第3回目になる佐藤一斎
「重職心得箇条」から学ぶ、
経営者を支える者の心得
今回のテーマは伝統と因習。
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第1回目 金兄妹から学ぶ
第2回目 酒と料理の組織論
この文章を読む前に、
「わが社の伝統」は何か、一度考えてみて欲しい。
明確にして欲しいので、
メモをとることを推奨する。
伝統とは、精神のコアだ。
そのため、伝統がないと因習は打破できない。
「働き方改革」で、何をどう変えたらよいか
分からない。
そのような会社は、「伝統」が不在な場合が多い。
事業提携・継承・M&Aにおいて、
最優先されるものこそ、企業伝統ではないか。
伝統か因習か
重職心得箇条 第3条
家々に祖先の法あり、取失うべからず。
又仕来仕癖の習あり、是は時に従て変易あるべし。
兎角目の付け方間違うて、家法を古式と心得て除け置き、
仕来仕癖を家法家格などと心得て守株せり。
時世に連れて動すべきを動かさざれば、
大勢立たぬものなり。
先代から引き継いだ
伝統的な精神を失ってはならないが、
しきたりや、
現行の仕事のやり方などを伝統と思い違い、
こだわっている場合が極めて多い。
どうも、
この二つ、伝統と因習を混同し、
伝統的な考え方を、
古臭いものだと排除したり、
会社での決まり事だ、
社会人の常識だと、
自分たちの作った仕来りを、
伝統的で守るべきものだと勘違いして、
固守しているように思われる。
これこそ時に応じて見直して、
変えるべき因習である。
改訂し続けない限り、いつまでたっても
環境が改善されず、成長も出来ない。
良く考えるとそのほとんどが、
時代遅れのものではないか。
第4条 重職心得箇条
先格古例に二つあり、家法の例格あり、仕癖の例格あり、
先づ今此事を処するに、斯様斯様あるべしと自案を付、
時宜を考えて然る後例格を検し、今日に引合すべし。仕癖の例格にても、其通りにて能き事は其通りにし、
時宜に叶わざる事は拘泥すべからず。
自案と云うもの無しに、
先づ例格より入るは、当今役人の通病なり。
佐藤一斎
昔から伝えられている先例には、
家法からくる決まり事と、
仕事癖といってもいいような
因習になっている決まり事がある。
事業課題にプランを作成し、
以前はどう処理したか、
先例を参照しながら判断することは大切だ。
しかし、それが時代に合っていないと判断したら
先例にこだわってはいけない。
自分の考えやプランを持たずに、
先例に従おうとすると、
「役人仕事」と言う名の病気に罹ってしまうことを、
留意したらよいだろう。
パワーポイントは因習か
立派なパワーポイントで説明しないと、
仕事のクオリティが低いと思われるという恐怖から、
残業してまで、
こだわりのパワポを作ることなど、
因習ではないか。
Amazonもトヨタも、社内向け資料のパワポ使用を、
とっくの昔に禁止している。
2014年出版の、
「ジェフ・ベゾス 果てしなき野望」
(日経BP社刊、ブラッド・ストーン著、井口耕二訳)
に、この事が紹介してあるということは、
禁止してから少なくても、8年以上経過している。
凝ったパワポには、相当な時間と労力が求められる。
よく考えてみると、
パワポ資料は一見わかりやすいものの、
抽象化され、理解に時間がかかるし、
後から内容を確認する際も、
勝手に解釈され、誤解を招く危険性もある。
故に、検討段階の社内プレゼンでは、
有意義なツールであるとは言えない。
だが、先輩たちの優れたパワポ資料をみて、
それを先例とし、仕事のクオリティとは、
「いかにきれいなプレゼン資料を作るか」であると
勘違いしてしまい、
内容のないパワポショーが
大切な会議の時間を浪費している。
Amazon、トヨタは、
「読んですぐ理解できる
簡潔でわかりやすい文章を会議前に配布する」という、
パワポ登場前の会議スタイルで行っており、
その方法で、素晴らしい実績を上げている。
社内プレゼンにおけるパワポは、因習か伝統か。
あなたはどう思うだろうか。
ほうれんそうは、因習か
「上司に報告・連絡・相談をこまめに行う」
報・連・相は、企業人として常識だとされ、
報・連・相がきちんと出来る人間を
仕事が出来る人間といい、
出来ない人間には
社会人失格のレッテルが貼られている。
そして又、同時に、経営陣は、
「今の社員は自主性がない」
「言ったことしかやらない」とも嘆いている。
新人教育時にあれほど
報・連・相を徹底しろと連呼されれば、
報告のための書類作りに追われ、
一々連絡しなければ何も出来ず、
相談したら、
「そんなことも分からないのか」と
否定されて自信喪失。
そんな事が繰り返されると、自主的な思考力など
喪失してしまうだろう。
逆に、上司の顔色を窺いながら
要領よく「報・連・相」する社員が育成されきた。
今になって、「自主的に動け」ということこそ、
パラドックスではないか。
そう考えると、報・連・相は、因習か。
自主性や独創性を求めるのであれば、
自由度がないと、発想力は生まれない。
そのため、適性な目標を定め、権限を委譲し、
仕事の進め方を部下にまかせるマネジメントが出来なければ、
次世代の管理職育成も育成されない。
幕末の志士は、報・連・相をしていたのだろうか。
彼らは自分の頭で考え、行動し、実践した。
そのため、勿論、失敗もし、
上司(藩・会社)に大いなる迷惑もかけている。
禁門の変など、上司にこまめに報告、連絡、
相談した結果、行った事には到底思えない。
その結果、長州藩は存続の大危機に陥り、
藩主 毛利敬親など朝敵にされ、追討令が出され、
首脳部は全員、切腹・斬首されている。
だからこそ、次世代は大いに学び、次に繋げ、
維新後、政治の中枢は長州閥が支配、
安倍晋三氏(山口県選挙区選出)に至るまで、
長州閥の支配は今に続く。
自主的に動く社員が欲しければ、
上層部はそこまでの覚悟をしなければ、
イノベーションは起こせない。
それには、報・連・相を再検証し、
時代に合わせたものに、見直す事から、
企業イノベーションを始めよう。
企業理念こそ伝統だ。
伝統とは、
古くからの仕来り・様式・傾向、血筋などの
有形あるいは無形の系統を受け伝えること、民族や社会・団体が歴史を通じて培い伝えて来た、
信仰、風習、制度、思想、学問、芸術、
あるいはそれらの中心をなす
精神的あり方などのことをいう。
(Wikipedia より引用)
会社理念こそ伝統ではないか。
朝の朝礼で社員が企業理念を唱和することは、
伝統儀式であり、因習ではない。
それを多くの企業は、
時代にそぐわぬものと廃止してきた。
その結果、企業理念は何かと聞かれても、
即答できない社員が多い。
神社に行くと身を正して拝礼する。
日本古来の伝統だからだ。
伝統があるからこそ、因習を見直せる。
朝廷という伝統があったから、
日本は瓦解せずに、幕藩体制を因習とみなし、
社会構造を大きく変化させてきた。
伝統的組織形態は必然的なものではない。
スティーブ・ジョブズが変革したものは、
iPhoneではなく、組織そのものだった。
1997年にアップルに復帰した時、
全事業ユニットのゼネラルマネージャー全員を、
復帰したその日に解雇。
分社化していた組織を統合し、
全社の損益計算書を一元化、
それまで事業ユニットごとに別れていた
職能部門を一元化した。
当時の組織運営は、アップル規模であれば、
分権型の縦割り区分が当たり前とされたが、
ビジネススクールで教えていること、
高額なプロのコンサルタントが提唱していること自体、
因習ではないか。
何故かと言うと、
それで現在成功していないからであり、
業績をあげていないということは、
現在機能していないシステムであり、
それは因習に過ぎないとジョブズは判断した。
アップルの企業理念は、
「日々の暮らしを豊かにする製品の創造」
これを最優先にし、その理念(伝統)を守るために、
従来のやり方という因習を捨て去り、組織を再編成した。
この新しい職能別組織を導入した結果、
その後、アップルがiPhoneを始め、
様々な革新的商品を世に出し、
収益が約40倍になった事実をみると明かだろう。
世の人は、ジョブズはi-Phoneという
イノベーションを起した人物だというが、
ジョブズ自身が言っている通り、
i-Phoneはモノに過ぎず、
彼がイノベーションをしたのは、組織であり、
そこで働く人々の可能性だった。
今上手くいっていないシステムは因習ではないか。
これこそが、
伝統か因習かを検証する最もシンプルな判断基準だ。
因習は時代に応じて変えるべきことこそが、
イノベーションの原点ではないか。
山脇史端
一般社団法人数理暦学協会
下記サイトに要約文を掲載させて戴いております。
当協会はアジアビジネスコンサルタントとして
暦学を提唱させて戴いております。
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