甲乙丙丁戊己庚辛壬癸
十干の中で、説明が難しいのが《己土》と《庚金》。
この2つは干合変化をしない不変化数である故に、その解釈が難しい。 どう活かしたらよいか? ヒントになる言葉がないか、日々研究しているので皆様からご意見を戴けたら幸いです。特に所有者たちの意見は、大変貴重! そのようなデータの集積が新しい統計理論を積み上げて参りますので、宜しくお願い致します。
夏季の庚金は火の多い命式、冬季の庚金は水の多い命式とし、その解釈は大きく違います。今回は夏季の庚金、火力に鍛えられる庚金に限定して考察してみたいと思います。
老子 道徳経 運夷第九 揣而鋭之、不可長保
刀剣は、切れ味を求め 熱を加え焼きを入れて鍛錬すればする程、細く鋭くなる。切れ味は良くなるが、薄くなり、折れやすくなる。
折れないようにするには、鍛錬はほどほどに…ある程度太くしておくしかなく、そうすると当然切れ味は鈍くなる。
切れ味の悪い、尖っていない方が、長もちする。
算命学では、日干《庚》は、炎である《丁》と、焼き入れに必要な冷水《癸》がある事を理想的命式とした。勿論、火力が強すぎる熔解してしまい、疲れやすく体力が無い人が多いとする。何事もバランスが大切だ。
庚丁癸
申巳丑
《切れ味良く、人にズバッと鋭い意見をいい、さっぱりとした気性であとをひかない人物像》であり、算命学ではそのような人物像を良しとするが、老子経では、≪そういう人だから、人間関係が長く保てない。もっと自分の能力を隠しなさい、自分を鍛錬するのもほどほどに…≫と説いている。
何かの役に立たねばと、焦燥感に近い気持ちで自分を強く出してしまう人。だからこそ、自らの才覚を隠し、のんびりと構えた方が人間関係も長く保てる。
ある所に、刀鍛冶の弟子がいた。修行を積み、実に見事な切れ味の刀を作りあげたが、親方は、《殺人の道具としては一流であるが、本来の銘刀は鞘に収まってこそ、銘刀でなければならない》と諭したそうだ。
日本において刀剣が戦場の主役となったのは室町時代まで。戦国時代は種子島が登場し、江戸時代に入ると、権力の象徴、褒賞、鑑賞用など、辛金的役割となる。真剣勝負とは字の如く、余程真剣にならないと用いない。そう考えると、庚金とは、動乱期は戦いの道具だが、平和期は象徴的役割を担うようだ。
宮大具の弟子たちも、最初の3年間はひたすら刃物を研ぐ事から始まるという。尖った刃物は油断すると即座に人の手を傷付ける。故に、それを研ぐことで集中力を養うのだという。 兼好は「よき細工は、すこし鈍き刀を使ふ」といっているので、実際に使い勝手が良いのは鈍い刀という事なのだろう。
人の役に立とうと自らを鍛錬する努力家の《庚金》は、日頃は観賞用となり、その鋭さは鞘に納めていなければならない。いざ事が起きると短期集中で実力を見せ一刀両断、だが、その能力はすぐに鞘にしまうこと。
強きものこそ、目的を明確にし短期集中。そこに美しさあり。