1. 易経の歴史
(1) 易経の起源(紀元前3000年頃~紀元前1000年頃)
- 易経の最も古い形は、古代中国の殷周時代(紀元前3000年頃~1000年頃)に行われた「甲骨占い」にさかのぼります。
- 亀の甲羅や動物の骨を焼き、割れ目の形で未来を占っていました。
- この占いの結果を整理し、体系化したのが「八卦(はっけ)」と「64卦(ろくじゅうしけ)」という概念です。
(2) 易経の完成(紀元前1000年頃)
- 周の王、文王が八卦を発展させ、易経の基礎を作ったとされています。
- さらに、紀元前500年頃、儒教の祖である孔子が易経に注釈を加え、占いの書から「人生の哲学書」へと発展しました。
(3) 易経の発展と仏教の影響(紀元前3世紀~紀元後5世紀)
- 紀元前3世紀、中国を統一した秦の始皇帝は学問を統制しましたが、漢の時代になると、易経は儒学と結びつき、官僚の学ぶべき経典となりました。
- 紀元1世紀頃、仏教がインドから中国へ伝わり、易経の陰陽思想と、仏教の「空(くう)」や「無常(むじょう)」の考え方が融合していき、禅思想を生み出します。たとえば、禅の「無常を受け入れる態度」は、易経の「変化を受け入れる智慧」に通じるものがあります。
2. インド哲学の発展と中国への影響
(1) ヴェーダ哲学とサーンキヤ哲学(紀元前1500年頃~紀元前500年頃)
- インド哲学の基礎は、紀元前1500年頃に成立した「ヴェーダ」にあります。
- ヴェーダの中には、「ウパニシャッド」と呼ばれる哲学書があり、そこでは「ブラフマン(宇宙の根源)」と「アートマン(個人の魂)」の関係が説かれました。
- また、紀元前600年頃にはサーンキヤ哲学が発展し、プルシャ(純粋な意識)とプラクリティ(物質・エネルギー)の二元論が説かれました。これは、易経の「陰陽」と非常に似ています。
(2) 仏教と道教の融合(紀元1世紀~5世紀)
- 紀元1世紀、インドで生まれた仏教が中国に伝来しました。
- 中国の思想家たちは、仏教の「無常(すべては変化する)」という考え方を理解するのに、すでにあった易経の「変化の哲学」を利用しました。
- また、中国の道教は、「陰陽思想」と仏教の「空(くう)」を結びつけ、独自の道教仏教が生まれました。
3. 易経とインド哲学の関係
(1) 陰陽とサーンキヤ哲学の共通点
- 易経の「陰陽」は、世界のすべてが「相反する2つの力」で成り立っていると考えます。
- インド哲学の「サーンキヤ学派」では、世界は「プルシャ(純粋な精神)」と「プラクリティ(物質・エネルギー)」から成り立つと考えます。
- どちらも「2つの対立する力が、バランスを取りながら変化している」と考える点で共通しています。
(2) 無常と変化の思想
- 仏教では、「諸行無常(しょぎょうむじょう)」という考えがあり、すべてのものは変化し続けると説きます。
- 易経も「変化こそが宇宙の法則」と考えており、この点で仏教の思想と一致します。
(3) 占いとカルマ
- 易経は「未来を予測する占い」として使われていましたが、単なる運命の決定論ではなく、「正しい行動を選べば運命を変えられる」という考え方がありました。
- インド哲学では、「カルマ(業)」という考え方があり、過去の行い(業)が未来を決めるが、善い行いをすれば未来を変えられるとされています。
- つまり、どちらも「運命は決まっているようで、努力次第で変えられる」という発想を持っているのです。
4. まとめ
(1) 歴史の流れ
- 紀元前3000年頃:中国で易経の原型が誕生(甲骨占い)
- 紀元前1000年頃:周の文王が「八卦」と「64卦」を完成させる
- 紀元前500年頃:孔子が易経を哲学書に発展させる
- 紀元前1500年頃~紀元前500年頃:インドでヴェーダ哲学とサーンキヤ哲学が発展
- 紀元1世紀:中国に仏教が伝来し、易経の変化の思想と融合
- 紀元5世紀:仏教と道教が融合し、中国独自の思想体系が生まれる
(2) 易経とインド哲学の共通点
易経(中国) | インド哲学 |
---|---|
陰と陽のバランス | プルシャとプラクリティ |
変化こそが宇宙の法則 | 諸行無常(すべては変化する) |
占いによる運命の予測と選択 | カルマ(業)による未来の決定と変化 |
(3) 結論
易経とインド哲学は、それぞれ異なる文化の中で発展しましたが、どちらも「宇宙の法則」を探求し、「変化」「二元論」「運命と選択の関係」といった共通するテーマを持っています。そして、仏教の伝来によって、中国とインドの哲学はさらに深く結びついていきました。
易経を学ぶことは、インド哲学を理解することにもつながり、またその逆も然りです。つまり、どちらも「人間がいかにして世界の法則を理解し、正しく生きるか」を探求するための知恵なのです。