わが子にどう苦労をさせるか by アリストテレス

人間が生きていく上で大切なことは何かというと、プラトンは個人が善のイデアを認識し、それに基づいて行動できることが重要なのだと主張し、アリストテレスは、個人が自らの判断に基づいて行動することにこそ大切であると主張しました。

どちらの言葉も、そのままスルーすると何だかよく分かりませんが、噛みしめると非常に奥深く、人間がポリスという自由な競争社会に生きるとどういう考え方になるのか、今の私達にも役立つメッセージがたくさんあるのです。

私達は今までアリストテレス的に生きてきましたが、AI時代を迎えるこれからは、プラトンのイデア論に近くなるのではないかと思うのです。

自分とは何か?眼に見える自分ではなく、見えない所に自分があるような感覚…

AIが判定した自分が自分なのか、

それとも自分とは違う存在なのかが分からなくなる時代.

そんな時代が、あと数年で確実に到来します。

AIや5Gのバーチャル時代になると、自己と非自己、その境界線が何だか分からなくなってくるのでは、ないでしょうか?

不安感とは、境界線が明確でないから起きる現象です。

境界線が明確であれば、超えることもできますが、明確でないと、超えても距離感が分かりません。

だからこそ、しつこいようですが、今こそしっかりと自分把握を行って欲しいのです。

 

今回でギリシャ哲学も終わりです。

最後にアリストテレスが唱えた《徳》の考え方を説明しておきます。

これは、老子や孔子との比較解析に役立ちますので、参照下さい。

 

アリストテレスの徳の考え方

徳の定義とは難しく、Wikiによると、人間の持つ気質や能力に、社会性や道徳性が発揮されたものだとされています。

徳というと、儒教の仁義礼智信の孝・悌・忠という親や兄弟を敬う考え方、また、老子の道徳経などが思い浮かぶと思いますが、アリストテレスはどう考えていたのか、少し見てみましょう。

アリストテレスによれば、徳とは中庸を選択しうる魂の状態を意味します。

例えば、運動はしすぎても、しなさすぎても健康には害になります。適度な運動が望ましく、それが中庸です。

それと同じように、

勇敢すぎると無謀になり、腰抜けだと臆病になります。その中庸が《勇気のある人》になります。

お金を使いすぎると浪費になり、出し惜しみをするとケチになるます。その中庸が《気前の良い人》になります。

感情が入りすぎると短気になり、入らないと何もしない人になります。その中庸が《温和な人》になります。

このように過超と不足を避けて、中庸をとることが徳であると説いたのです。

 

どうすれば中庸になれるのか。

それでは、どのような行動をとれば中庸になれるのか。

現実主義のアリストテレスらしく非常に実践的なアドバイスをしてくれています。

まず、どのような行動が中庸であるかは、ケースバイケースになります。

戦争においては、勇敢すぎて無謀な方が英雄になりますし、秩序ある社会では、そんな人はドン引きされます。

景気の良い時代では、お金を使いすぎる人は気前の良い人になります。

不景気の時代では、出し惜しみをする人を倹約家で質素な人だと評されます。

ケースバイケースを組み込んで判断するために必要なのが、知性的卓越性であると述べています。

しかし、知性があり判断がなされたとしても、その判断の通りに行動できるかどうかは別問題です。

例えば、分かっていても・・・美女に囲まれると大判ぶるまいしてしまったり、

分かっていても・・・戦争で自己犠牲を奮起するまでには、至らなかったり、

血糖値が上がると、分かっていても食べてしまう… それと全く同じです。

この『分かっていても…』が実は大問題で、これを克服しないと中庸には至りません。

このために必要なのが、倫理的卓越性であると主張しています。

つまり、アリストテレスは徳とは、中庸を選択できる魂の状態だとし、それを判断するためには知性と倫理を鍛え上げることが必要であると説明したのです。

 

どのようにすれば、知性と倫理観を鍛えられるのか

それでは、知性と倫理をどのようにすれば鍛えられるかというと、

『習慣』『習慣づけ』としたのです。

つまり、その行動を繰り返すということで身につくと説明しました。

さすが現実派!

例えば、ピアニストになりたければ、ピアノを毎日練習することと同じように、

勇敢な行動をするには、毎日勇気を持って行動することであり、謙虚な人になるには、毎日謙虚な行動を続けること、習慣づけることで倫理観は身につくとしたのです。

特に幼少の頃から修身することが必要であり、これこそが真の教育であると述べています。

ここらへんは、非常に儒教的!

 

中庸の状態だと何が出来るのか。

中庸の精神状態とは、欲望と気概のバランスが良い状態です。

二頭の馬のバランスが良いと、御者は、その時々の状況に応じて最高最善の方法を選択できることになります。

以前、馬車の話をしましたね。

この考え方は、ヨガも禅も同じです。

禅やヨガは、中庸の精神を保つために、身体のバランスを整えるメソッドということで、発展しています。

アリストテレスは、中庸の状態を保つと、最高善というものに到達できると述べました。
最高善とは手段ではなく、それ自体を目的としているものです。

この考え方は、東洋思想にもありますので、覚えておいて戴けたら比較考察出来るので面白いと思います。

例えば、お金は最高善ではありません。

理由は、お金は手段だからです。つまり、お金を用いて洋服を買ったり美味しいものが食べられたり出来ます。
故に、《お金を稼ぐ》ということは、手段を手に入れるということで、目的にはなりません。

それでは、家族愛はどうかというと、家族愛で何かを得ようとは思いませんよね。

故にこれは目的になり、最高善になります。

勿論、家族愛の為には、お金は必要です。
しかし、家族愛を手段として何かを得ようとは思いません。

逆に思ってはいけないのです。

 

アリストテレスの中庸論の運命学への転用

運命には、子供の頃に苦労をした方が伸びる運勢と、子供の頃に苦労が無い方が伸びる運勢の2種類があります。

お母様方から、次の質問がきたとします。ここでアリストテレス先生に答えて貰いましょう。

お母様 『子供の頃に苦労した方が伸びると言われたのですが、我が子にどう苦労をさせたら良いのでしょうか?』

《子供の頃に苦労をした方が伸びる子》の多くは、エネルギーが強い子供達です。

強いから、もっと強くなるスポーツをさせた方が良いのか、これはアリストテレス先生によるとNO!です。

恐らく先生だったら・・・

アリストテレス先生 『オタクのお子様はエネルギーが強いから、静坐を必要とし、上下関係が厳しい剣道や弓道のような運動を奨めよう。時には座禅でも組ませてエネルギーを抑える訓練をさせなさい!』

お母様 『そんな・・・うちの子は元気に外を飛び回ることが大好きで、サッカーが上手なんです。やったことのないスポーツに今更変えるなんて…友達との付き合いもあるし、そんな事可哀想でさせられないわ・・・』

アリストテレス先生 『嫌いな事、苦手な事をやらせることが苦労なんだよ。苦労した方が良いって判定されたんでしょ。だったらやらせなきゃ。子どもの頃から苦手な事に慣れさせれば、大人になるとバランスのとれる人間になるよ。」

 

最後に

人間はポリス的動物です。共同体として生きる存在であり、独りでは生きていけません。

アフリカの大地に一人で置き去りにされてごらんなさい。

皮膚は弱いし、早く走れる訳ではないし、鋭い牙を持っている訳でもないし、大自然においては一番の弱者かもしれません。

しかし、その弱者が地球で一番の強者になった理由は、共同体を作り、維持するのが上手だったからです。

共同体で生活する上で必要なのは、正義と友愛です。

正義とは、法を守り、公平が実現する手段です。

友愛とは、対等の関係の中で互いに相手の善を願い、またそう願う気持ちです。

東洋でも、仁徳と義徳と説明しています。

正義と友愛 どちらが大切かというと、

ギリシャの哲人たちは、ポリスで生きて行く上では、友愛の方が大切だと述べました。

日本も同じ、仁徳こそ大切で、仁徳天皇の治政を理想とし、今の日本があります。

 

ギリシャ哲学はここで終わりにします。

アリストテレスの教え子のアレキサンダー大王によって世界国家が建設されると、人々はそれまでの市民の絆を失って世界国家に投げ出されていきます。

グローバリゼーションの中で、正義だ友愛だのと言っていられなくなるのです。

今の私達のように…。