二十四節気 季節で感じる運命学《穀雨》by 染谷康宏

前回は、岡田雫先生のから「陰陽五行論と薬膳料理①」、二十四節気の話はとても分かりやすく書かれていました。

そして穀雨の季節のお奨めとなる、「薬膳茶」の紹介がありました。私は、「穀雨」について数理暦学的な観点から書いてみたいと思います。

暦とは、季節を通して学ぶ自然と自分との対話であると、感じております。

私は、昨年3月に役所を定年退職致しました。人を管理させて戴く立場にいたこともあり、人事コンサルタント主催の人材活用セミナーにも参加させて戴きましたが、何故か納得できないものを常に感じておりました。

その時に興味を抱いたのが《古来からある暦に基づく人間解析学》です。

人間とは、太陽と月の運行に大いに影響されており、その運行を数値化し予測する学問が数千年前から中国では確立していたことに、驚きと共に未来を感じました。

この学問は、《古典×天文学×人物解析》という要素に未来を感じ、数理暦学協会で学ばせて戴いております。

 

現在の日本人は暦学という大切な文化を忘れています。

明治維新から150年経過した今こそ、古来からの人々の生活を見直し、その中にこれからの日本人の生きる道のヒントがあるのではないかと思うのです。

私は岡田先生と共に二十四節気という暦をテーマを通して、お伝えしていけたらと思います。

 

穀雨

2018年度の穀雨は、4月20日~5月5日です。

穀雨は、「春の雨がすべての穀物を潤す」というような意味で、農業を営む人はこの時期に種まきをすることも多いです。

『暦便覧』には「春雨降りて百穀を生化すればなり」と記されており、種まきや育苗のために必要な雨に恵まれる時期でもあります。

時は、まさに「穀雨」。農家が田植えの準備に勤しんでいます。気の早い農家は、すでに田植えを始めています。

穀雨とは、このような写真をイメージ戴ければと思います。

稲作について

稲作は、日本の農業を支える基幹産業にとして発展して参りました。

そして単に経済活動としてだけではなく、様々な分野にも稲(米)が与えた影響があるのです。

歴史的には、中国では殷の時代には水稲栽培がすでに行われていたことが記録されています。これは花粉分析や水田土壌断面などの分析によって裏付けがされているので間違いはないでしょう。さらに詳しく言えば、1万年前にあった事もDNAの解析で確かなようです。

日本への伝来は、遺構などの調査から縄文時代の後期というのが一説にあります。

別の話としては、プラントオパールという、植物の細胞組織に充填する非結晶含水珪酸体などから推測する最新のテクノロジーによると、6000年前と言う説もあるようですが定説にまでは至っていません。

伝来ルートも朝鮮半島伝来説や南方からの伝播説など様々あって定かではないのですが、最近では中国から直接伝来したというのが研究成果として発表されています。

いずれにしても弥生時代には本州全土で作られていたのは確かなようです。

やがて米作りがより盛んになり、国づくりへと発展していきます。

江戸時代の終わりまで、年貢として貨幣的な価値をもつものとして取り扱われてきたのです。

江戸時代に入ると、米の生産力を換算する「石高」が土地の生産性や大名や武士の知行高の表示にも用いられてきました。つまり稲作が日本の流通貨幣として経済の中心を担ってきたのです。

明治時代になり、硬い土壌の水田を牛や馬を使って耕す方法が行わるようになるまでは、稲作は柔らかい湿地を人間が耕す方法で行われてきました。

つまり明治時代になり、機械化が進むまでは、ずっと我々の祖先は、人海戦術で稲作をやっていたわけです。

私自身が見てきた昭和30年代までの農作業(田植え・稲刈り)は、大部分手作業であったことを記憶しています。

当時の田植えは6月頃でしたが、今や早いところでは4月下旬から始まり、遅くも5月中には終わってしまいます。もちろん品種が違えば植え付けの時期も違うので、すべてがこの時期に植えられるわけではありませんが代表的な銘柄であるコシヒカリなどは、ゴールデンウイークに田植え機を使いながら家族・親戚総出で作業を行うのが近頃の作業風景でもあります。

日本では長らく「税(年貢)」として米は取り扱われ、貨幣的価値をもっていました。

明治時代に入り、日本の経済が「貨幣」に移り変わると、お米は単なる食べものへとその価値を下げてしまいます。

それでも日本人の主食の座にありましたが、現在ではパンなどの小麦も主食として取り入れられることで米余り現象も生まれています。

家計支出に占める米類の支払い割合も年々低下し米の地位はさらに下り続けています。

そして、米作りも体力勝負でしたが、機械化が進み米の上げ下ろしなど力が余り必要でなくなってきた現在では、体力を必要としなくなっています。

実際、お米を作っている農家の現状は、大部分が高齢者が主役になっているのです。田に水を引き入れることさえも蛇口をひねりさえすれば入る時代だし、米俵が60㎏だった時代から一袋20㎏へと軽量化が図られ、相当作業も楽になってきているのです。

楽になることは良いことですが、楽になっていくにつれ米価も下がってきているのです。

 

稲の文化的な影響

日本人のコメ離れは徐々に進んできてはいますが、米作りは様々な分野に大きな影響を残して来たことが日本の歴史から見て取れます。

赤飯

まずは、お祝い事に食べる「赤飯」の文化。日本人は、お祝い事があるときなぜか「赤飯」を食べるのです。現在の赤飯は小豆やささげを入れて作りますが、その昔は「赤米(あかごめ)」を焚いていたようです。「赤米」は縄文時代に初めて中国大陸から日本に伝わってきたお米で(インディカ種(一般に食べられている米はジャポニカ米))で、炊きあがるとちょうどお赤飯のような色になるのです。

日本では古くから赤い色には邪気を祓う力があるされていたため、神様にお供えするという風習があったことが今でも続いているようです。江戸時代までは、赤米が多く作れていたため入手も容易でしたが、あまりおいしくないため次第に作られなくなりました。

しかし、赤いご飯を食べる風習自体は生き続け、白い米に身近な食材である小豆等で色付けする方法が取られるようになったのです。

赤飯にゴマを乗せるのは、白いご飯を赤くしたことを神様にゴマかすためであるとは、洒落た言い訳ですね。

しめ縄

また、稲わらは「しめ縄」の材料としても使われ、神棚に飾られることが多くあります。これは「お正月」が、農業・穀物の神である「歳神様」をお迎えするという事からしめ飾りが「稲わら」で作られたのです。一般庶民がしめ縄を飾るようになったのは、江戸時代の頃だそうですが、何故「しめ飾り(注連飾り)」と言うのでしょうか。

そもそも、しめなわの「しめ」は「占める」という意味合いで、神前や神事の場に不浄なものの侵入を禁じる結界として張る縄のことで、「神聖な場所」であることを歳神様に示す意味と不浄なもの悪霊などが入ってこないための魔除けでもあるとされています。

陰陽道では、しめ(七五三)という数値は天盤で東西を結ぶ線を指し、その線上は神の通る道とされているため、清浄な線ということを表しているという説もあります。

このような背景のあるしめ縄ですが、実際に作るには稲穂が出来る前、実(米)がなる前に刈り取った青々とした稲を乾燥して作られることが多いのです。その理由は古い年の不浄を祓い、新しい藁で新年を迎えるという、古来の農耕民族ならではの稲作信仰という文化と深い関わりがあるとのことです。こうした意味からしめ縄は本来「稲わら」で作るべきなのでしょうが、近頃は見た目がきれいだという理由で「水草」で作られた「にわかしめ縄」も多く売っているらしいです。とても残念なことです。

 

日本は水に恵まれた稲づくりに適した国です。そして米によって文化や経済が支えられ発展して来た国なのです。

「米」は小麦等にくらべるとアレルギーとなる人もごく希にしかなく、日本人には安全な食材だと言えます。それは、我々の祖先が日本の土壌にあった植物として大切に育んできた、日本人に適した植物だからでしょう。

二十四節気とは、太陽と月を感じながら時を刻むリズムです。

運命も、天命を動かすという意味、つまりリズムです。そのリズムこそ暦であり、1年を24に区分けしたリズムの捉え方が二十四節気です。

4月下旬やゴールデンウィークというより、《穀雨》という暦名の方が、人生においてのリズムもつかめるのではないでしょうか。

 

穀雨とは、「種まきや育苗のために必要な雨に恵まれる時期」です。

陰陽五行論では、雨とは万物を育成する水であり、《知恵・学習・経験》を意味します。

新学期が始まり、新たな事への挑戦など苦労も多いかと思いますが、苦労して学ぶべきこの時期は、皆様の可能性を大いに育みます。

ストレスが溜り、元気が出なかったら、是非、農業体験を経験してみることもおすすめします。

大分機械化されてはいますが、太陽の下で身体を動かすことは、有意義な経験になると思います。

その作業を、全て手作業で行った先祖の苦労を想えば、乗り越える力が大いに養われると思うのです。