二十四節気 季節で感じる運命学《大暑》染谷康宏

西日本豪雨災害に対するお見舞い

 

この度の西日本を中心とした集中豪雨により、お亡くなりになられた方々へ謹んで哀悼の意を表し、ご遺族の皆さまにお悔やみを申し上げます。

また、被災された皆さま、並びにそのご家族の皆さまに心よりお見舞い申し上げます。

避難を余儀なくされている皆さまの健康と、復旧事業に従事されている皆さまの安全、被災地の一日も早い復旧を心よりお祈り申し上げます。

 

 二十四節気 季節で感じる運命学、今回は「大暑」です。

いよいよ夏も最盛期になりました。文字通り「大暑」そのものです。今年は梅雨が早く開けたこともあり、晴れの日が続いているため、猛烈な暑さです。

これも、しばらくは続くようです。

そのため熱中症で倒れる人も多く、気象庁も連日熱中症予防を訴えています。最高気温が40度を超える所も出ています。体温を超えて、お風呂の中に身を置いているような状況になっています。

真夏の日本は、熱帯地域にある国々をも上回る高温多湿の国になっているのです。エアコンなしで人が住むことは、もはやできないかもしれません。

2020年に開かれるオリンピックは夏の開催です。競技開始時間が一部前倒しになったという情報も出ていますが、選手・観客共に熱中症対策は大丈夫だろうか今から心配しています。

 

さて「二十四節気 季節で感じる運命学」、今回は「大暑」ですが、二十四節気の順番からいうと「小暑」の次で12番目。太陽黄経は、120度になります。

2018年の大暑は、7月23日となっています。

暦便覧で見ると「暑気いたりつまりたるゆえんなればなり」と記されています。「暑気至り」ですから暑さも今がMAXということで、暦の上ではこれから徐々に秋に向かっていくことになります。

   

「土用」とは

季節的には、立夏から大暑までが「夏」であり、次の「立秋」から「霜降」までが秋となります。本来土用は五行思想に由来するもので春夏秋冬季節の変わり目のそれぞれあるのです。正確には、季節の初めにある四立(立夏、立秋、立冬、立春)の直前の約18日間を「土用」と言うのです。2018年の場合、夏の土用は7月20日から8月6日までとなっており、丑の日が2回あります。

五行思想では、春を木・夏を火・秋を金・冬を水で表すのですが、季節の移り変わりの時季を土として表しています。年4回ある土用のうち夏の土用が特に注目されるのは、自然界の活動が最も盛んな時期であるとともに人間の生活にとっても非常に重要な時期に位置しているからだと思います。

「土用干し」をして衣類を陰干ししたり、漬けた梅干しを天日に干したりしました。また田んぼの水を抜いて「土用干し」を行い、穂をよく実らせるようにもするし、晩夏に発生する大波を「土用波」として漁師は警戒をしたそうです。

また、岡田先生のブログの中でも一部触れていますが

、土用の期間には土木工事などは慎んだ方が良いと言う考え方が、陰陽道にはあります。

これは「土公神(どこうじん)」という土の神様が支配する期間と考えられていたためです。ただし、土用の期間であっても間日(まび)であれば支障はないとされてもいました。この間日の期間は季節により違います。次のように十二支の日で決められています。

春の土用は、巳・午・酉の日。

夏の土用は、卯・辰・申の日。

秋の土用は、未・酉・亥の日。

冬の土用は、寅・卯・巳の日。

と言うようになっていたのです。ウナギを食べる日として「土用」は知ってはいても、正しい「土用」を理解している人は多くはありません。美味しいウナギを食べながら暦の勉強をしてはいかがでしょうか。

 

七十二候では

大暑の初候は略本歴では、「桐始結花(きり はじめて はなをむすぶ)」となっており、宣明歴では、「腐草為蛍(腐った草が蒸れ蛍となる)」となっています。

次項は略本歴・宣明歴ともに「土潤溽暑(つち うるおいて むしあつし」となっています。

末候は略本歴・宣明歴ともに、「大雨時行(たいう ときに ふる)」です。

  

桐始結花(きり はじめて はなをむすぶ)

 

大暑の初候は、略本歴では桐始結花(きり はじめて はなをむすぶ)です。文面からも、言わんとしていることはすぐに理解できます。しかし、少し考えを巡らせると、どこかおかしいと思うところがあります。「始めて花を結ぶ」とは、どういう意味なのでしょうか。

一般的に桐の花は、5月頃に紫色の花を咲かせることが知られ、実が結ぶのは7月頃です。そして青かった実の色が変わり割れて中の種がこぼれるのは、冬になってからになります。この様子から考えますと、「夏は実となり」になるはずです。桐の花は、桜の花と同じように葉よりも先に花が咲き出すのです。ところが、次の年の春に咲く花の蕾はちょうど今頃(夏の土用)の時期にできるのです。つまり大暑の時期に、花ならぬ蕾ができるのです。

略本暦を作った渋川春海は、この蕾ができる事を知っていて桐始結花(きり はじめて はなをむすぶ)としたのではないでしょうか。何といっても渋川春海は、囲碁の家元の家系に生まれ、先を読むことにかけては長けていますから。

 

ところで桐という木についてですが、中国では「聖天子が出現するとき、鳳凰が現れて桐の木に留まり竹の実を食す」という伝説があるそうです。この大陸文化が日本に伝わった時、吉祥のシンボルとして「桐竹鳳凰」の思想も伝わったとされています。

その結果、桐の家紋は天皇が身につけることになったそうですが、その後褒章として桐の家紋が下賜され信長、秀吉なども使う事にもなったのは有名な話です。明治政府が天皇も使う高貴な紋章として桐を使ったことから、今でも硬貨やパスポートなど国の重要なものにも国のシンボルとして使われるようになったと言います。

実際に皇室の紋章として桐が使われたのは、花序につく花の数が3・5・3である「五三桐」と、5・7・5の「五七桐」です。3・5・7の数字が選ばれたのは、陰陽道によるもので、1・3・5・7・9の奇数を縁起のよい数と考え、特に中間の7・5・3を最上の吉祥数としてさまざまな行事で用いたためだと考えられています。また、花の色が高貴な紫であったことも、身分の高い人々が家紋として用いた理由の一つでしょう。

以上、桐について色々と述べては見ましたが、中国の伝説による桐の木、実は「青桐」だった言うのが真実だそうです。名前に「桐」と入っていますが、「青桐」はキリ科ではなくアオイ科で、これまでに述べた桐とは別の種類です。

先ほども書きましたが、中国の伝説は「鳳凰は梧桐でなければ棲まず、竹の実でなければ食わず、甘い泉でなければ飲まない。」という故事のようです。ここで言う「梧桐」が青桐のことなのです。

中でも、「鳳凰は竹の実でなければ食わず」とあるのが面白いです。植物の多くは、花が咲かなければ実がなりませんが、竹の花は100年に一度しか咲かないとか言われるほど滅多に咲かないのです。多くの人は竹の花を見た事がないのです。私は、幸いにも小学生の頃に竹の花を見ています。稲の花にとても良く似ていました。

また「竹の開花は不吉の前兆」という言い伝えが各地に残っているのですが、実際に竹の花が咲いたのを私が見た家は、竹藪のすべてが枯れてしまい家も潰れてしまいました。言い伝えが正しいとか言うつもりは毛頭ありませんが、実際にそうした事例を2件続けて体験してしまうと、どこか気持ちが悪く感じます。

大暑の初候宣明歴では「腐草為蛍(腐った草が蒸れ蛍となる)」となっているのですが、略本暦の「芒種」次項のところで同じものが出てきます(芒種のブログをご覧ください)。宣明歴は元々中国のものであり、略本暦は宣明暦を参考に日本で作られたものです。渋川春海が日本の気候風土に合わせて、宣明暦の大暑にあったものを芒種の時期にずらしたのではないかと思われます。意味としては、「芒種」の折に説明をしておりますので、そちらをご覧いただけると幸いです。

 

 「土潤溽暑(つち うるおいて むしあつし」

 

次項略本暦・宣明暦ともに「土潤溽暑(つち うるおいて むしあつし」となっています。ジメジメとした土から熱気が沸き立って蒸し暑い状況が目に見えるようです。丁度この頃は、稲や草も成長して地面には直射日光が当たることも少なく、土は乾くことなくジメジメっとした空気が漂っています。

ここで思うのは、略本暦・宣明暦共に内容が同じだと言う事ですが、これが何を意味するのでしょうか。
つまりは日本も中国も同じような気候で、ジメジメ気候だったと言う事です。調べてみると、確かに日本をはじめ朝鮮半島や中国にも梅雨があって、ジメジメ気候は共通していると言う事です。七十二候の日中での違いを見ることで、当時の気候や自然に思いを寄せるのも歴を勉強するうえでの楽しみです。

 

 

 

「大雨時行(たいう ときに ふる)」

末候略本暦・宣明暦ともに、「大雨時行(たいう ときに ふる)」です。

大雨が時に降るということなのですが、この大雨が夕立を指しているのか、今回西日本を襲った集中豪雨のようなものを指すのかは定かではありません。ただ、略本暦と宣明暦が共に同じ表現を用いていること、さらには「大暑」という時期を考え合わせると夕立かとも思えるのですが、実はこの時期日本と同様に中国においても大きな水害がたびたび起きているのです。

略本暦を作った渋川春海は、宣明暦を日本に合わせるにあたってどう考えたのだろうかと思うのです。あくまでも個人的な想像ではあるのですが、「大雨が降る」という事象の意味を広くとらえて日本にも当てはまる宣明暦をそのまま使ったのではないのかと思うのです。

当時も梅雨明けが遅れればあちこちで大雨が降ったのであろうし、梅雨明けが早ければしばしば夕立が発生したことでしょう。また時には台風と梅雨前線などの影響による集中豪雨などもあったことでしょう。梅雨自体が東アジアの地域に共通する気象現象であることから考えると、渋川春海の判断は正しかった様に思います。

大雨は良くも悪くも人の生活に大きな影響を及ぼします。古代エジプトでは、たびたび起こるナイル川の氾濫時期を知ることから、暦がはじまったともいわれていますし、雨を含む自然と人とのかかわりが暦を一層発明させたのでしょう。

荒ぶる自然の猛威の前では、人はなすすべを知りません。しかし知識と経験を糧に、被害を最小限に抑えることはできるはずです。陰陽五行論を基礎とした数理暦学を学ぶことは、運命をより良い方向に進めていくための杖となり力になるはずです。