人類最古の宗教とは? シュメール人の宇宙観

今から5000年前に…とんでもない石造りの文化がいきなり砂漠の真ん中に登場し、当時の他の地域の文化からは考えられないレベルの高度な文化生活が営なまれ、そしてその民族は忽然と歴史から姿を消した…。

もしかしたら日本人のルーツかもしれない!という、不思議で壮大なロマンの物語。

しかも人類初めて文字を発明し、砂漠の地で粘土板に書いて残した為、5000年の時を経てそれを辿る事ができるという凄さ。

デジタル文字のこの時代の記録など、一瞬の内に消えてしまいますが、粘土板はすごい!
この究極の記録媒体により、5000年前の偉大さを今に知ることが出来たのです。

 

もう少しメソポタミアを解説します。何故かというと、我々の暦学は私見ですがこの砂漠の理論が大いに影響していると思うからです。

今回は、シュメール人の神に対する考え方について考えます。
人類史上初の文化的宗教という事になります。

 

人類最古の文明における宗教観

5000年前のシュメール文化であるという事を、以前のブログでご説明いたしました。

古代の宗教では、共同体全体の安泰を守るため、神々をまつることは大切なことでした。

シュメールはギリシャのような都市国家で成立していました。その為、各都市に神がいたようです。例えば、東京には東京の神がいて、大阪には大阪の神がいるようなイメージでしょうか?

例えばウル市の都市神は、月神であるように、各都市の神様は天文に関するものが多く、人間は、神々のために働く定めを持つ存在であると理解していました。

シュメールの神様は二十構造です。

都市の神様の他に、個人の神様もいたのです。

シュメール人は、個人の守護神である「個人神」を信じ、大切にしていました。「個人神」とは、「人の運」を神格化したもので、人の身体の中にいると信じられていました。

都市神様は恐れ多く、王といえども、直接都市神様には祈願はできないので、「個人神」にとりなしてもらうべきだと、シュメール人は考えていたようです。

つまり、人間が直接、都市神様に願ごとなどできないので、個人神を通して都市神様に頼むという構造です。

「個人神」は一柱と限らず《神様を数える時は、柱という単位を使用します!)、複数の個人神を持つ者もいました。

また、父から息子へと同じ「個人神」を継承する事もありました。

妻の役割は、「夫」の個人神を大切にすることで、その扱い方でいさかいもあったようです。

何だか、夫の両親の扱い方で夫婦喧嘩をするのと同じ感じ…。5000年前から夫婦喧嘩の原因は変わらないようです。

 

月や太陽などの天体が都市神様で、個人神様は、植物神や蛇神など、集団の象徴あるいは守護神となる特定の動植物など、現世利益の豊穣の神でした。
ここらへん、陰陽五行説と似た構造だと思います。

陰陽というのは、太陽と月の神様で、五行は自然神です。樹木の神様、火の神様、土の神様、金属の神様、水の神様。
陰陽五行は太陽と月と惑星でもありますが、その五行は地上の神様ともリンクをしているため、五行は地上の神様でもあるのです。

どれも、生活に必要な神様で、豊穣の神になります。

実際には誰も見た事が無い「あの世」のことより「この世」の事を大切にしたエジプト人とは違い、シュメール人は、「この世」のみを大切にしました。

ここらへんも、中国の道教と非常に捉え方が似ています。
インドの輪廻転生がこの世とあの世を継承させたのに対し、中国道教は「現世」のみを大切にしています。死んだらお終い!という考え方です。

大自然と闘いながら生きていくことは大変なことであり、そのため、「あの世」に逃げず、「この世」をより良いものにしていく…という考え方になります。

天体の都市神様に、今の生活が守れるように上手にとりなしてもらおうと、「個人神様」という身近な神に頼むという二重構造が、人類最古の都市国家を作りあげたシュメール人の宗教観です。

確かに太陽や月は遠い存在で、自然神は身近な存在です。

自然神に頼むことで、天体の神様に祈りが届くという考え方は、非常に東洋的な考え方に近いものがあります。自然を神とした多神教的な考え方で、私たちの考え方にも近いものがあります。

このように『とりなしてくれる神』を考え付いた背景として、シュメール人の社会そのものが、そのような構造であったことが想像できます。
トップにいきなり頼むのではなく、まずは身近な上司から… そうしないと、身近な上司の立場もありませんし、その間に立つ人の顔を立てる必要もあるのです。

このような《根回し》処世術、何だかとても日本的。

《日本人の祖先はシュメール人説!》に一票入れたくなりような話です。

シュメール人の死生観には地獄も天国もありません。輪廻転生という考え方もなく、一度だけの人生をよりよく生きることが大切で、《今を大切に生きる》ということを、何よりも大切にしました。死者は生前の行いの良い悪いにかかわらず、死ねば一律に死者の場所に行く事になります。

 

人類古代の医療

この時代の医療は、直感と観察の両方を兼ね備えたものだったそうです。

医学において最良の方法は、《魔除けやまじない》と《適切な薬の投与》の併用です。これも、ある意味今でも変わらないかもしれません。

丁寧な問診、医療関係者の「大丈夫ですよ。安心して下さい」という前向きな言葉、それに、適切な薬の投与は、内科に関する治療の根幹です。

ズズラー・ムニラー・フドゥラー・フシュブラー

この言葉は、悪霊を追い払うのに効果があるとされた呪文です。

大声で読み上げるのではなく、囁くような声で唱えるのがポイントなのだそうです。

シュメール人は、多くの病気や身体の不調は、幽霊や悪霊など超自然的存在が原因だと考えました。

なかでも「幽霊の手」はよく問題とされ、精神的な障害の原因とされました。

必要な供養をされていない不幸な幽霊が怨霊となり、影響されるとされたのです。

中国古典の運勢学では、「幽霊の手」という表現は用いませんが、「因縁」という言葉で病気の原因を解いています。そのため、この考え方も、道教的発想。

シュメール人は東洋人の先祖ではなかったのか…といおうか、かの地を追われてから、東洋に移動したのではないかと思うのです。

 

シュメール人の占い

シュメール人は占いを信じ、内臓占いや夢占いなどを行いました。

夢占いは夢から神の意志を読み解く方法ですが、内臓占いとはどのようなものだったでしょうか?

内臓占いとは、羊から取り出したばかりの内臓の表面に表れたしるしを読み取り、分析した占いです。東洋でいうと、亀の甲羅や動物の骨を用いた占いと似たようなものかもしれません。羊の内臓…というと、ちょっとどぎつさを感じますが、亀がいなかったのかもしれませんし、一番身近な動物が羊であった故に、羊の内臓を占いの判定に用いたのでしょう。

ちなみに、フロイトは夢占いから心理学を創設しました。実はフロイトより4800年位前から夢占いは用いられていたようです。

 

それでは、暦を用いた占いはどうだったのでしょうか?

A.L.オッペンハイムの「バビロニアにおける占い師の手引書」には、暦を使ったこのような記述があります。以前のブログで説明していますが、バビロニア文化とは、シュメール文化を土台にして作られた文化です。

あなたの術《占い》はどのような結果なのか。

天空に表れる吉兆は、地上においても吉である。地上に表れる凶兆は天空においても凶である。天空にせよ、地上にせよ、何か「悪いしるし」が認められ、その影響が病気・飢えや戦などと関わっていることが確かな場合、その「しるし」が現れた日付を確認しなさい。

もしその凶兆を打ち消す他の「しるし」が出ていなければ、つまり、その凶兆が取り消されていなければ、それをやり過ごすことはできない。凶兆が示す悪い結果を取り除くことはできず、悪いことが地上に起こるだろう。

このことは、地上と天空のしるしの占いを学ぶ際には、念頭に置かなければならない。

その「しるし」に気づき、町や王と臣民を敵や疫病、飢饉から守って欲しいと求められたら、何と答えるだろうか。

どのようにして悪い結果を回避するだろうか。

 

そこでまた質問者が、

「このしるしをどう活用したらよいのか?」と聞くのです。

凶兆を払いのけるには、次の方法がある。

12とは1年の月の数であり、360は日の数である。1年の長さを学び、星がみえるときと見えない時を探り出し、最初に表れるとき、また、年の初めのイクの星の位置や、アダルの月やウルールの月に太陽と月が最初に表れる時、また、毎月観測される月が昇るときや最初の姿について、粘土板から見つけ出しなさい。

そしてプレアデス星団と月の衝を観測しなさい。そのすべてが適切な答えを与えてくれる。

それゆえ、1年の各月や各月の日付を定め、なすべきことを完璧に行いなさい。もし最初に付きが見える日が曇っていたら、水時計で計測しなさい。

このようにして、1年の長さを定め、閏日や閏月を計算しなさい。

 

つまり、凶兆を払いのけるのに、まじないや祈祷をせよとは言っていないのです。

天体観測をし、その統計をとって地上の現象を推測しなさいと述べています。
それには、予兆は天空と地上で互いに映し出されるため、地上に悪い事が起きた日を的確につかむこと、つまり、暦を確定させることが一番重要だと述べているのです。

非常に科学的な考え方ではありませんか?

つまり、この時代から、コツコツとデータを集積してきたのです。暦を決め、地上で悪いことがあった日の暦を記録し、系統だて理論化させる…私達の干支暦学に繋がっている考え方です。

これ立派な「実証科学」ですよね? しかし、5000年経過した今でも、《科学》としては認証されていません。

なぜかというと、その結果が実際に機能したのかという実証を公にしていないからです。集めたデータを、原因と結果を明確化していかないと、科学にはなりません。

シュメール人の編み出した古代メソポタミアの暦占は、理論的な宇宙構造があり、綿密な観察によって得られた膨大なデータがそれを裏付けられていました。

その理論を統計づけようと十分な実証データを集めた点で、科学だと思われるのですが、どうやら、人類は5000年もの昔から、それを《占い》という分野で押とどめてきたのです。

もしかしたら、それこそが人類の英知なのかもしれません。

科学には普遍性がなくてはなりませんし、実証を公にする必要があります。占いであれば曖昧ですみます。未来予測など誰もが知ってはいけません。権力者のみが把握していれば良いために、表に出すことをためらい続けた結果が、今に至るのではないでしょうか。

 

人類最古の星占い

メソポタミアにおける世界最古の星占い、天の前兆占いは、紀元前16世紀と推測される、粘土板「エヌーマ・アヌ・エンリル」に記されているものが有名です。

これは、紀元前1000年頃までの典の前兆を集めたもので、もし天で●●の現象が起こると、地上では●●という現象が起こる」というパターン化された前兆データを何千も記録さした粘土板です。用いられた天体は、月・太陽・惑星・恒星で、ひたすら天体と地上の関連性をデータ蓄積し、その前兆を把握、王や国にとって悪い前兆が起こればすぐに報告され、しかるべく対策をとるようなシステムが構築されていました。

このような状況がおよそ800年位続いた後、紀元前750年頃に新たな動きが生じます。

単に記録されていた作業から、観測結果を数値化することで未来予知を試みる新たな局面に移行するのです。

時代的にはアッシリア帝国の最期あたりで、王宮には専門の占星術の専門家集団が採用されます。

 

紀元前8世紀のこの時代は、ギリシャではポリスが成立し、第1回オリンピックが開催された時代です。

ローマ建国の父、狼に育てられたロムルスがローマを建国した時代で、中国では、東周が成立し、春秋時代が始まった時代です。

この時代に、アッシリアでは日食・皆既月食も把握し、天と地の関係性を数値化していたのです。

このメソポタミアの天の現象と地の現象を結びつけた考え方は、インドの占星術に影響を及ぼしているとされています。

次はアッシリアの占星術をみながら、話を進めていきます。

このブログも、しばらくはメソポタミア地方に駐留する事をお許し下さい。

山脇史瑞