今回から、仙台支部長の誉田和子先生がご専門のヨガのお話しと共に、ホリスティック的な見地から、干支暦学にアプローチ下さいます。
誉田先生は、駒澤大学の仏教学部にて、禅と東洋哲学を専攻されていらっしゃいます。
その後YOGAと出会われ、ヨガライフシステム研究所を設立、以降28年間、多くの人材育成に寄与されていらっしゃいます。
それでは、誉田先生に《ヨガ・禅・干支暦学》の流れについてご説明戴きましょう。
YOGAと禅
禅は、サンスクリット語のディヤーナの音を文字にした、禅那(ぜんな)の略で仏教では心が動かなくなった一定の状態を意味します。
南インド出身で中国に渡った達磨大師により伝わったもので、インド発祥ということになります。
最近はスティーブ ジョブズ氏(故人)が禅に傾倒した事もあり、アメリカでも大いに注目されており、禅から宗教色を一切消したマインドフルネスなどがブームのようです。
ヨガも同じくインド発祥です。
私が仏教学部で、仏教や禅について学んでいたとき、インドの歴史について学んだかといいますと、これに関しては正直あまり記憶がありません。西洋の哲学については選択して学びましたが、インドの歴史について学ぶ機会を自ら逃した感があるのです。 このインドの歴史についての関心は、卒業後YOGAと出会い、YOGAを本格的に学び初めてから、興味が俄然沸いてきたように思います。
私はYOGAを通して何を生徒さんに伝えてきたかというと、『幸せ体質』を獲得する事です。
『幸せ体質』
『幸せ体質』とは、適度に 心と身体がコントロールされて、外界の物事に引っ張られない穏やかな 状態です。
『幸せ体質』になるには、現世的な利益を追い求めるだけではなく、古くからの思想や哲学を紐解くことに、ヒントがあるのだと思います。
そこに至るために、人々は自問し、苦しみ、そこに哲学的思想が生まれています。
インドの歴史は馴染のない言葉が多く、またインドには、神話・伝説・昔話は数多くあるのですが、歴史上の事象における記録はきわめて少なく、ヘロドトスや司馬遷のような歴史家も生まれていません。 数多くの民族と数多くの階層により構成されている文化なので、各自の都合が良いように伝説が書き変えられたり、書き足されたりしているため、研究が非常に難儀とされています。そのため、私の学生時代は、学ぶ機会がなかったのかもしれません。
このような複雑怪奇なインドの文化、少し分かりにくいのですが、基本的な用語を少しずつ説明しながら、理解して戴ければと思っておりますので、しばしおつきあいください。
ヒンドゥ―教
ヒンドゥ―教とは BC1500年頃、アーリア人の進出により、弱体化していたインダス文明は滅ぼされます。 その後、この地域は人種的にはアーリア人とドラヴィダ人に分かれ、政治的には大小の国家が分裂していきます。
言語に至っては現代の憲法が認める公認言語だけでも、14にのぼり、現実には1000を超える地方語があるのです。(ブリタニカ国際大百科事典より)
そういう意味では非常に摩訶不思議な国です。もしインドとはどういう国かと聞かれたら、ヒンドゥーという宗教が先にあり、それが唯一つ民族を結びつける絆であると言えるかもしれません。 ヒンドゥ教の聖典といえば、ヴェータです。ここでヴェータとういう聖典にはどのようなものがあるか、ご紹介していきましょう。
ヴェーダ聖典
ヴェーダは「知識」という意味で、一説によると、神によって聖人が啓示されたものとされています。つまり、逆に言えば誰が書いたのか教祖がおりません。 祭祀の儀礼に必要な聖典であり、『リグ・ヴェーダ』や、『ヤジュルヴェーダ』『サーマ・ヴェーダ』『アタルヴァ・ヴェーダ』などの聖典群から形成されています。
つまり、これらの聖典は神によりもたらされたものとされたものとされ、インドで最も古い書物です。リグ・ヴェーダが、BC1000年以前から古ウパニシャッドBC(600~300)にわたって成立しています。
リグ・ヴェーダ
1028詩編、10巻に分かれ、神々を称えた讃歌で、BC1200年ごろにつくられています。編纂されたのはBC10世紀頃です。その中にインドの神々の讃歌や、祭祀を執り行うのに必要な言葉や文章を集めたもの。本集(サンヒター)と呼ばれるものが収められています。
サーマ・ヴェーダ
宗教讃歌
ヤジュル・ヴェーダ
祭式の説明や他
アタルヴァ・ヴェーダ
呪いや、幸福祈願
この4つのヴェーダを基本として、サンヒター(本集)、ブラーフマナ(梵書)、アーラヌヤカ(森林書)、ウパニシャッド(奥義書)で構成されています。
ウパニシャッド
ウパニシャッドは奥義書といわれ、またヴェーダ聖典の最後になることから、「ヴェータンタ」と呼ばれます。この基本の思想が「宇宙と人間の合一」言い換えれば「ブラフマン(宇宙の絶対者)とアートマン(個我)が同じ」だと言っています。ここに、ヨーガのついての記述も奥義として記されています。
ヒンドゥー教といえば、おびただしい数の、ド派手な原色の神様を思い浮かべると思いますが、実は複雑なように見えて単純で、主な神様はブラフマー・ヴィシュヌ・シバ神の三体で、
この神様が、様々な神様に化身(変身)することで、数々の神話や物語が形成されています。
つまり、各民族・各言語により都合よく物語が作られ続けてきた結果、多くの神様が存在することになり、この神はシバ神の3番目の化身である・・というように、姿を変えることで同一神があちこちに登場するため、解りにくくなっているのです。 また、この三神は、それぞれ妻帯しており、その妻たちがこれまた個性的でパワフルな姿で登場し、彼らの子供達もまた面白く描かれています。
ちなみに、お釈迦様は、ヒンドゥー教ではヴィシュヌ神の9番目の化身とされていますし、ガネーシャという象の姿をした神様は、シバ神の子供です。
このように、宗教的には非常に大らかで何でもありなのですが、彼らが何がなんでも固守してきたのは、四姓とよばれる社会の仕組みです。 これはすでにヴェータの中に4つのヴァルナ(色)の名前で現れ、後の「マヌの法典」の中で更に厳格に規定され、4000年の時を経て引き継がれている考え方です。
四姓
この混沌とした世界に、アーリア人は、四姓という《階級的身分制度》を確立していきました。
四姓とは、婆羅門(祭祀を司る司祭)、王族・武門階級(クシャトリア)、庶民(バイシャ)奴隷(スードラ)という4つにカテゴライズされ、これは、長い間インド社会の規範となっていきます。 婆羅門(バラモン)には祭司としての、クシャトリヤには王族・戦士としての、ヴァイシャには庶民として、スードラには奴隷としての役割があり、自分の身分に課せられた義務に従うことが強く求められました。例え戦士として優秀な才能を持って生まれても、自分の属した階級以外の仕事をこなすことは固く禁じられていたのです。 この四断層の身分制度を、ヴァルナと呼びます。
バラモン(司祭)とクシャトリア(王族・戦士)・バイシャ(庶民)は、ドビジャと呼ばれ、この階層に属する男子は10歳前後に成人式のようなものを挙げ、アーリア人としてヴェーダの祭式に参加する資格が与えられました。 最下層のスードラ《奴隷》は、大いに差別されますが、まだいい方で、更にスードラの下にバンチャマとい不可触民が設けられ、彼らがヴァイシャの社会的底辺となったのです。バンチャマは、死体や汚物処理などのような、誰もやらない穢れと思われた仕事に従事しました。
つまり、バンチャマの子供として生まれたら、好きも嫌いもなく、一生そのような仕事に従事しなければならないのです。そして、バンチャマの子供も同じ仕事を世襲するという逃れようのない社会の仕組みです。
ヒンドゥー教が形成される過程で、この職業階層ヴァルナは何千もの集団に細分化されていきます。 そして出身・血筋の意味を持つ、ジャーティという6000もの集団に細分化されていきます。ジャーティは地位・特権・職業の世襲を原則とする非常に排他的な集団で、6000もあるのですから、かなり細分化していました。
「雑草を除去する仕事」の家に生まれたなら、他にどんな才能があっても一生「草むしり」しか出来ません。田植えや収穫の仕事は許されず、「草むしり」だけ。それ程職業は細分化され、その枠の中で生活をするという、いわば「生活様式」となっていきます。
カースト制
16世紀にインドを植民地化したポルトガル人が、このジャーティをcasta(血統)と呼んだことから、カースト制という言葉が欧米に伝わります。カーストとは、ヨーロッパ人がつけたジャーティの制度の事なのです。 このように書くと、カースト制のある国になんて生まれなくて良かった!と思うかもしれませんが、4000年も前からこの制度の中にいるインド人にとってカーストは自然の社会の形体であり、これにより彼らの社会の秩序が保たれてきたのも事実です。 つまり、カーストがあると職業選択の自由はない代わりに、ある意味の安定は得られるのです。
生まれた時から、どういう層のどういう職業の人と結婚するかもわかっていますし、大人になってからの職業も決まっています。『草むしり』だと『草むしり』が仕事ですが、誰か他の人にその仕事を奪われる危険もありません。 勿論『草むしり』が仕事の人が、時代の変化と共に『草むしり』をする機械の会社や、除草剤の会社に勤めるのは可能です。
ある貴族の家で、《奥様の髪を洗う仕事》のスタッフがいなくなっても、《髪を結う仕事》の人が兼業してやる事は許されず、今まで髪を洗っていた人の家族にその仕事が与えられるのです。
ちなみに、IT業界は4000年来のカーストの職業のどこにも属さない新たな分野です。
つまり、どこのジャーティ(カースト)にも割り当てられない全く新しい分野だったのです。
故にこの新しい職業に、多くの人材が参入してきました。従来のカーストという輪廻から逃れる大チャンスだったのです。 これにより、ご存知の通りインドではIT産業が隆盛です。 中国の次はインドの時代と言われていますが、このカーストという社会の枠をどう活用するか、それをしっかりと見定める必要があるでしょう。
YOGA+禅×干支暦学
私は28年間、ヨガを多くの人に指導をして参りました。
ヨガの歴史
ヨガという言葉が始めて文献に登場したのは、紀元前800年~500年にタイティリーヤ・ウパニシャッドがあり、その中で人間五蔵説や、ヨーガの言葉が出てきます。
また300年~350年頃に編纂された、カタ・ウパニシャッドにはヨガについてさらに詳しく述べられており、それより以前、紀元前2500年頃にインダス河流域の遺跡、モヘンジョ・ダロから発掘された印章の中に、ヨガの行法の像が刻まれたものが発掘されたことから、この時代から既にヨガの原型の修行法があったのではないかとされています。
その後、4世紀に、インドにパタンジャリという哲学者が登場し、ヨーガ・スートラという経典が編纂されました。
これはヨガを体系的にまとめた最も古い文献です。
しかし、現在今私が指導しているような動きのあるものではなく、自我を見つけ、どう生きるべきかを内省しながら探していく瞑想法と座法を中心としたヨガで、どちらかというと禅のイメージの方が近いかと思います。ちなみに、スートラとは、経糸という意味です。つまり経書という事になります。
陰陽の気を整える ハタ・ヨガ
その後、12世紀に入ると、ハタ・ヨガが誕生します。これが今私が指導させて戴いているヨガの原型かもしれません。 ハタ・ヨガとは、「ハ」は、太陽=陽を、「タ」は、月=陰を意味し、宇宙と自分の結合というものを表しています。
ヨガについては、協会のブログ《プラトンとヨガ》を参照下さい。 ハタ・ヨガは、呼吸法と合わせ、自分を客観的に見つめるということから始まります。その過程で集中することで、意識と身体を一体化させること、つまり陰陽の気を整えることから始まり、自分とは何か、心身のバランスを整えていくのです。
陰陽を整えながら自分を客観的に見つめていくことが、私が現在指導させて戴いているヨガの原型、ハタ・ヨガになります。
ヨガと干支暦学
干支暦学理論は、陰陽五行論に基づき編纂された学問です。
インドはご存知の通り、ゼロという概念を生み出した国です。インドが中国の暦法にどのような影響を及ぼしたのか、歴史を紐解きながら、ヨガ文化を更に発展させていけたらと願います。
これからのヨガのインストラクターの先生方は、経営者など、本物志向の方々へのパーソナル指導の機会も多くなると思います。
『幸せ体質作り』に大切なのは、心と身体のケアです。
ヨガと干支暦学というどちらも陰陽に基づく理論を活用して、真摯なアプローチの出来る人材育成を、これからの私の目標として広めていけたらと願っております。
一般社団法人数理暦学協会 仙台支部長
誉田和子