕事で本当に骨の折れる作業でした。
稲刈り専用の「のこぎり鎌」を使って一株一株刈り取り、それを結わえて天日で干していたのです。稲を干す所は一般的には「はさかけ」や「稲木干し」等と呼ばれています(白露の回に写真があります)が、私の住んでいる地域では「のろし」と読んでいました。
「のろし」は、竹で骨組みを作り横棒の上に稲束を縦に並べて干していくのです。水分を飛ばし乾燥させないと保存ができないから干すのですが、機械化された現代では干す作業も乾燥機がその役割を担っています。
日本の稲作農業も機械化が進み作業は楽になったのですが、高価な機械を購入できるほどの農業収入は得られづらく、将来的には米作りの風情ある姿が見られなくなるのではと危惧します。稲作は、自然や文化など日本人が持つ伝統的なものを後世につなぐものとして、今後も続いて欲しいと思っているのです。
みなさん、お米をたくさん食べましょうね。