私たちは、コロナ禍が始まった2020年の4月から、
毎朝言志録を読んでいる。
何故かって?
最初のきっかけは、
この未曽有の事態に、会員の多くが戸惑っていて、
最初は、在宅という名の矯正休養は喜んでいたものの、
先行きが見えない中、
「このままでいいのだろうか…」
と、この時期だからこそ出来る何かをやることの大切さ。
そして、社会と繋がる必要性。
また、オンラインが日常化したことで、
逆に毎朝勉強できる!という、新たな時代の学びの中で、
新しい何かを始めたい。
オンラインでプレゼンテーションが出来る能力開発は
必要不可欠だと思い、始めたのが、
毎朝オンラインで15分間、「言志四録を読む会」
なぜ言志録なのか。
今から約150年前の幕末の動乱期に
当時の東大総長の立場にいた佐藤一斎先生が
書いた言志四録。
幕末の志士たちのライバルとなり、
それまで安穏としていた日本人が、
自ら動く思想的バックボーンになった書。
それを今こそ学ぶことで、
自分の意識を変えよう!という事から、
選んだのが言志四録。
これを読み続けている私の個人的な感想は、
考え方変わりました!この半年間で。
悩まなくなったし、
自分の軸が出来てきたし、
やるべき事も見えてきた。
大事と小事の見極めが出来るようになりました。
いつの日か、「言志録セラピー」でも始めたい気分(^^♪
それ位、効果あります!
さて、この言志四録は、四部作。
言志録は、一斎先生の、42~53歳までの著
言志後録は、57歳~67歳
言志晩録は、67歳~78歳
言志耋録は、80歳~82歳
ちなみに、88歳で天寿を全うされましたが、
当時の平均年齢からみたら、
ご本人、
言志後録あたりで終わると思っていたかもしれない。
それでは、
どのような時代に書かれたのかというと、
執筆を始めたのが徳川十一代将軍 家斉時代。
江戸文化は爛熟の極に至ってはいたけれど、
まだ鎖国状態がギリギリ維持できていた時代。
恐らく、今のような感じで、切羽詰まったものではなく、
このままでいいと思う人と、
いやぁこのままだとダメだと思う、という人が、
恐らく9対1位の割合でいたような、
そんな時代。
(今と同じく、そんなにいないかもしれない)
このままじゃダメだという若者には、
佐久間象山や山田方谷、横井小楠のような若者が、
一斎先生の周りに門下生として集まり、
その後輩として、勝海舟や坂本龍馬や吉田松陰などが連なる。
つまり、幕末前夜のような時代。
ペリーが浦賀に来たのは、
言志耋録執筆中で、
そこから外圧対内圧という超激動時代に突入します。
今から半年間かけて読む言志後録は、
正に、時代の大変革期前夜。
社会情勢が刻一刻と変化していく時代の著作であり、
一斎先生も、還暦に差し掛かり、
世の中を憂いつつも、どう生きるべきか、
思いっきり綴っている。
そしてなんと、言志後録は57歳~67歳の著なので、
私とどんぴちゃり!
故に、読み始めていて感じたことは、
時代背景と言い、年齢といい、
イチイチ非常に刺さるのです。
どんなことが書いてあるか、
その出だしの第1条をご紹介します。
言志後録 第1条
此の学は吾人一生の負担なり。当に斃れて後已むべし。道は固と窮り無く、堯舜の上、善尽くること無し。孔子は志学より七十に至るまで、十年毎に自ら其の進む所有るを覚え、孜々として自ら彊め、老の将に至らんとするを知らざりき。仮し其れをして耄を踰え期に至らしめば則ち其の神明不測なること、想うに当に何如なるべきぞ。凡そ孔子を学ぶ者は、宜しく孔子の志を以て志と為すべし。
年取ったからといって、自分を甘やかして、
好きな放題生きていいというのではない。
信頼するに足る人間となるべく自己修養を行い、
多くの人に共感してもらえるような人間に
なるべき道を究める生き方は、
一生の課題である。
儒学は、一生の学問なのだ。
(勝手にもういいか!と、卒業してはいけない!)
論語 為政
子曰く 「吾 十有五にして学に志し
三十にして立ち 四十にして惑わず
五十にして天命を知る。
六十にして耳順い
七十にして 心の欲する所に従いて矩 を踰えず」。
孔子曰く、十五歳のとき学問に志を立てた。
三十歳になって、その基礎ができて自立できるようになった。
四十歳になると、迷うことがなくなった。
五十歳になって、天が自分に与えた使命が分かるようになった。
六十歳になると、素直に他人の言葉を受け入れられるようになった。
七十歳になると、好きなようにやっても、人の道を踏みはずすことがなくなった」と。
一斎先生は、そこで大変興味深い事を述べている。
孔子は73歳で亡くなられたので、70歳で終わっているが、
もし、80歳、90歳と長生きされたら
あの後、どう続けたのか…と。
確かに!この句は何度も見ているのに、
今までこの発想はありませんでした!
さすが一斎先生!
この章句の続き、
これは、言志晩録・言志耋録と読み進める内に、
その答えが書いてあるのでしょう。
私が担当だったので、私の解釈は暦学的に。
十五歳のとき学問に志を立てた。《学童》
三十歳になって、その基礎ができて自立できるようになった。《青年》
四十歳になると、心に迷うことがなくなった。《官僚》
五十歳になって、天が自分に与えた使命が自覚できた。《王者》
六十歳になると、人の言うことがなんでもすなおに理解できるようになった。《元老》
七十歳になると、自分のしたいと思うことをそのままやっても、人の道を踏みはずすことがなくなった。(歌人)
となるならば、
八十歳(聖徒)始めて人を固定概念から外して平等に見られるようになり、
九十歳(隠士)次世代の為に尽力することが目標になる。
百歳 (精霊)今その瞬間しか考えられなくなり、損得勘定も全て忘れる。
もう一つ、易経的解釈
10代「潜龍」世の中に認められるような力もなく、地に潜んで志を培うとき
20代「見龍」明るい地上に現われ、修養のはじめとして、師を見習って物事の基本を学ぶ。
30代「乾惕」毎日、同じことを繰り返して修養に励みます。技と応用を確実なものにする
40代「躍龍」修養を極め、リーダーになる。独自性を持って、今まさに大空へ昇ろうと躍りあがる。
50代「飛龍」天を翔け、雲を呼び、雨を降らす。リーダーとしての能力を発揮して、志を達成する。
60代「亢龍」高みに昇り過ぎた龍は、やがて力が衰えて、降り龍になる。
つまり、60代は上手に降りてくることが大切であり、
還暦であり、新たな龍としてスタートする
60代「潜龍」新しい世界にて力を蓄えるべき年代
70代「見龍」少しずつやりたい事が見えてきて、
80代「乾惕」技と応用を確実なものにする
そして、
90代「躍龍」独自性を持って、今まさに天空へと躍りあがる。
時代も年代もまさにドンピシャなので、
何か、ひとつひとつの章句が、今の私に言っているようで…
毎朝しっかりと読みながら、自分の生き方を見つけて行きたいと願っております。
時代を見極めたい方、
自分を変えたい方は、無料なので、
是非ご参加下さい。
言志録を毎朝読む会(金曜日のみ休み)
朝8時30分~45分
参加希望者は、Facebook Pageに登録戴けたらと思います。