マクロビオティックスの創始者 桜川如一 George Osawa物語の後半です。
前半をまだ読んでない方は、こちらからどうぞ。
それでは、第2次世界大戦から、マクロビの発展の経過をみていきましょう。
桜川如一 戦後の戦い
1945年に戦争は終結しました。大変な食糧難の中、終戦から2年後の1947年に学校給食が始まりましたが、GHQから提供されたものは粉を水で溶いたミルクで、11年間、昭和33年(1958年)まで続いていたそうです。
学校給食でパンや脱脂粉乳が提供されるのもアメリカの占領地政策であり、「このままでは難病奇病が増え、日本人がダメになる。コメ不足は分かるが米食に戻さねばとんでもないことになると」如一がいい、食養の必要性を唱えましたが、医者でもない彼の言葉など誰も耳を貸しません。
「もういくら日本人に食養の教育をしようとしてもダメだ。日本人というのは外国人の言った事となるとすぐに飛びつくから、ここはひとつ私が外国に行って、そしてそれが逆輸入された時に日本人は初めて目が覚めるはずだ。」ということで、1949年に最初の研修生 久司道夫氏を渡米させ、如一自身も1953年に神戸を出航した。
その時、惜別の挨拶として著わしたのが、「五色の毒 主婦の食品手帳」で、そこに書かれたのは食品添加物問題でした。 国民は有害食品の波に溺れかけているにも関わらず、他人事のように見向きもしなかった」と書いてあります。この時代にこういう事を啓蒙した日本人がいたということ自体、驚きの感があります。
アーユルヴェータ
如一が向かったのはインドでした。そこで2年間程アーユルヴェータを研究しています。アーユルヴェータは、人間をトータルでみて本来備わっている自然治癒力を高める予防医学です。漢方でいう「気」に相当するものとして、ドーシャ理論があり、生理機能を動かしている3つのドーシャのバランスを整えることが健康を保つ秘訣としており、如一の唱える無双原理の基本と変わりません。マクロビ理論に、アーユルヴェータ理論が組み込まれ更に発展的なものになりました。
マクロビオティック誕生
食養という言葉からマクロビオティックという言葉に変えたのは、戦後しばらくしてからだそうです。 1959年にアメリカで、『ゼン・マクロビオティック」という本が出版され注目されました。マクロビオティックというのは如一の作りだした言葉ではありません。 古代ギリシャの医学の父 ヒポクラテスは「マクロビオス」(大きい生命)という言葉を用いていましたし、18世紀後半のドイツの医学書でも用いられていたそうなので、彼が始めて用いた言葉ではありませんが、私達が現在イメージするマクロビオティックという言葉と思想を創出し、広めたのは、如一です。
如一は日本とアメリカを行き来しながら、アメリカでは弟子の久司道夫たちと共に、サマーキャンプや講習会を積極的に開いて広めていきます。 日本では、「もう二度と戦争をしてはいけない」という不戦活動にも尽力し、その活動を通して、ノーマン・カズンズ氏と知り合います。 ノーマン・カズンズはニューヨークポストの有能なジャーナリストで、広島を取材してその現状に強い衝撃を受け、アメリカの行った非人間的行動をアメリカ市民に訴える活動を行っていました。如一はカズンズに弟子の久司道夫氏のアメリカでの身元引受人を頼み、1949年アメリカに第1回目の研究生を送りだします。その後、如一の時代だけでも30人以上、その後を入れると延べ100数十人研究生を送りだしたそうですが、その経費捻出には大変な想いをしたということです。 マクロビオティックが世界に発信できたのは、有能な若者を研究生として海外に送りだしたことが大きな原因かと思います。
久司道夫氏
久司道夫氏は、如一と26歳の時に出会いました。 東大法学部政治学科卒業のエリート、父親は大学教授、母親も御茶ノ水大学卒というので、絵に描いたエリート青年です。 苦労の中で育った如一とは対照的な存在です。その後、久司はコロンビア大学大学院政治学部に入学しているのですから、ものすごいエリートです。
如一は若い弟子たちを、自費で派遣するのですが、旅費だけは出すけれど、向こういったら何とかしろという方針で放り出されたそうです。マクロビオティックが世界に発信されたのは、如一の若い弟子たちの汗と苦労の賜物です。
1966年4月24日 桜川如一はこの世を去ります。享年74歳。 5回の結婚で8人の子供達、(う~ん、すごい!)心筋梗塞とされましたが、本当の死因は確かではないそうです。 アメリカでマクロビオティックを広めた弟子の久司道夫氏は、2014年12月28日、ボストン市内の病院にて死去。享年89歳。死因は膵臓癌。
アメリカでは、如一より久司道夫氏が有名です。マクロビオティックはこの両氏により世界に広められました。
桜川如一氏の明治の男の情熱と、それに賛同した久司道夫氏。
久司氏が渡米した1949年という年は、証券取引所が取引再開され、湯川秀樹氏がノーベル賞を授与された年であり、サザエさんの連載が始まった年です。
高度成長期時代はまだまだ先の話。
そんな年に東大の法学部を卒業した若いエリートが、玄米と小食をモットーとしたマクロビオティック理論を広める為に、渡米し、ゼロの市場から始めたのです。
これ、凄い事だと思いませんか?
レイチェルカーソンの「沈黙の春」の出版が1962年、有吉佐和子の「複合汚染」がベストセラーになったのが1975年です。 久司道夫が渡米したのが1949年、如一が食品添加物の脅威を書いた「五色の毒」の出版が1953年です。 いかにこの両氏が、特別の感性を持っていたか、現在の私達の食生活に影響を与えているか、解って戴けるでしょうか?
マクロビには賛否両論あるのも事実です。しかし、食養の意識に誰よりも前に気づき、世界発信したという事実は変わりません。
日本人に気づいて欲しい。日本古来の食事療法のすばらしさ、それこそが日本人の心と身体の強さを作ってきたのだから。その事に気づいて欲しいけど、日本人は日本人のいう事より、外国人の言う事の方に従い認めるという質がある、だったらアメリカから広めよう!
日本でマクロビオティックが大ブームになったのは、2004年頃 マドンナがマクロビダイエットをやっているというので、女性誌が「美と健康のダイエット法」として取り上げた事から始まりました。トムクルーズ、ニコール・キッドマン、ジョン・トラボルタ、シャロン・ストーンが実践者では有名で、セレブな人達の好む食事療法ということで、世界語になっています。
如一の死後38年経った時に、夢がかなうのです。 マクロビとは何か?
それでは最後になりましたが、マクロビとは何か簡単に説明します。
マクロビオティック理論
マクロビの陰陽理論の特徴は、人間を陽と捉え、植物を陰と捉えている点です。 その理論によると、(陽性である人間は、陰性である植物を食べることでバランスをとることが出来る)という理論です。 私が教えている干支暦学は、人間を男性は陽、女性を陰に分け、更に陰の女性であっても、高齢と若年や外向的と内向的に分けて捉えていきます。
マクロビオティックの5つの基準
・食品の品質基準
- 身土不二の理念から国内産を優先する。
- 無農薬、無添加
- 主食は玄米、または分搗き米、
・食品の摂取基準 1口ごとに最低30回以上よく噛むこと
・食事の量を腹8分目
・生活習慣に関する原則
- 睡眠や休息を十分に取る
- 毎日適度に運動する
・ 料理方法 陰陽をふまえて料理をする。 一物全体
体験談
ヨガをやっている方は、マクロビをやっている方も多く、ローフードをやっている方もいます。
私も 30代の時は、このマクロビオティックと自然食に力を入れた時代でした。その為家族にも強要し、子供たちに食事で嫌な思いをさせてしまったと思います。 これは身体が冷えるからダメ、白砂糖のものはダメ、油いためもダメ、牛乳、ジャガイモや肉もあまり食べさせないということをやっていたら、食べるときに笑顔がいつの間にか 無くなっていた時もありました。 ただきっちりやっていたときは、YOGAとの相乗効果で痩せました。疲れにくかったのも覚えています。
かの有名な「スポック博士の育児書」でも有名なアメリカの小児科医の、スポック博士も重い気管支炎にかかったときに、マクロビオティックを行い、食事で完治させたということです。
マクロビには色々な意見がありますが、私は良い悪いもなく、あくまでもニュートラルな立場で、周りの人の体験談を書いていきます。参考にして頂だければと思います。
Aさんのマクロビ体験談
長年、ご家族とヨーロッパに住んでいた男性Aさんの話ですが毎日ほぼ肉食をしていたら、親子共々アレルギー体質になってしまったそうです。帰国後、玄米を中心に食べるようにしたら、アレルギー体質は治りお会いした時は肌も若々しくびっくりしたのを覚えています。
Cさんのマクロビ体験談
Cさんは女性です。海外に住んでいたときは肉食で、太っていたそうですが、帰国して玄米にしたら、痩せたとのことでした。しかし、筋力が落ち、風邪をひきやすくなったということで、マクロビはやめてしまいました。
Dさんの体験談
Dさんは、若いお母さんで、子供にもマクロビを実践していました。 そうするとおやつも砂糖がなるべく入っていないもので選び、お菓子や、アイスクリームは食べてはいけない。そうなると子供は一緒に遊んでいる子供の家で、こっそりお菓子を食べるようになり、それもガツガツと半端なく食べるので、お友達のお母さんが心配してDさんに話されたそうです。 Dさんは深く反省されました。子供は食べたいものに対し、これはダメ、あれはダメと言われることが、ストレスだったそうです。そうすると親に隠れてこっそりとお菓子のドカ食いになる可能性があるのですね。 親が良かれと思ってやっていたことは、子供にはストレスだったようです。
マクロビに対して賛否両論あるのは事実です。これは非常に難しい問題ですが、体質や嗜好も大きく関係するのでしょう。 ストイックにマクロビをやっている方で、病気になった方の話も聞くことがありますし、何事も100パーセントの食事法はないのだと思います。 私も30代の頃に3年ほど行いましたが、その時が一番身体も引き締まっていたと思います。 睡眠も長い時間は必要なく4時間も寝れば、元気で、朝早くに起きてしまうこともありました。ただ人と食事に行っても、これはダメ、あれはダメということが多かったので、食べるところの店も限られ、楽しくなかったのを覚えています。あるとき、あんなに食べることが好きだった私が食べることが苦痛になっているのを感じ、マクロビを止めました。
現在スーパーやコンビニでも、玄米おにぎりやクッキーなど、マクロビ的な食材もあったり、糖質制限のものも手に入ります。 あまりにも不規則な食生活の方は、マクロビという陰陽五行論の食育法を学び、食生活を見直すことは大切です。
理論を知ることで、体の調子も整うでしょう。 私も長年大変だったアレルギー鼻炎がピタッと治り、これは集中的にマクロビを行った成果だと思っています。
でも注意しなければならないのは、自分に合っても人には合わないかもしれない。ということです。 その人の体質や性格全体を精査しながら整えるメソッドを活用するならともかく、多くのマクロビ愛好者が自己判断で行っているため、どうしても合う人と会わない人が出てくるのでしょう。 このことを忘れずにこれからも食に関しても愛情を傾けていきたいと思います。
数理暦学が陰陽五行や干支暦で人物を読み解くひとつの学問だとしたら、このマクロビオティックも、食の陰陽、自然界の陰陽、宇宙の陰陽からも考えるホリスティックな体系を持つものだと思います。 創始者の桜川如一は、永い年月をかけて研究していたので、個々の体質をみながら行うものだったと思うのですが、どんなに良いものでも世界的なブームとなると、色々な解釈や意見が加わり、形が変わるものです。
自己判断と思い込みが一番危険であり、私達の学問にとって一番注意しなければならないのは、この事かと思います。 ITとの融合により、指針が出来ることで、マクロビも数理暦学も新たな発展のステージになるのではないでしょうか?
(仙台支部長 誉田和子)