今月の暦学士勉強会は、【運命民俗学】をテーマに展開しています。
運命の物語というと、ディズニーのプリンセス物語が一番私たちに身近なものではないでしょうか。子供時代に映画を繰り返しみるため、多くの女性のこころに大いなる影響を与えています。
かわいそうなプリンセスと、彼女に辛くあたる義母という構造を軸に物語は展開します。
眠れる森の美女も白雪姫もシンデレラも、その運命の悲劇の種がまかれるのは、無垢な子供時代です。そして、呪いをかけるのは、同性である女性(魔女)であり、それを救うのが愛の力というのが定型で展開しています。
先日、「オンライン勉強会」に参加戴いている生徒様から、このような事を教えて戴きました。
「白雪姫やシンデレラなど義母による殺害やいじめですが、グリム童話になる前の原作では義母ではなく実の母親だと聞いたことがあります。子供に本を与えるのは親なので、母親のところを義母にしないと売れないし反感をかってしまうなどの理由で、グリム童話では義母になったらしいのです。」
成程!素晴らしい!このようなご意見を戴けるのも、オンライン講座の楽しさです!
そう考えると…大変面白い話になります。
例えばシンデレラの場合、義母ではなく実母としたらどうでしょうか?
実母はエネルギーが180の午未天中殺。上二人の娘も同じようなエネルギー指数です。
つまり、普通のエネルギーで冷静に物事を考える性質です。
しかし、末娘のシンデレラだけが300の戌亥天中殺だとしたら、これは確かに理解できません。解説をいれると、パワフルなロマンティスト。夢見がちな子で地道なことや努力は苦手です。
母親は干支暦学を学んでいませんから、「どうして同じように育てたのに、末娘だけやんちゃで、小鳥がどうした、バンビがどうしたとか、妄想ばかり言って手をかけるのかしら…。子育てに自信がないわ」と悩みます。彼女の良さは理解できず、ストレスが溜まり、つい辛く当たってしまうのです。
母親似の姉達も、妹のことが理解できないため、当然家族の中では変人扱いです。そして、地道な事が苦手で整理整頓ができない娘に、家の手伝いを課します。
どうしてシンデレラは家族の中で違う性質なのでしょうか? シンデレラの場合、原因は意外とシンプルな所にありました。
「シンデレラは母親の天中殺の時期に生まれた娘だった」
理由が分かれば、
「なーんだ!だからわからなかったのね!それでは私からみてもわかるはずないから、他人様の眼から娘の長所を見つけてみましょう!」となるのですが、干支暦学の知識もない母親は、そのような事まで考えが及ばず、ただただストレスをためて、娘に当たってしまうのです。
さて、ある日、お城から舞踏会のお知らせがきました。今風にいえば、”イケメン御曹司が主催する夫の会社のパーティ”です。
上二人の娘は連れていっても問題ないけど、末娘は母親として自信がもてませんから、置いてけぼり。エネルギー300の戌亥天中殺のシンデレラは、それはショックを受けて、何が何でも行きたい!どうしても!ということで、あのストーリーが始まるのです。
白雪姫の場合はどうでしょうか?
自分こそ世界一美しいと信じていた継母により、7歳の時に謀殺されそうになり、森に逃れ、それを知った継母の呪いのリンゴを食べることで死に至るというストーリーです。
これも実母としたら… 世界一美しいと信じている母親ですから、元々ミスコンなんかで注目されていた美女で、セレブ婚をしましたが、どうしても子育てには向きません。どうも男性は、崇高なる母性神話みたいなものを信じていて、女性なら誰もが母性があることを前提とし、母性の低い女性を非難しますが、これは男性からの勝手な言いがかり(?)です。
干支暦学からみたら、母性が強い女性もいますし、仕事愛が強い女性も自己愛が強い女性もいます。どちらも愛であり、対象物が違うだけなので、そこに優劣の差などありません。男性の場合、仕事愛や権力愛が家族愛と同列で認められているのに、女性だけ母性優先とされるのもおかしな話。ただ解剖学上、母性愛のパーセンテージは高くなるため、それ以外のものに愛情を注ぐ女性を異端視します。
それでも何とか7年間頑張ってみましたが、もう無理!限界!ということで、娘が小学校にあがる頃、育児放棄をしてしまいます。しばらくすると、他人に預けていた娘が病気になり、世間は母親が悪いと非難します。さすがに心配のあまりリンゴをもってお見舞いに行きましたが、運悪くなぜか悪化、まわりからは「あいつが来たせいで、重症化した!」などと言われてしまいます。
しかしその後、娘はイケメンドクターにより命を救われ、結ばれました!めでたしめでたし!
オーロラ姫は、彼女の誕生を祝う祝宴で、呪いをかけられ、その呪いに抗うべく様々な努力をしたにも関わらず、呪い通り15歳の時に、それが実現化し、その後その呪いを解く力 愛の力がもたらされるまで、非常に長い年月がかかったというストーリーです。
これも実母目線でみると、違う角度からみることができます。人間の性格は、成長と共に変化をします。もし同じ性格のまま一生を過ごすとしたら、魅力がなくて頑固な人物と捉えます。地球に四季がある通り、人間の性格にも四季があるのです。
オーロラ姫は、生まれた時は純真無垢で誰にも愛される、可愛らしくて社交的な子供でした。しかし、思春期を超えるあたりから、これは中々厄介な少女になるなと、彼女の誕生時に妖精たちは気づきました。(妖精たちは干支暦学ができます!)妖精たちは、思春期を迎えると、それまでの可愛らしさが嘘のようになくなり、友達づきあいが苦手な家の中にこもるオタクな娘になる傾向があると予測したのです。そのように予測(予言)したにも関わらず、干支暦学の知識のない親は理解できず、彼女に特別な特技を持たせることもなく、可愛らしい子供時代を、唯々甘やかして普通に育てました。
高校生になると、予言通り、それまでの朗らかさが嘘のように消えて内気になり、まわりの言葉に傷つきやすく、心配のあまり親が意見をすると激情し、部屋に引きこもるようになってしまいました。それまでに、何かひとつでも、糸車でいいので…集中できる特技があると良かったのですが、何も目標が見いだせず、ただただ部屋に引きこもる娘を、家族は呪いで眠りにかけられたと思うのです。
このように別の角度からプリンセス物語を読むと、運命学の面白さがわかります。
確かに実母にした方が、妙に現実味のあるストーリー。そう、どこにでもある話なのです。
彼女たちがプリンセスになれた理由は、「王子様により救われた」から。つまり、家族に理解されない自分を受け入れてくれた異性とのめぐり逢いです。
めぐり逢いに必要なのは相性で、シンデレラの王子が白雪姫と出会ってもダメですし、オーロラの王子がシンデレラ城にいても、あのストーリーは生まれません。
家族の誰にも理解されない「癖の強い自分」を受け入れてくれる人こそ、王子様。
逆にプリンセスに必要なのは、”癖のある強さ”
但しそこからが肝心で、お互いを理解して永い関係を続ける知識を手にしないと、魔法は一瞬に消えてしまうのです。
干支暦学を学ぶことで、自分とまわりの人達をしっかり理解!
人間関係のストレスさえなくなれば、可能性は拡大します!