私達がお伝えしたい《干支暦学》とは、干支暦を用いた人物解析法です。
人物解析法の説明をする前に、まず暦とはどのように誕生したのか、簡単に説明させてください。
人類が使ってきた暦は、よほど風変わりなものを除けば、地球が太陽の周りを一周する周期を計算した《太陽暦》、月の満ち欠けを計算する《太陰暦》、この2つを組合せた《太陰太陽暦》の3つに分けることができます。
- 太陰暦(月の暦)
- 太陽暦(太陽の暦)
- 太陽太陰暦=旧暦(月と太陽の暦)
ちょっと…想像してみてください!
何千年も遥か古代の夜の空を…。
太陽が沈むと、毎晩、銀河がきらめく天空のスペクタクル。
誰もが気づくのは、月の満ち欠けに一定のサイクルがあることです。約3万年前のマンモスの骨に、月の満ち欠けの刻印が記されています。人類の誕生と共に生まれたのは、この一番シンプルな方法、月の暦、太陰暦だったのです。
それでは、太陽の暦はいつから始まったのでしょうか?
太陽暦は、約5000年前古代エジプトで誕生しました。その時すでに、1年は365日と制定されています。
エジプトは太陽暦を持ったことで、ピラミッド建設が可能になったと言われています。あのような巨大建築の建設となると、1日に約3000人の労働者を必要とします。
この3000人の労働者をシフトを組んで効率的に動かすには、正確な暦がなければ不可能です。月の満ち欠けの太陰暦でいいじゃないか…と思いますが、月の大きさの解釈には個人差があるため、これは正確とは言い切れないものがあります。満月や新月はまだしも、微妙な形の月など、人によって解釈違いますよね…。この月の形はオレの勤務日ではないと思った…など、視認だと行き違いが生じるのです。
この太陽暦には閏年を入れていなかったので、100年で1カ月は季節がずれていました…。
このズレを解消したのが太陽と月の動きを観測した高度な暦法、太陽太陰暦です。
太陽太陰暦は、古代バビロニア(メソポタミア文明)で始まり、ギリシャ、ローマ、ヨーロッパルートと、インド、中国ルートという2つの道で発展していきます。
欧米系が幾何学を発達させたのに対し、中国暦は代数計算を発達させました。
どちらにしても、人類初の太陽太陰暦は、紀元前1000年以上前とされている古代バビロニアになります。
Zodiac Signsとは英語で星占い。バビロニア暦で12種類の獣(Zoo)の名称を暦に使ったものが、ギリシャに伝わり、ギリシャ神話の影響を受けて星座の名前になりました。
このバビロニア暦は、ギリシャ・古代ローマ・ヨーロッパに伝わり、インドにまで影響を与えています。
インドから東方、東アジアでは中国暦が使われたので、世界の時間は、バビロニア暦と中国暦という2つの暦により、刻み始めたのです。