算命学とどう違うのか?

数理暦学と算命学はどう違うのか?

数理暦学の学理を担当している古藤凛は、≪算命学≫の宗家の直門下生、清水南穂氏に15年間ご指導を戴いております。故に、私の学問的バックグラウンドは算命学であり、算命学こそが、この学問を研究する入口となりました。

ご宗家没後25年も経過しますと、算命学も色々な方の口を通じ、色々な解釈がなされているようです。

他で鑑定を受けた方、他校で学ばれている方、プロとして仕事にされている方とお話をさせて戴く機会も多いのですが、その中で感じたことは、現在の算命学に対する違和感です。

「自分は親と縁がない子丑天中殺なので、親の介護はしない方が良いと算命学の先生に言われたので、妹に全て任せています。」という≪50代の女性≫

「日座中殺で家族運なし。一生独身でいなさいと言われたが、結婚したい女性がいる」と悩む≪30代の男性≫

高尾博士没後25年以上も経つと、博士が学問として研究されていた≪算命学≫も、≪占い≫の色合いが濃くなり、様々な解釈が生まれています。人の口を介しているため、これは致し方ないことです。博士は学問として発展させたかったのですが、現在の算命学は《占い》です。

私は博士が伝承してくれたこの知識を≪占い≫ではなく≪学問≫として伝承していくことを生涯のミッションとしております。

天中殺理論も弧虚理論から発しており、虚の理論はどういうものかという論理的に説明をしなければなりません。天中殺の表面のみを説明すると、どうしても《占い》的要素がつよくなっていく、その根拠となる理論をきちんと伝える必要があるのです。

≪運命だから仕方がない≫という理由をつけてはいけません。技法のその先にある哲理にまで至らないと、人にやさしいカウンセリングにならず、人にやさしいカウンセリングとは、解決法まで提案できるカウンセリングなのです。

故高尾義政文学博士はどの本を読んでどの理論を学び、算命学を確立したのか、何を私達に伝えどういうものにしたかったのか。様々な文献で追いかけ、検証を重ねながら、≪思想学としての推命学≫を構築することを目指しております。それは現在の算命学の流れとは違うため、数理暦学という新たな名称を用いることにしたのです。ですが、始祖は高尾義政文学博士・清水南穂氏としております。

陰陽五行論という自然の哲理を基礎として構築された推命法は、≪人間が本来あるべき姿≫を様々な角度から考察しています。

子丑天中殺の良さを生かすには、12歳~24歳位の間に、親から離れ明るく自力で人生を築くと稼働します。しかし、人生の成果を築いた中年期以降、故郷に戻り老親の面倒を見ることは、決して運を下げることではありません。親から離れても、親子の縁は消えません。兄弟姉妹に任せるなら、金銭的補助をするなど陰助を行い、感謝し続けることこそ、大切なのです。

虚虚の虚という概念があり、無駄な事を無駄だと知った上で、損得勘定なく楽しみながら行うことは、いつの日か大きな実となります。天中殺中に誕生した子供には、親としての夢や期待・我欲を持たず、その子の個性を楽しみながら育てることで、将来、他者の為になる人間に育てることが出来ます。折角苦労して育てあげたのに、他者の為になっては無駄ではないかと思うかもしれませんが、その他者が、又はその他者に助けられた誰かがあなたを助ける事もあるのです。

≪天中殺の子供は親を不幸にする≫という端的な言葉で人を脅すものではないのです。

運命学を学んだ者は人より優位に立ってはいけません。常に人の下座に座し、真摯で謙虚な態度に徹することこそ、大切だと常に自らを律しておりますが、人間がまだ未熟なもので、道半ばです。 多くの方のご指導・ご支援を戴きながら、数理暦学協会を発展させていきたく願っております。

何卒宜しくお願い申し上げます。

学理部門担当 古藤凛