ペルシャ軍に 勝利した ギリシャポリス連合軍は、 民族としての自信をつけ、 アテネを中心とし統一国家を形成していくことになります。
《話の流れが分からない方は、4年に一度オリンピックが開かれる理由を参照してください。)
古代バビロニアやペルシャの影響を受けながら、ギリシャでは自然科学を重んじる哲学思想が誕生しました。
哲学って何だろう?算命学
非常に簡単に言うと、《人間とは何か》《人間はどのように生きるべきか》 それを自らに問いたものが哲学です。
それまでのギリシャは、ゼウスという最高神を中心とした神様達の力によって、人間は生きているのだと理解していました。
つまり、自ら作り出した神話で、人を支配していたのです。しかし、市民国家ギリシャでは、神から切り離して《自分とは何か》問いただす学問が芽生え、哲学(Philosophy)という考え方が誕生しました。
Philosophy とは、知(智・学問)を愛するという意味。
彼らの愛する知(智・学問)を、物理学・論理学・倫理学としました。
ポリスという独立した市民都市の集合体として発達したギリシャには、絶対君主がいなかったため、自由に物事を考え、主張することが出来たのです。
これは他のどの国にもない、古代ギリシャの大きな特徴です。
ギリシャ程自由ではありませんでしたが、ほぼ同時期に中国でも比較的自由な思想が生まれます。
大小様々な国がしのぎを削っていた古代中国の春秋戦国時代は、絶対君主が不在であった為、自由に考え、発言することが許された時代でした。
そのため、様々な思想家が登場します。
孔子や孫子・老子など有名な中国思想家の多くが、この時代に登場しました。中国思想のほとんどがこの時代に出揃ったと言っても過言ではありません。
この時期の思想家を、諸子百家と呼びます。
ギリシャと中国という、遠く離れた地で、同じ時期に《人間とは何か》を探究した哲学的思想が誕生したのです。
この時期の超有名人の誕生時期を並べると、このことが良く分かるかと思います。
ソクラテス | AD469 年~399年 |
プラトン | AD427年~347年 |
孔子 | AD552~479 |
孫子(孫武) | AD535~? |
老子については、《タオの思想》を参照下さい。
ローマ帝国と、秦の始皇帝の登場により、絶対君主制度になると、《自分とは何か、自由に考えて発言する事》など許されなくなり、永い間思想の自由は抑圧されます。
自由な時代に生きている私達。 だからこそ《自分探し》に迷います。
古代の哲人達は多くのヒントを与えてくれているのです。先人達の知恵を学ぶことは、自分を知ることに繋がります。
自然科学って何だろう?算命学
古代ギリシャ人の偉大さは、《人間は、神様の意志で生かされている。》という、それまでの神話的な考え方、神様から切り離して考えてみようとしたことにあります。
神という存在を否定したのではなく、神が自然を支配する考え方から、神と自然を分けて考えてみたのです。
神様から切り離して世の中を見てみると、万物の創世には、自然というものが大きく関わっている事に気がつきます。
朝になると太陽が昇り、夜になると沈みます。
満月の夜、海は満潮になり、魚や亀の産卵がみられます。季節も1年を通して移り変わります。
春になると芽吹き、秋になるとオリーブは実をつけます。
自然そのものに、完璧な秩序がある。その自然を観察しながら一定の理論を見つけようとした学問が、自然科学という考え方です。
自然というのは歯車のように、精密な機械のような秩序を持っていると考えたので、アンティキティラの機械のようなものも発明したのでしょう。
天体の法則など自然観察に基づいた《自然科学》という分野と、自然を観察しながら、自然と人間との関係を考えた《自然哲学》という考え方生まれました。
自然の一定の原理を人間に当てはめた考え方です。
へレニズムから空海へ
古代ギリシャで誕生したこの考え方は、東洋にも大きく関係していきます。
アレクサンドロス大王の東方遠征により、ギリシャ文化と東方の文化が融合し、ヘレニズムが始まります。
ちょうどその頃貿易風が発見され、地中海とインド洋を結ぶ海上貿易が始まり、ヘレニズム文化はインドに伝わります。
自然科学や哲学思想も影響を与えますが、インドの民衆に大いに受け入れられたのが、砂漠の民の空の地図、ホロスコープによる出生占星術です。
もともと占星術が盛んであったインドでは、ホロスコープが大人気となり、ホロスコープはインドで大きな発展を遂げます。このインド化したホロスコープは仏教と共に、中国に《宿曜経》という名称で伝えられていきます。
宿とは、インドの古い占星術を代表する星宿のことです。
インドでは27宿でしたが、中国では28宿に変更して伝えられます。曜は、曜日の概念であり、当時の中国にはないものでした。
この宿曜経の経典は、中国語に訳された時、大蔵経という経典の「密教部」に収められたため、密教と呼ばれるようになります。
中国は唐の時代。
この唐の時代の中国に、遣唐使として留学したのが弘法大師 空海です。空海が学んだ密教とは、このインドから紹介されて間もない宿曜経のことなのです。
留学から帰国後、政府公認の学問として陰陽道がありましたが、この「宿曜経」に基づく占星術は当時の貴族達に注目され、人気を博したのです。
これが真言密教の始まりです。
連続した歴史という流れの中に、現在の私達という存在があります。遠い先祖からの記録を紐解いていくことで、未来が見つかるのではないでしょうか?
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