二十四節気 季節で感じる運命学、今回は「芒種(ぼうしゅ)」です。
芒種は、立春から数えて9番目の節気です。
二十四節気は旧暦の暦なので、立春が節月(せつげつ)の1月になります。つまり、立春が正月節の最初の節気で一年の起点になっているからです。
節月とは、節気から次の節気の前日までの間を1か月とする月の切り方です。
俳句などに用いられる「季語」の分類も、この節月で行われています。
そのため立春から啓蟄(けいちつ)の前日までの期間を「初春」とし、啓蟄から清明の前日までを仲春、清明から立夏の前日までを晩春という分け方をしているのです。
同様に夏も三夏として初夏・仲夏・晩夏に分けており、芒種から小暑の前日までが仲夏に分類されているのです。
このように季節をしっかりとつかむことは、自分の環境のリズムをつかむことにもつながり、運命という人生の呼吸を整えることにも繋がります。
「芒種」とは
さて話を戻しますが、「芒種」は、太陽黄経が75度の時で今年は6月6日に当たります。
芒種を暦便覧で見ると「芒(ノゲあるいはノギ)のある穀類稼種(かしゅ)する時なればなり」とあります。
ノゲとは、米や麦などが実った時に、その穂先の先端にある針状のものを言います。つまり芒種は、ノゲのある植物の種をまく時期の事を言っている訳です。
実際稲の種もみを播くときには、このノゲがあると邪魔になるので脱芒機(ノゲ取り機などと呼ばれていた)でノゲを取り、種もみを蒔きやすくしたりします。機械化以前の農作業では、ノゲ取りをした後に唐箕(とうみ)という手回し機を使って、風力で種もみを選別してから播種をして苗代(なわしろ)を作っていました。
6月6日が今年の芒種だと書きましたが、最近の田植えは機械で行うのでビニールハウスで温めて育苗します。そのため3月末~4月上旬には大部分の播種が終わってしまうのです。芒種の季節感としてはピンと来ません。二千数百年も前に中国の華北で作られた二十四節気ですから、日本の季節と合わないのも致し方ないのかもしれません。さらに温暖化も進んだ今の環境では、そのずれは更に開いているように思えます。
私が子供の頃は、まだ機械化も進んでいなかったので、すべて手作業で行っていました。
早乙女とまでは行きませんが、農家の人が総出で一列に並び田植えをしていたことを良く覚えています。
※ 早乙女とは、 田植えの日に苗を植える若い女性の意味で、ここから若い女性という意味に広がりました。
秋の農作業も、刈り取り・天日干し、脱穀まですべて手作業で行っていました。
こういう手作業をしていると、ノゲが服の中に入ってかゆくなってしまうのです。麦の場合には、稲よりノゲが多くて、しかも長いために服の繊維を抜けて来て痒いというよりチクチクして痛かった想い出があります。
七十二候では
それでは、この芒種を七十二侯という季節の区分けで、更に3分割にして捉えてみます。
七十二候の名称は、気象の動きや動植物の変化を知らせる短文になっていることは前回説明しましたが、芒種ではどのようになっているのでしょうか。
蟷螂生(かまきりしょうず)
芒種の初候は「蟷螂生(かまきりしょうず)」で、カマキリが卵から孵化する時期を表しています。「蟷螂生」は、日本の「略本暦」、中国の「宣明暦」いずれにも同じです。
実際我が家の庭先にも、小さいカマキリが葉の隙間を歩いているのを昨日見かけました。この時期数百匹もの小さなカマキリが一斉に卵鞘から外に出てくる様は、グロテスクさを感じましたが、仲夏はカマキリの孵化から始まるのです。
腐草為蛍(ふそうほたるとなる)
「芒種」の次項は、「略本暦」では「腐草為螢(ふそうほたるとなる)」ですが、宣明歴では「鵙始鳴(もず始めて鳴く)」と違っています。鵙が始めて鳴くというのは、意味もはっきりしていて分かるのですが、腐った草が螢となるというのは、意味が分かりませんよね。
モズは、我が家の庭でもポピュラーな鳥で比較的よく見かけますが、蛍を見かけることはなくなりました。
今住んでいる家を建てた昭和57年ころには、家の周りの田んぼにも蛍が飛んでいる姿を見かける事ができたのです。今や見られるのは余程条件の良い自然環境の場所だけで、それ以外はあの穏やかな点滅を見ることはできなくなりました。
七十二候の次項「腐草為蛍」ですが、私の解釈では、あぜ道に置かれた草が腐って来たころ、その周りから蛍が出て来て、腐った草から蛍が生まれ出たかのように感じたのではなかったかと想像するのです。
蛍が羽化するには、湿った柔らかな土が必要です。
土が乾いて硬くなってしまうと、外に出られず死んでしまうこともあるので、腐った草がある土の周りは柔らかな土になため、腐れた草から蛍が生まれるという感覚だと辻褄が合うように思います。
「腐草為螢」というたった4つの言葉から色々な意味を自然は教えてくれます。
組織論の論点から考察しても、一度失敗した組織や事業に柔軟な考えがあり、その反省をばねにするポテンシャルがあれば、光が灯るのではないかと思うのです。
つまり、失敗は肥やしになります。ただそこから学びとろうとせず、考え方が硬直化してしまうと、可能性はなくなります。
日本経済も様々な失策もあり今に繋がっています。失われた何十年というより、何を失ったのか明確化し、そこから必至に学び取ろうという姿勢がないと、可能性という灯火が育たないように感じるのです。
梅子黄(うめのみ きばむ)
芒種の末候は、略本歴では「梅子黄(うめのみ きばむ)」となっており、宣明歴では「反舌無声(はんぜつ こえなし)となっています。
末候の頃には、青かった梅の実も黄色くなって、良い香りがしてきます。
所で梅は、いつ頃から日本にあるのでしょうか。
かなり昔から、梅は日本人の生活に馴染んでいるので調べてみましたが、はっきりとはわかりませんでした。
従来の説では、梅の木は中国の湖北省、四川省の高地が原産ともいわれています。約2000年前に著された中国最古の薬物学書『神農本草経』に梅がすでに記載されているようですから歴史はかなり古いです。
日本に梅が渡来した記録は、凡そ1500年前のことで、「烏梅(うばい)」といって煙でいぶして燻製にしたものだったそうです。烏梅は、現代でも様々な薬効のあることが認められています。また梅という名前は、中国語の梅の発音「メイ」に接頭語の「ウ」がついて「梅」となったという説もあって、中国から渡来したのではないかと言うのもありました。
しかし近年、縄文時代の遺跡から、梅の実の種が発見されたそうです。こうなってくると、渡来なのか在来なのかはわかりませんよね。九州や山梨県では、野生梅があるとの話もあるので、単純に決められそうもありません。
梅干しの歴史
そして梅と言えば、「梅干し」。梅干しが日本の歴史に登場するのは、平安時代に丹波康頼(たんばのやすより) が著した日本最古の医学書『医心方』の「食養編」です。「味は酸、平、無毒。気を下し、熱と煩懣を除き、心臓を鎮め、四肢身体の痛みや手足の麻痺なども治し、皮膚のあれ、萎縮を治すのに用いられる。下痢を止め、口の渇きを止める」と書かれているのです。当時から梅干が薬用として用いられていたことがはっきりわかりますね。
最近の研究でも、梅干しが胃がん抑制、血液サラサラ、骨粗鬆症予防、老化防止などの効果があると、スーパー食材的な扱いで取り上げられています。
私の家では、自家製の梅干を作っています。これから、ちょうど梅を漬ける時期です。
今年は、小梅とその一部の残りをカリカリ梅に漬けました。例年ですと、梅雨が明けたころ、赤ジソで色付けした梅干しをザルに干します。強い日差しが当たると、良い香りが一面にして来て、ついつい摘まみ食いをしてしまいます。やっぱり自家製の梅干しは美味しいですね。
「反舌無声(はんぜつ こえなし)」
宣明暦では、この末候に「反舌無声(はんぜつ こえなし)」という解釈を当てています。
反舌とは、ウグイスと解釈されることが多いようで、七十二候を調べると「鶯」と書いてある所がたくさんありますが、同時にモズだという説も多くあります。
個人的には、次項の宣明暦に「鵙始鳴(もずがなきはじめる)」というのがありますので、この時期にモズが鳴きやんでしまうと如何なものかと思い、ウグイスだとすれば、この時期に声が聞こえなくなっているような気はするので、整合性を感じるのですが、このモズかウグイスかという問題は、私に大いなる想像力を書き立たせてくれるのです。
モズは「百舌鳥」と書きます。これは物真似が上手な鳥で、オスのモズは、早春や初秋にメジロやウグイス、ホオジロなどの鳴き声を真似るそうです。様々な声を真似るので百の舌を持つ鳥と言う意味で、百舌鳥(モズ)と言われるようになったのそうです。
「反舌が止む」の意味の解釈です。
モズは4~5月に子育てをして、やがてヒナが巣立ちます。
夏になると一部のモズは、自分の縄張りを捨てて避暑のため移動するため、縄張り争いの声がしなくなり、「声なし」と感じたのではないかという仮説です。
これならば、反舌無声も成立するのではないかと思えますし、自分なりに納得もできるのです。
暑くなってくると、縄張り争いをしていた人たちも避暑に出る為、静かになる…
今の政界・官界をみると、百舌鳥たちが様々な事を言っており、この流れも反舌無声、この時期に鎮静化するのか、はたまた私達が声を上げなくなるのを見越しての動きなのか。季節は人の心理に大きく影響します。
二十四節気七十二侯の中には、古代の人とのタイミングをつかむヒントがたくさん刻まれているのです。
数理暦学講師 染谷康宏