数理暦学的桃太郎
陰陽学で考える! 数理暦学で考察する《桃太郎》物語
by スナフキン染谷
昔々ある所にお爺さんとお婆さんが住んでいました。ある日お婆さんが川で洗濯をしていると、大きな桃が流れて来たのでお爺さんと食べようと家に持ち帰りました。おじいさんと一緒に桃を割ると中から男の子が出てきたので「桃太郎」と名付け、大事に育てました。大きくなった桃太郎は、鬼が人々を苦しめていることを知り、鬼退治に行くことを決意しました。
桃太郎は、お婆さんが作ってくれたきび団子を腰に下げ、途中で出会ったイヌ、サル、キジにきび団子を分け与えて家来にすることにしました。
鬼ヶ島で鬼と戦い見事に勝った桃太郎達は、鬼の財宝を持ち帰り、幸せに暮らしたということです。めでたし、めでたし。
この桃太郎昔話を、陰陽学で考察してみました。桃太郎伝説は、十二支・鬼門などが道教的な要素が盛り込まれて書かれているそうですが、私は学んだばかりの五行方位と五本能を結び付けて考察してみました。
私が注目したのは、3匹の家来たちです。
犬(戌)、猿(申)、雉(酉)は、十二支の中の動物です。五行の方位に位置付けてみると3匹とも西方にあたり、五行でいうと戌は土性、申と酉は金性。また五欲・五本能に位置付けてみると、戌は福禄寿官印の「禄」で「引力」、申と酉は「官」で「攻撃」本能になります。
戌の「禄」は財、言い換えればお金。申と酉の「官」は、名誉・名声を意味しています。
桃太郎は何故鬼退治に行ったのか?それは、財と名誉の為ではないかと思うのです。 …となると、昔話で読んだ《鬼が人々を苦しめていることを知り、鬼退治に行くことを決意しました。》という記述と矛盾します。
そこで、芥川龍之介の《桃太郎》を読みました。
芥川の描いた桃太郎は、おとぎ話の桃太郎とは大分様子が違っていて、鬼ヶ島の征伐を思い立った訳や、老夫婦の桃太郎に対する思い、家来にするまでのやり取り、鬼からみると侵略者であったという視点は非常に面白く、見方・考え方の角度を変えると、全く違ったストーリーになるのです。
同じ出来事も、相手の立場を立ち、全く逆の視点から捉えることの大切さ、それこそが陰陽二元論で物を捉える事なのだと勉強になりました。
そこで再び考えました。
もしも桃太郎の家来たちが、西ではなく、反対側の東に位置する動物たちを家来にしたらどうなるのだろうか?
東に位置する十二支は、寅(虎)・卯(兎)・辰(龍)。
虎は、東アジアにいる地上の動物で最強。龍は、想像上の動物ですが、その強さは神の使いでもあり言うに及ばず。兎は、その長い耳であらゆる情報をキャッチする。まさに最強のコンビであると言えます。
この3匹を五行に位置付けてみると、寅と卯は「木性」、辰は「土性」。五欲・五本能に位置付けてみると、寅と兎は福禄寿官印の「福」で平和・家庭、本能としては「守備」。辰は戌と同じで土用の位置にあり「禄」。
つまり、寅卯辰からは、平和・守備・財という言葉が表出されます。
桃は初夏の果物です。もし桃太郎が生まれて間もない秋に行動せず、冬という寒い時期を耐え、鍛錬されていたら、村の人々を守る為に、≪申酉戌≫より遥かに強い守護神 ≪卯寅辰≫を味方にする実力を得たのではないか。と考えられるわけです。
芥川の眼でみると、桃太郎の行為は侵略戦争です。桃太郎に、≪卯寅辰≫を家来にする知力・信用力が備わっていたら、≪申酉戌≫をきび団子などで買収までして侵略をすることなく、≪卯寅辰≫の強い力で村を守りながら、家業を大切に守り自分達の力で財を成していったのではないかと思うのです。
数理暦学を学んで間もないですが、陰陽五行で物事を捉えると今まで見えなかった部分が見えてきます。このたび、私の作品を選んで戴けて感謝しています。 又、クラスメートの末永さんが中学2年生の画伯達にイメージの絵を頼んで下さいまして、とても良い記念になりました。ありがとうございます。 画伯たち!ありがとう。
byスナフキン染谷
とても楽しくて読み応えのある「桃太郎」を有難う御座いました!
画伯達の絵も素晴らしいですね✨
二元論…で物事を考えると、視野が広がって得した気分になります♪
《桃太郎で陰陽説を考察する!》をテーマに課題をされた方はいらっしゃいましたが、攻撃本能と守備本能の五本能を使いこなして考察された方は始めてでした。
目からウロコ! シンプルなたとえ話は一番人の心に入ってきます。
例えば、社長さんが管理職社員に説明するにも・・・
《お前、桃太郎の話を知っているか? 桃から生まれたばかりの季節に挑戦しようとするから、きびだんごで猿と鳥と犬を買収しなけれならなかった。ビジネスでいうと、申は知的参謀だが、白猿でない限り良い知恵はなかなか生まれない。
犬は忠実だが、敵に向かってワンワン吠えてかみつくだけだ。
鳥は視察をしてくるがちゃんと戻ってくるか分からない。そんな部下を飲みにつれていってご機嫌とりながら使ったのが桃太郎だ。
だが、もし、寒い冬を耐え忍び、むかえた春であれば、龍と寅とウサギを、きびだんごなど使わず家来にできたはずだ。
辛い経験をたくさん積み、その経験を学びとし、実力さえつけたら、その実力に相当する相手を部下にする事ができる。
取引先に何も言わず営業するのは、《かなり出来る部下を持っている》という風格だ。
これは孫子の時代から使われている方法である。
各国が核武装をして自国を守ろうとするのも、同じ理論から派生している。
ウサギにちくられ、ぎゃくに龍と寅に食べられてしまうのではないかって?
軍隊も同じこと。
それを取り扱う人が常に精進していかないと、制御不能になる危険性は常にはらんでいる。
優秀な部下を持つ事により、上司の質も高められる。
良い人材を使いこなすには、どうしても自分が勉強しなければならなくなる。
人材を繋ぐ糧はきびだんごじゃなくて、《信頼力》しかないのだから。
それだけの実力を自分が擁する自信がなければ、猿・鳥・犬をきび団子を与えながら使っていくしかないだろう。
《猿・鳥・犬が家来でも、桃太郎は成功したじゃないか》って?
それは鬼門通過時期という、人の気持ちが浮遊する時期に一発勝負でチャレンジしたからだ。
その方法を活用するなら、時期と時代の流れを読む。諸葛孔明的にいうと、天運を計算して上手く動かすしかない。
ちなみに、あの後の話は、めでたし、めでたしで終わっているが、その続きはあるはずだ。
きび団子を貰ったから動いた猿と鳥と犬だ。桃太郎によほどの自信と風格がなければ、その後の鬼が島の運営はどうしたことか。
めでだしで終わる現実などないのだから。