新年度が始まりました。 なぜ4月が新年度なのでしょうか?
今回は、埼玉県久喜市にて整体医院を開業されながら、数理暦学セミナーを開催されている染谷先生が記事を寄稿下さいましたので掲載させて戴きます。
数理暦学は暦に秘められている歴史や文化論、および人間解析理論を広める団体です。
暦とは運命学のリズムです。
そのリズムをしっかりと捉えることは、自分の体調や感情や思考法の管理の上でもとても大切なことです。
4月がなぜ新年度なのか? 暦という観点からの考察を行います。
フリーダム世代にとりまして、人生の半分以上の暦が通過してしまいました・・・。
だからこそ、これからの暦はひとつずつを大切に、意味を確かめながら、楽しみたいものですね。
染谷先生は写真も非常にお上手で、今回の写真も提供下さいました。心やすまる暖かいお写真が多いので、十干考察も独自の目線でお願いしておりますので、お楽しみに!
新年度とは何か。 染谷康宏
新たな平成30年度がスタートした。
年度切り替えを挟み、学校では卒業式や始業式(学校年度)、社会人なら入社式が華やかに行われる。
真新しいランドセルを背負った一年生が上級生の後を付いていく姿を、遠くから見送る親の姿を見ると、心が温かくなる。
この時期は、小さな子供から大人まで出会いや別れを繰り返す時期であり、誰しもが様々な思い出を深く胸に刻み込む季節でもある。
日本人なら誰しも身体に染み付いた大切な時間の区切りなのである。
「年度」とは何なのか。今更ながら、根本的な事から考えてみたい。
もしも時間の区切りというものがカレンダー通りなら、1月1日が本来年度の始まりであっても不思議ではない。
日本人の誰もが何の疑問も持たず当たり前のように年度の切り替えを4月1日として迎えるが、何故なのか考えた事はあるだろうか。
そもそも「年度」と言うものを、言葉で表せば、「特定の目的のために定められた1年間の区切り」と言う事であって、1月1日からの1年間でも年度と言える訳である。」
しかし、日本では一般的には学校などように4月からの場合を「学校年度」と呼び、国では「会計年度」などと言って、皆一様に4月開始となっているのである。だが、「年度」の開始が4月である理由をきちんと説明できる人はほとんどいない。
年度の歴史
日本における「年度」を調べてみると、単に会計年度を1年と区切る方法はかなり古くからあり、遠く律令国家の段階から存在していた。
そして紆余曲折があり、現在と同じ4月~3月という年度区分は明治19年からの開始である。
4月に決められた一番の理由は、当時の日本の主産業が稲作であった事や、お米をベースに予算編纂していたため4月が都合よかったことが第一の理由とされている。この他にも日本がお手本としていたイギリスの会計年度が4月だったことも理由の一つでもあったらしい。こうした背景もあって4月の年度替わりが日本で定着しているものの、世界的に見ると少数派で、アメリカなどの9月が大勢だ。
昭和に入ってからは、学校卒業後の就職が一般化したこともあって、民間企業も4月からの新年度開始が一般的になったともいわれている。
世界の新年度
それでは、明治19年まではどうだったかというと、新年度は4月とは決まっていなかったようだ。
寺小屋などはそろばん塾のような形で、随時入学で優秀者は飛び級が出来るという個人の能力により学習進度を決められた。
明治に入ると欧米に倣い、最初は9月入学だったようだった。軍隊の入隊開始が4月からということもあり、4月年度変わりが定着していった。
それでは世界はどうかというと、同じ稲作文化の韓国は3月、タイは5月である。中国・アメリカ・ロシア・台湾を含むほとんどの国が9月である。
9月年度を考える
国際化の波が進み海外留学する学生も多くなっている現在、しばしば9月の年度替わりへの切り替えも話題に上ることもあるが、秋の卒業式に違和感を感ずるのは、私ばかりではないだろう。
このような世代がいる限り、9月年度の切り替えは難しいかもしれない。
年度開始が4月であることが、日本人に定着し、精神的にも受け入れられる要素はなんなのだろうか。
そして年度と言うものを数理暦学的に捉えるとどうなるのだろうか。
まず最初に考えられるのは、年度開始の時期だ。この時期をどう感じるのか。
二十四節気からの考察
凍えるような寒さが緩み、草木が芽吹き命の活動が一斉に起こる躍動感にあふれる月という表現がぴったりの月だろう。
数理暦学的に見ると、陰陽五行の基本である木・火・土・金・水の「木」に当たる月である。甲木、乙木であり季節は正に春なのである。春をカレンダーで見ると、1月(寅月)、2月(卯月)、3月(辰月)の三つであるが、月はそれぞれ旧暦であり新暦とは若干のずれが生じている。
しかし年度末・年度初めを、二十四節気で言えば「春分」から「清明」くらいの時期で、3月末から4月初めくらいの時期に当たるだろう。
因みに二十四節気は、古代中国において太陰暦とは無関係に季節を知る目安として、太陽の運行を元にして作られ、季節を春夏秋冬の4等区分する暦のようなものとして考案されたものだ。
このように四季を感じながら生きる日本人にとっては、命の芽吹くこの時期こそが物事の開始時期であることが最も自然な姿なのではないだろうか。
1787年(天明7年)に江戸で出版された暦の解説書である「暦便覧(こよみびんらん)」にも、「清明(せいめい)」は「万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれる也」と記されており、まさに植物が伸び始める時期を示しているのである。
二十四節気はユネスコ無形文化遺産へ
「二十四節気」は、2016年10月にユネスコ無形文化遺産への登録勧告も決定している。
東洋史観を学ぶ我々にとっては、二十四節気の存在を世界中の多くの人々に知っていただくとともに、数理暦学や干支暦学を学んでいただく一つのきっかけになってくれれば非常にありがたいと思う。今後、早期に無形文化遺産として正式決定して欲しいと願うものである。
間もなく「穀雨」を迎え、田んぼに稲苗が次々に植えられる時期になる。農家はその準備のため、種をまき育苗に精を出している。
田植えも手植えから機械へと時代が代わったとしても、植物の芽吹きや成長は、自然の営みの産物であることは今後も変わらない。そこに生命の神秘があり、感謝が生まれるのだと思う。
現在の「年度」が4月スタートなのは、脈々と受け継がれてきたこうした日本の自然と人々の暮らしに根差しているからこそであり、多くの人々にすんなりと受け入れられてきた所以なのではないだろうか。
最後に
とはいえ、国際化の波は著しく、留学生の受け入れを考えても9月学期に改訂する必要性は毎年論議されている。
9月学期の場合、9月に始まり、5月頃の春期で終わる。つまり日本で言えばゴールデンウィークが終わった頃が卒業式だ。そうなると、1年間調整時間となり、休学する人も多い。
それは当然のことながら留学生を受け入れる弊害ともなっており、毎年物議を醸しだしているが、恐らくその論議の決着がつく前に、オンライン校、バーチャル大学などが技術の進歩により先行するだろう。つまり、昔の寺小屋のように、いつ入学しても良く、完全能力主義で個人の能力により、カリキュラムの進捗が自由に決められる。
実際、アメリカなどではオンライン校がメジャーな存在になりつつあり、高額な教育費を支払うことなく、教育が提供されており、これは教育を受ける権利を多くの人に提供するには素晴らしいサービスである。
実際、通学講座だけよりもオンラインとの併用の方が学習効果が高いということは、アメリカの教育界では今や常識となっている。当協会もInstructual Designというアメリカの教育システムを活用して暦学を教えるという一番古い学問を一番新しい手法で指導するため、面白い発展を期待して欲しい。
季節感というものは、運命のリズムを作るものだ。
桜の花が満開となるこの時期に、真新しランドセルを背負って行く想い出は一生に一度しかなく、こうした想い出一つ一つが時間を切り刻み、それが今の私を形成している。
私が担当するのは、通学セミナーである。通学セミナーの役割は、人と人との繋がり、季節の話題も講座の中に取り入れながら、呼吸を整えるように運命のリズムを整えて戴けたらと願っている。
次回は、私の同窓の栄養士 岡田先生による二十四節気の薬膳の提案に続く。このような取り入れ方なら男性である私も気軽にできそうであり、暦というテーマに基づいて共に学び伝承していく楽しさを大いに感じている。
暦学を通して様々な文化を学ぶことの楽しさを、伝えられたらと願っている。
今後も少しずつ伝えられたらと思うので、お付き合い戴きたい。
埼玉県久喜市 染谷康宏