先週シンガポールに行った際、現地の方から、「なぜ時間データは必要ないのか」という質問を受けました。
皆様も何かの際に聞かれると困りますので、アドバイスをさせて戴きます。
台湾やシンガポール・香港などでは、干支暦学の文化は定着しています。彼らの推命学文化は四柱推命や紫微数を用いているため、時間というデータが必要になります。私が行っている算命学・干支暦学は、中国王朝の亡命僧侶から故高尾義政氏が学んだもので、四柱推命や紫微数とは4割共通していますが、6割は違うものだと思って下さい。当協会の干支暦学は、更にその解釈に中国古典の要素を入れております。
四柱推命・紫微数との最大の大きな差異は、「時間データを必要としない」点かも知れません。
「なぜなのか」「3つのデータだけなら不正確ではないか」という指摘を受けました。
しかし、私が表出させたデータには精密さがあるため、「それではなぜ時間を入れなくても可能なのか!」という単純な疑問も戴きました。
華僑の方々にとりまして、推命学や風水は、彼らの誇りある道教文化です。極東の国の人間に何が分かるんだ!というようなプライドもあります。これは当たり前のことなのです。
それでは、そもそも時間とは何か!
丁度、染谷先生の二十四節気で、定時法と不定時法についての説明がありましたので、補足を兼ねて説明を行います。
定時法と不定時法については、染谷先生のブログをまずご一読下さい。
様々な文献を網羅すると、中国において、現在私達が用いている西洋型時刻制度が浸透したのは、太陰太陽暦からグレゴリオ暦に改暦されたもは1912年1月2日になります。
時間制度は、暦法に準じています。
そのため、1912年以前の清朝において用いられていた時刻制度は、時憲暦という太陰暦に基づく定時法、不定時法併用の時刻制度でした。
中国での暦法は、皇帝が管理するものであった為、王朝が変わるごとに暦は改められてきました。特に春秋戦国時代終焉後の漢代以降、国家的事業として何度も改暦が行われ、その都度精巧なものになっています。時刻を知るための時計も、漏刻という水時計が発明され、その精度も年代を経るに従い改良されてきました。
時間を管理するのは皇帝なので、宮中では水時計で時刻を測り、時刻を報じ、各都市や街には楼鼓、鐘楼などに設置された鐘を鳴らすことで、人々に時刻を知らせていたようです。この方法は漏刻と共に日本にも伝わり、漏刻と暦法の管理は陰陽寮の大事な業務だったのです。
時計は明代の1583年にイエズス会の宣教師から皇帝に献上されたそうですが、漏刻での時間と当然ズレが生じていたこともあり、アクセサリーに過ぎず、時刻を知る道具としての実用的機能を果たさなかったそうです。
このように、清朝の末までは、旧来の中国独自の時刻制度が主に用いられてきたのです。
時間の流れの上に暦がありますので、暦法がグレゴリオ暦に改暦された1912年以降は、中国も現在の定時法を用いる事になったのです。
四柱推命や紫微数は時間のデータを必要とします。
しかし、それは不定時法による時間データで統計をとってきたため、必要なものは、不定時法の時間になります。
現在の定時法の時刻を、不定時法に変換して用いない限り、データとしては有効ではないというのが私の結論です。
日本人は外来文化を吸収し、コンパクトに効率的に作りなおして活用することが上手です。
定時法になってからの世界において、不定時法で測定した時間はデータとしては必要ありません。
それゆえに、生年月日のみでいかに精緻に計算するか、それは天才 故高尾義政氏の業績だと思っております。