二十四節気 季節で感じる運命学《立夏》(染谷康宏)

夏は、《立夏・小満・芒種・夏至・小暑・大暑 》の六つの季節で構成されていますので、立夏は夏の始まりです。

今年の夏は明日5月5日に始まり、8月7日の立秋を持って終わります。ちなみに、太陽の角度で計算されますから毎年違います。

夏の想い出作りをしたい方は、明日からスタートですからね!

私は運命とはリズムだと思っております。つまり、リズム感がある人は間がよく、運のリズムを掴みやすい。悪い人は折角才能があっても、タイミングを逃します。

そのリズムをつかむには、どうすれば良いかというと、月のリズムと太陽のリズムがあります。月のリズムは内的リズムと言われ自分で整えるもので、誉田先生が指導されていらっしゃるYOGAや禅などが良いでしょう。

太陽のリズムは外的リズムです。世の中の事象のタイミングを上手く掴みとる必要があるのです。

その為にはどうすれば良いかというと、まず基本は、《季節感を感じる事》です。

ダンスと同じこと。テンポをつかむ練習をすれば、上手に波に乗っていけます。
大人になれば成程、立夏が巡ってくる回数も限られてきますので、だからこそ、しっかりと捉えて戴きたいと思っております。

さて、今回も数理暦学を担当下さる、染谷先生による《二十四節気講座》です。数理暦学は、生年月日を用いない運勢学なので、非常に難義で高度な知識を必要とします。逆にこの学問は、男性が得意とする分野なので、知的な男子達をメインに発展させて行けたらと思います。

冒頭の写真は、先生がこのブログの為に撮影してきて下さいました。

自然と古典と人を愛する先生ならでは!センスと優しさ溢れるフリーダム世代BOYSの代表です。

 


立夏を考える  染谷康宏

1年を24に区切って季節を分ける考え方が二十四節季であることは、以前岡田雫先生のブログの中でも説明がなされています。
立春から数えて7番目に立夏があります。

「立夏」とは春が極まり夏の気配が立つという時期をさしていて、春分と夏至の中間に位置しています。江戸時代に出された暦の解説書である『暦便覧』には、「夏の立つがゆへ也」と記されていて立夏から立秋の前日までを夏としています。季節をそれぞれに表すと、立春から立夏までを春、立夏から立秋まで夏、立秋から立冬までが秋、立冬から立春までを冬となるのです。

つまり立夏は、夏季の始まりにあたります。五行的には、立夏のあと陽気は次第に増えていき、陰気は少しずつ消えていきます。昼の時間が次第に長くなり、植物の成長も繁茂期に入っていきます。

現存する中国最古の医学書と呼ばれている『黄帝内経』では、「夏三月、これを蕃秀(ばんしゅう)と謂い、天地の気が交わり、万物は華実す」と言っています。また民間の諺にも「立夏に降らずば、犂(すき)耙(ならし鍬)は高く掛かる」、「立夏に雨無くば、碓(うす)に米無し」とあります。これは、立夏の時節に雨が降らなければ、秋の収穫に響くという意味です。

ここから分かることは、立夏は「陽」の節気に属するが、必ず「陰」に属する雨水によって調整されなければならないという事なのです。陰陽のバランスがとれて、はじめて万物に利益がもたらされると言う事なのです。

 

子供の日の意味

さて、今年(2018年)の立夏は、5月5日で端午の節句日に当たります。

カレンダーでは、「こどもの日」であり祝日です。こどもの日は1948年に制定され、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福を図るとともに、母に感謝する日」とされています。つまり、「子ども」であって、男の子とは書いてありません。
3月にはひな祭りがあって、女の子の祭りとして認知されています。これに対し、子どもの日は勇壮な鯉のぼりも飾られることから、男の子の祭りのようにも思われていたりします。しかし、この祝日の意味する所は、全ての子供が健やかに成長することを願うと同時に子どもの母親にも感謝するお祝い日ということなのです。

だから子どもの日であると同時に母の日でもあるのです。

 

鯉のぼりの起源

5月5日は、端午の節句にあたります。

端午とは、月の端(はじめ)の午(うま)の日を指していたものですが、午(ご)と五(ご)がすり替わって、五月五日を「端午」と言うようになったそうです。

この端午の節句は、厄払いに「菖蒲」を用いることから「菖蒲の節句」と言われたり、菖蒲と「尚武」と結びつけて男児の立身出世・武運長久を祈ったりするということは良く知られた話です。そして、鯉のぼりの逸話が中国にあることも有名です。私の知っている事は、黄河上流には激流が連なった竜門と呼ばれる難所があり、そこを登り切った魚は竜になれるという有名な登竜門伝説に由来しているという事くらいでした。

今回立夏のブログを書くに当たって改めて「鯉のぼり」の云われを調べてみました。季節の意味を紐解くことは、先人達のメッセージを受け取るようで楽しさがあります。

鯉のぼりの起源は、やはり中国にありました。お話の時代は2300年前の春秋戦国時代の中国にまでさかのぼります。

当時は漫画「キングダム」でも知られる戦国七雄(せんごくしちゆう)の時代です。邑(ゆう:古代中国の都市国家的な集住地のこと)の連合体からなる多数の国家があって弱小国は大国に次々と飲み込まれ、やがて秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓の七国に収斂していきました。この七国が戦国の七雄と言われたわけで、この七国のひとつである楚の政治家であり詩人であった屈原(くつげん)が鯉のぼりの起源になっていることを、今回初めて学びました。

屈原は、楚王の側近として仕え、その正義感と国を思う強さで人々から大変慕われていました。

屈原は、敵国である秦の張儀の謀略を見抜き、楚王、懐王を必死で諫めたが受け入れられず、失脚させられたのです。

楚の将来に絶望して、長江の支流である汨羅江(べきらこう)に身を投げて自殺してしまいます。それが5月5日だったのです。
屈原の死を悲しんだ国民達は、川に沈んだ亡骸を魚に食べられてしまわぬよう、小船の上から太鼓を叩いて魚を脅したり、エサとして別のものに気を引かせようと、笹の葉に米の飯を入れたものを川に投げ込みました。

実は、この米の飯がちまきの由来です。

 

日本に伝わった伝説

これが日本に伝わり江戸時代になると、鯉のぼりとなりました。

現在も、男の子が生まれると5月5日を初節句として、内飾りや鯉のぼりを贈って祝う習慣が今日残っています。

子の健やかな成長を願う親の心は古来から変わることなく、ちまきや柏餅を食べて成長を祝っています。また田舎では、後継ぎとして男子が誕生したというお披露目の意味もあるのです。

ついでながら、伝統的な競艇競技であるドラゴンボート(龍船)は「入水した屈原を救出しようと民衆が、先を争って船を出した」という故事が由来であるとも伝えられています。

義の勇者、屈原を偲んで行われたこの競技は、昔の中国では旧暦の5月頃(現在の6月)には、気温も上昇し暖かくなるため、疫病が流行して亡くなる人も多かったため邪気払いや健康祈願の風習の為、行われたのではないでしょうか。

 

鯉のぼり

鯉のぼりを飾る場合、一番上に吹き流し、次に真鯉(父)、緋鯉(母)、青鯉(子供)という形一般的です。

この形は、昭和になってからという歴史の浅いものではありますが、数理暦学的に色の意味を捉えてみたいと思います。

まずは、一番上の吹き流しです。

近頃は色や模様が様々に変化してきてはおりますが、基本的には、青・赤・黄・白・黒の5色であり、五行の色です。
青は木、赤は火、黄は土、白は金、黒は水で、場合によっては青が緑に黒が紫になっている事もありますが、青と黒が基本です。

五行説では万物は、木・火・土・金・水の五要素で形成されています。

この吹き流しは五行要素が、生まれてきた子供の邪気を払ってくれると信じられ、天空の一番上を泳いでいるのです。

松本ユミ先生のブログに「天地人三歳論」として子供が成長し7年目で個人として完成すると言う話が書かれております。

医療の発達していない時代は、7歳という年齢はいつ天に召されてもおかしくないとされた時代でした。

その為、我が子が健康に育つように魔よけの意味をもつ鯉のぼりが揚げられたのです。

更に、五色は《仁義礼智信》という五徳を意味します。
青は仁、赤は礼、黄は信、白は義、黒は智を表しており、親はそれぞれの意味を子供たちに願掛けしたのではないでしょうか。

つまり青色「仁」には、他人に対する親愛の情、思いやりとやさしさを持つ子供に育って欲しい。赤色「礼」には、人の則を守り、礼儀正しい子供に育って欲しい。
黄色「信」には、友情に厚く、誠実な子供に育って欲しい。白色「義」には、正義を守り他人のために尽くす子供になって欲しい。
黒色「智」には、道理を知り、多くを学び賢い子供に育って欲しい。

そのような5つの願いが込められた《吹き流し》の上でカラカラと回る矢車も、魔よけという意味では同じような意味を持っています。

次に、一番大きい真鯉のお話です。

現在の様に、家族がそろった形は昭和30年代になってからと歴史はとても浅く、江戸時代には真鯉だけが揚げられていたようです。

真鯉は父親を表しており、色は黒になっています。

五行説では、黒は水で季節は冬を表します。水は命を支える大切な要素です。五本能では、習得本能を表します。

緋鯉は母親で、色は赤です。赤は、火で伝達本能となります。いかにも女性として伝達本能は、ぴったりです。

青鯉は子供ですが、最近は青の他にも緑やオレンジなどもあります。木を表し季節は春です。五本能では守備本能を表しています。

唱歌「こいのぼり」の中には、「小さい緋鯉はこどもたち」という一節があるのですが、当時は緋鯉の母はいなかったようです。

作詞されたのが1931年(昭和6年)頃なので、当時は黒と赤。父と子供だけの構成で、現在のような家族全員による鯉のぼりになる以前の社会背景の中作られたことがわかります。ついでながら江戸時代は、真鯉(父)だけだったと記録にはあります。時代の推移を感じます。

将来は、緋鯉とピンク鯉だけの風景も眼にするかも知れません。

 

実際に鯉のぼりを揚げると

最近はベランダにも飾れる小さな鯉のぼりも多く飾られるようになりましたが、大きな鯉のぼりを揚げるのは本当に大変です。

私は、長男の誕生の際に親戚から16匹もの鯉のぼりを頂きました。男子誕生を親戚一同で祝ってくれた訳ですので、いただいた鯉を揚げなければ親戚の面子をつぶすことになるので一生懸命に揚げました。何しろ自分のが揚がっているかどうか、すぐに分かってしまうのが鯉のぼり・・・。

毎日、天気予報とにらめっこで揚げるのです。

我が家の庭は農家の様には広くないので、かなりの苦労がありました。

15m以上もある長い柱は、妻の父親が重機を持ってきて立ててくれましたが、鯉のぼりの上げ下げは朝夕自分でやらなければいけません。

何しろ16匹もいるんです。

風が吹いて、吹き流しや鯉のぼりがロープに絡みついてしまい、下ろすことが出来ないと言う事はしばしばでした。

鯉のぼり自体は、ロープと滑車を使い高いところまで引き上げるので、鯉のぼりがロープに絡まってしまうと下におろすことが出来なくなってしまうので、仕方なく絡まっているところまで登って、手で絡まった鯉を外さなければなりません。

雨が降ってしまったら本当に最悪で、10mもある鯉は濡れて重くなるため全く外れなくなってしまう事もありました。

その為、年数がたつに連れて揚げられる鯉の数も減っていきましたが、それも仕方ないことでした。

子供がある程度大きくなった頃には、成長祈願も成就したと勝手に解釈して、外に出す事もなくなってしまいましたが、何とか活用方法はない物かとしばらく思案しておりましたが、東京都の隅田公園で鯉のぼりの募集をしていたので、寄付をさせていただきました。

タンスの中から出て、東京の空でお腹いっぱい空気を吸って元気に泳いだことでしょう。

いまでも5月の空を泳ぐ鯉たちを見ると、非常に手がかかり難儀だった想い出と、子どもの健やかな成長を応援してくれた親戚たちの喜ぶ顔を思い出し、感謝と懐かしさを感じます。

 

《数理暦学担当 染谷康宏》